気持ちに制限はない!一度きりの人生に悔いを残さないため、仕事をやめてTOKYO2020組織委員会に挑戦
今年の夏に開催された東京オリンピック・パラリンピック。新型コロナウイルスの影響を受け、当初の予定を1年延期し、無観客で開催されました。開催自体がどうなるのか、開幕直前まで賛否両論の声が聞こえる中、日本は史上最多となる58個のメダルを獲得。苦難に屈せず力を発揮した選手の姿に感動し、勇気をもらった人も多いのではないでしょうか。
56年ぶりに日本で開催され、多くの人が注目した今大会で、東京2020組織委員会の一員として大会を支えた卒業生がいました。今回の創大Daysでは、「前代未聞の大変な状況だったからこそ、より自分の価値を見出すことに挑戦できました」と語る佐藤理紗さん(経営学部2016年卒業)に、組織委員会での経験や大学での学びについてお話を伺いました。
組織委員会に所属しようと思ったきっかけを教えてください!
幼い頃から流行り物好きでスポーツ観戦も好きだったため、東京でのオリンピック・パラリンピッックの開催が決まってから、絶対に生で観戦したい!と思っていました。いざチケットの販売が始まると、ニュースでも報道されていましたが、販売サイトはサーバーダウンするほど申込みが殺到。抽選販売の結果が出るまでにも期間が空きました。当たるかな、結果はまだかなと待っているうちに、「こんなに面白そうなチャンスが目の前にあるのに、観戦するだけで良いのか?」と感じ、もっと東京大会に深く関わりたいと思うようになりました。
当時は、新卒で就職した企業の新事業であるホテルでコンセプトストアの立ち上げスタッフに抜擢され、オリジナル商品の開発や販売接客をしていました。上司や先輩にも恵まれ、徐々に責任ある業務を任されるようにもなり、職場が大好きでやりがいを感じていたので転職は全く考えていませんでした。そんな時に東京オリンピック・パラリンピックというまたとない機会が訪れ、アウェイでダイナミックな環境で自分の力を試してみたいと思うようになりました。不安よりもワクワクする気持ちが大きく、“やりたい!”と思った自分の心を大切に、一度きりの人生を後悔しないように、思い切って仕事を辞めて組織委員会に転職しました。
組織委員会では、どのようなお仕事をされていたのですか。
私は、全体で200名程度の広報局で聖火リレーのチームに配属され、プレスリリースの作成や取材案内の配信、会見などのイベント準備をしていました。広報未経験だった私は、専門用語が全くわからず、いつも広報辞典を片手に先輩についてたくさんメモをとりながら、業務を覚えていきました。
私が入職したのは2019年7月の開幕まであと1年という時期で、聖火リレーのスタートまでは約8ヶ月という最終盤でした。組織委員会には20代の人は少なく、広報局では私が最年少。専門知識を持った経験豊富な先輩方に囲まれた環境で、広報のいろはをはじめ、仕事のことだけでなくさまざまなことを教えていただきながら、必死にしがみついて取り組んでいました。そんな矢先、新型コロナウイルスが流行し始め、聖火リレーの開始日3月26日の2日前であった3月24日に、史上初の開催延期が決定したんです。
延期が決まった時は、どう思いましたか。

歴史あるオリンピック・パラリンピックで史上初めての延期となり、とても動揺しました。延期と発表されているものの本当に1年後に開催されるのか誰にもわからず、世間からこんなにも注目を集める仕事に携わらせていただいたことへ大きなやりがいを感じると同時に、不安になる日もありました。
広報の仕事の一つとして、メディアで取り上げられたニュースなどのクリッピングも担当していたので、大会に対するさまざまな声を目にする機会も多く、一喜一憂することもありました。ちょうど東京大会に対する風当たりが強くなっていた頃に、知人から「この状況で本当にオリパラやるの?」と聞かれた際、本当は大会を成功させたいと思っているのに「どうなんですかね、、、」と曖昧な返事をすることしかできなかった時は、自分の力ではどうしようもできない状況にもどかしさと悔しい気持ちでいっぱいになりました。
人命以上に大切なものはないとはいえ、選手は大会に向けて日々練習を頑張っていて、全国に聖火リレーを楽しみに待ってくれている1万人のランナーがいる。そう思うと今自分たちに出来ることは、1人でも多くの方に“開催してよかった”と思ってもらえるような、丁寧な大会準備なんじゃないかと思い、今一度大会の淵源を学び直しながらできることから取り組みました。
聖火リレーが始まった時の感動はすごかったんじゃないですか?
ちょうど1年後の今年の3月26日に聖火リレーがスタートしました。メディア対応のため、現地に訪れていたのですが、周囲に広告代理店の方などがいる中で、広報未経験の私が「組織委員会」という立場上、「広報責任者」として現場に行かなければならず、本当に自分の業務を全うできるのかと、不安と緊張でいっぱいでした。当日を迎えるまでに、何度もチームで本番を想定したリハーサルを重ね、終電ギリギリまでチームで意見を出し合い修正を行うなど、準備を行ってきましたが、それでも前日はプレッシャーに押しつぶされそうになり、ホテルで一人泣いてしまうほどの極限状態でした。いざ始まってみると想定外な事態の連続でしたが、トライアンドエラーを繰り返すことでその度にチームワークも高まっていき、気づいた頃には、ヒリヒリするような激動の現場も、持ち前の楽観主義で誰よりも楽しんでいたと思います(笑)。
聖火リレーは大会の開幕前で、コロナの影響を受けて無観客や当初のコースを変更するなど臨機応変な対応が多く、メディアでもポジティブな発信はあまり多くない時期でしたが、それでも各地を訪れる中、行く先々で現地の方と一緒に活動させていただけたことは、とてもいい経験になりました。
コロナの影響で、急遽公道から場所を変更して無観客で行われた場所がいくつかありましたが、その最初の場所が大阪府の万博記念公園でした。初の試みに現場には終始緊張感が走り、今まで以上のチームワークが必要不可欠な状況でした。そんな中、走り終わったある著名人ランナーの方が「大変な状況だったにも関わらず、皆さんの笑顔の対応に感動しました。ありがとう。スタッフの皆さんにも拍手を」と会場に呼びかけてくださったんです。その時のことは今でもとても心に残っています。辛かったことが一瞬で吹き飛ばされ、その後の原動力になりました。
今振り返ってみて、組織委員会を経験してよかった点を教えてください!
今思うと、1年延期の無観客という前代未聞のコロナ禍での東京オリンピック・パラリンピックは、誰も経験したことのない状況だったからこそ、どう価値を創り出すかを考えて行動する、学び多き期間だったと思います。大会開幕後も、感染状況の拡大に不安もありましたが、競技に挑む選手の姿やその選手を純粋に応援してメダル獲得を喜びあう雰囲気を感じることができた時はすごく嬉しかったです。また、コロナの影響だけでなく、いろんな環境で育ってきた年齢も性別も異なる多様な方々と、同じ目標に向かって協力して取り組むことは、とてもやりがいのある日々でした。自分自身の担当業務においても、大変な環境に身を置いてプレッシャーが大きかった分、それに比例して努力することができたと思いますし、だからこそ達成した時の嬉しさも倍増したと思います。
その環境に身を置いたからこそ、価値を創り出す挑戦ができ、自分の持てる力を引き出せたと思います。改めて、人生を後悔しないために何事にも挑戦することの大切さを実感し、大変な状況でこそ自分をより成長させていけることを確認できました。本当にやってよかった、楽しかったと感じています。
学生時代に学んだことで、卒業後に活かされていることはありますか?
今も大切にしている学生時代の学びは、「目の前の一人を大切に」する姿勢と「準備が命」という心構えです。私は学生時代、パイオニア吹奏楽団に所属しており、そこで出会った先輩が、“後輩を自分以上の人材に”との思いで、自分に関わってくれました。一緒に練習し、自分のことのように悩み、寄り添ってくれた仲間の姿を思い出すと、自分も相手にとってそんな存在でありたいといつも思わせてくれます。また、“本番で練習以上の演奏はできない、準備が命”という恩師の教えは、社会に出てからも、重要な局面で強く意識するようにしています。
今回の組織委員会でも、はじめは大きな組織なのでダイナミックな仕事をイメージしていたんですが、実際は「聖火ランナーを務める方が最高の200mにできるように」、「3分間の取材がいい時間になるように」って、関わる目の前の一人に心を砕き、いかに東京大会を楽しんでもらえるか、そのために私ができることをは何かを考えて行動していました。また、各地を回った際、その地その地でたくさんの方と関わる機会がありました。しかし、その人と関わるのは一瞬で、基本的に一期一会の出会いです。だからこそ準備の努力を惜しまず、その一瞬の振る舞いで、相手にとって価値ある人でいられるよう心がけて取り組んでいました。自然とそう思えたのは、創立者のお心を行動で示してくれた家族のようなパイオニア吹奏楽団の仲間との出会いがあったからかなと思います。
さらに、ゼミのグループワークでも学外のビジネスコンテストに挑戦し、入賞したことがありました。ゼミでも、部活でも、そのチームに貢献するために、自分の価値を見出していくという経験が、組織委員会の活動でも役に立ったと思います。
最後に夢に向かって努力する後輩たちにエールをお願いします!
コロナ禍の学生生活は、私の学生時代と全く違う状況で、私には分かり得ない辛さや悲しさを経験されているのではないかなと思います。ただ、生活様式にいろんな制限がある中でも、自分の気持ちに制限をかける必要はありません。創価大学は、チャレンジしたい気持ちを全力でサポートし、みなさんの可能性を最大化してくれる環境が整っています。学生時代に思い切って挑戦したことは、たとえ失敗しても何一つ無駄なことはなかったと感じています。また、目標に向かって切磋琢磨する中で、どんな時も同苦し励まし合える一生涯の同志と出会えたとこは、何よりの財産です。コロナに負けず、自分の無限の可能性を信じ、勇気を持って後悔のない人生を歩んでいってください!
私も“縁する人を幸せにできる人に”という夢に向かって、これからも悔いなく挑戦を続けていきます!
[好きな言葉]
桜梅桃李
[性格]
社交的、楽観主義、勝負師
[趣味]猫と戯れること、ホルモン屋さん巡り
[最近読んだ本]
「武士道」新渡戸稲造