【特別対談】経済思想家 斎藤幸平さん × 文学部 伊藤貴雄教授

※この記事は、SUN114号(2022年7月発行)に掲載された対談記事を、加筆・再編集したものです
新型コロナウイルス感染症のパンデミックから脱却する兆しが少しずつ見え始めていますが、乗り越えなければいけない社会課題は山積みです。今回ゲストとしてお迎えした斎藤幸平さんは、現在の資本主義を中心とした社会に一石を投じた著書『人新世の「資本論」』が45万部を超えるベストセラーとなり、注目を集める経済思想家です。本学の文学部で哲学を教える伊藤貴雄教授と、これからの社会を変えるために、あらゆる世代の人たちがどのような知を養い、想像力を羽ばたかせていけばよいかという、哲学を探求する2人にふさわしいテーマで語り合っていただきました。
世界の危機を、若い世代は自分事として感じ、アクションを起こしている。
伊藤:『人新世の「資本論」』を拝読し、誰もが正しいと受け入れている社会のあり方に警鐘を鳴らす提言に感銘を受けました。今、地球規模で起こっている危機を回避するためには、経済成長中心の考え方からの脱却が必要だと述べておられますね。
斎藤:経済の発展とともに地球環境が破壊されているなかで、経済成長を求めることが本当に私たちの幸福につながっているのかを考える大きな転換点を迎えています。SDGsが注目を集めていますが、その背景には成長を求める資本主義があります。マイバッグや節電だけで本当に気候変動を食い止めることができるのか、深く考えてほしいのです。


伊藤:気候変動だけでなく、国家間の紛争や経済格差の拡大など、世界はさまざまな問題に直面しています。そうした地球的課題を切実なものととらえている若い世代は少なくないと感じます。コロナ禍で「新しい働き方」が注目されるなど、従来型の発想では立ち行かない事態が目の前にあることも大きいと思います。
斎藤: 私は若い世代に、成長を求める社会からシフトしようと話しています。なぜなら私は、自分たちが何もしてこなかったことによって、これからの若い世代に大きな負担を残してしまうという責任を感じているからです。心強いことに、彼らは新しい考え方をすっと受け入れて、行動できる資質を持っています。
伊藤:特にどのような点で、斎藤先生はそう感じておられますか?
斎藤:学生の皆さんと同世代の環境活動家として、国連気候行動サミットでのスピーチで世界的な注目を集めたグレタ・トゥーンベリさんがいます。彼女が始めた「金曜日に学校をストライキして気候変動対策を訴える」という行動は、今「Fridays For Future」という活動として世界各地の若者に広がっています。このように若い世代が気候変動対策に対する社会的な関心を高めるためのアクションを起こしているという事実は、実際に多くの若者が、このまま行けば、自分たちの未来がどれほど危険であるかを自分事としてとらえていることを表しているのではないでしょうか。日本にもそうした活動に賛同する高校生や大学生がいて、私も集会などに参加したことがあります。その際、彼らは私の本などから情報を集め、「経済成長だけを求めて、地球環境を犠牲にするようなやり方はおかしい」という考えを大人たちよりも真剣に受け止め、さらにアクションまで起こしています。その姿に、心強いと感じています。
今こそ、経済成長=人の幸福という考え方を見直すべきとき。
伊藤:斎藤先生はご著書で、「価値の消費」に終始する社会にメスを入れられています。私も、これから求められるのは、既成の価値をただ効率的に消費して成果を上げる力ではなく、社会の福祉にとって、また一人ひとりの幸福にとって本当に必要なものは何であるかを自ら考えて行動する力であると思います。「価値を消費」する人ではなく、「価値を創造」できる人。本学の教育が目指す人間像もそこにあると考えています。
斎藤:私の本で取り上げている『資本論』の著者である哲学者カール・マルクスは、「価値」と「使用価値」を区別しています。もともと「価値」というのはお金で測るもので、お金を増やしていくことが目標とされるのが今の社会です。けれども、それが行き過ぎた結果として、経済格差が広がり、地球環境はボロボロになっています。
例えば、ペットボトルの水には100円という価値がつくとします。安価であるため、人は簡単に手にし、その結果、浪費につながり、環境破壊につながります。一方で「使用価値」は、空気や水など、人々が生きるために必要不可欠な性質のことを意味します。「使用価値」として水を考えたとき、今よりも大切に扱うべき資源であることが理解できるのではないでしょうか。多くの若者に、気づかないうちに日常生活にお金の論理が入り込んでいることを知ってほしい。「価値」ではなく「使用価値」で日常の物事を見つめることで、社会は変わることができると思うのです。


伊藤:本学の草創期に教鞭をとった経済学者・評論家の大熊信行教授も、マルクス主義の経済哲学者でした。彼は晩年、商品の生産や、経済的な豊かさといった視点だけでは、マルクスの思想を十分に活かせないことを強調していました。斎藤先生が、商品的な「価値」ではなく、人類が共有すべき「使用価値」という視点から光を当てられたことは、マルクスの思想を活かす重要なヒントを与えるものと思います。ところで、斎藤先生が今おっしゃったような問題意識を抱いたきっかけは、何だったのでしょうか?
斎藤:私自身にとって転機になったのは、今の若者たちと近い歳で体験した東日本大震災の原発事故でした。便利な暮らしという豊かさを得るために、原発という制御不能なものを人間がつくっていいのだろうかなど、さまざまな問いを抱きました。そしてその答えを、マルクスの哲学を研究することで見つけようと考えたのです。マルクスは、生産力の成長を賛美している思想家と、しばしば言われてきました。しかしその思想を深く追求していくと、「使用価値」という持続可能な社会を目指すために重要な提言を私たちに与えてくれていました。
伊藤:東日本大震災は2011年、斎藤先生が20代半ばの頃ですね。私が20代半ばだった2000年には、アメリカで同時多発テロ事件が起こり、さまざまなナショナリズムの問題が浮き彫りになりました。そのとき私は、個人の力ではどうしようもないことを感じながらも、その解決策を哲学に求めました。国家とは何か、民族とは何か、権力や暴力の本質とは何かといった問題意識を持って、いろんな哲学書と向き合ったことが、その後の研究の出発点になりました。
斎藤:学生の皆さんも、今、私たちが直面している気候変動をはじめとした社会課題から問いを得て、その答えを求めることが学問に深く取り組む動機にしてほしいですね。
人文知の探求は「他人と比較しない」豊かさへと導いてくれる。
斎藤:気候変動やパンデミックなど、私たちが近年経験したような変異は、加速度的に増加していくことが予測されます。そうした状況下で、これからはメディアで得た目先の情報やノウハウといった“コスパがいい知識”は通用しなくなってきます。つまり、長期的なスパンで物事の真理をとらえられる人が、今後ますます重要になってきます。実はそういうときこそ、人文知や哲学の考え方が役立つのではないでしょうか。
伊藤:本学でも、哲学や倫理学に対する学生の関心が高まっていると感じます。実際、文学部の「哲学・思想への招待」や「哲学概論」の授業を200名近い学生が履修しています。手段としての学問だけではなくて、社会の未来や自分自身の生き方といった切実な問題に向き合う力を養う必要性を感じているのだと思います。
斎藤:哲学の古典には、プラトンのように何千年と読まれ続けてきたものがあります。そこには時代、地域、文化を超えて通用する知、真理がある。しかし古典が難しいのは、読み手のあり方が問われる点です。非常に強い問題意識を持ち、知識も蓄え、はじめてその真理の片りんが見えてくるような、そういう深い対話が必要なのです。
伊藤:哲学の古典は、社会と自分とをつなぐ回路になります。例えばヘーゲルを読むと、「他人に自分を認めさせたい」という人間の承認欲求が “社会の脱成長”の足を引っ張っているのではないかとのヒントが得られます。他人と比較して自分が勝っているとか稼いでいるとか、そういう価値観の根本には、実は自分が自分自身を承認できていない「自己不信」という病があるのではないか。そうした逆転の発想を哲学は教えてくれます。
斎藤:ヘーゲルは「芸術」「宗教」「哲学」の三つを、人間とは何かを問う絶対精神と定義しています。絵を描く、教典を読む、哲学を探求するという行為は、形式は異なるが人間が何を求めて生きていくべきなのかを問うことだと。今、多くの学生が、哲学の学びを通じて、自身が本当に欲しているものは何なのか知ろうとしているのかもしれませんね。また、学生以外にも、哲学の学びを必要としている人は多くいると思います。そうした方々に学びの機会を提供するためにも、大学がもっと地域に開かれていくことも重要ではないでしょうか。
伊藤:人文知を生活感覚と結びつけることも大切だと思っています。本学文学部では、八王子の街とコラボした協働学習を行っています。昨年度は「トロイ遺跡」発掘で有名なドイツの考古学者シュリーマンの生誕200周年イベントを行いました。シュリーマンが八王子旅行記を残していることに端を発した企画で、学生が市内の書店で関連本コーナーをプロデュースしました。人文書フロアが例年にない人気を呼び、話題になりました。学生にとってはこういった体験も、「価値」と「使用価値」の違いを肌感覚で知るよい機会となったはずです。
斎藤:私も地域貢献はとても重要なことだと考えています。コロナ禍で自分たちが暮らす地域に注目する機会が増え、住んでいる地域にどれほどさまざまな歴史があるのか、どんな営みがあるのかに改めて気づくことができました。そうした地域の魅力を楽しむという脱成長的な豊かさの発見を可能にするのは、人文知の役目だと思います。コロナ禍は、グローバル化のもとで廃れてきた地域の価値を見直す機会となりました。この気候変動という危機も、私たちが今まで前提としてきた社会のあり方、教育のあり方を見直すチャンスなのです。この分岐点で、これから私たちがどのような道を選ぶかが、今問われています。
伊藤:先生とお話しして、人文学的な思考を深めておくことが、これからの時代を豊かに生きるためには重要だと改めて実感しました。コロナ禍以降、自分と向き合う時間が増えたという声も聞きます。社会や組織の「部品」としてではない、他人によっては代替することのできない自分とは何者か。また、自分の人生にとって一番大切なことは何か、幸福とは何か。そうしたことを改めて考え直すきっかけにもなったと思います。いよいよ哲学の出番ですね。
斎藤:私たちは今、価値観を問い直すべき時期を迎えています。この数年間で、成長だけを目指す社会構造の矛盾がさまざまな形で噴出するようになってきています。また、デジタル技術は成長産業ですが、仮想通貨やNFT、メタバースといった新しいものが続々と誕生し、最先端はすぐに塗り替えられていきます。何かを学んでもすぐに古くなってしまい、どこに本質的な価値があるのかには疑問があります。この「成長」という問題を本質的にとらえ返して、目指すべき成長とは何なのかを考えなければいけません。それが人間的な発展に値するものであるとすれば、哲学をはじめとした人文知は重要な役割を果たす学問ではないでしょうか。インターネットで検索した情報を読んで社会を知った気になるのではなく、大学の4年間を、哲学をはじめとした人文知を探求する時間にしていただきたい。そこで得た「知」は、生涯にわたって役立つ力になるはずです。

専門は経済思想・社会思想。日本の大学で哲学を学んだ後、ベルリン・フンボルト大学に入学し、哲学科博士課程修了。博士(哲学)。
現在は、東京大学大学院総合文化研究科准教授として教壇にも立っている。
著書『Karl Marx’s Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy 』(邦訳『大洪水の前に』堀之内出版)によって、ドイッチャー記念賞を歴代最年少で受賞。
45万部を超えるベストセラー『人新世の「資本論」』(集英社新書)は、新書大賞2021を受賞

専門は哲学・思想史。創価大学大学院文学研究科人文学専攻修了。博士(人文学)。
ドイツ・マインツ大学にショーペンハウアー研究所客員研究員などを経て、現在は創価大学文学部教授。
著書に『ショーペンハウアー 兵役拒否の哲学』(晃洋書房)、共著に『ヒューマニティーズの復興をめざして』(勁草書房)、『今、南原繁を読む』(横浜大氣堂)、『シュリーマンと八王子』(第三文明社)、Das neue Jahrhundert Schopenhauers(Königshausen & Neumann)などがある