【Vol.1】2026年10月10日

創大の原点は、支えあった仲間との時間

中島泰子さん
教育学部児童教育学科・22期生
小学校教頭
福島県

# 教師として

創価大学を卒業後、北海道で教職の第一歩を踏み出しました。道南の七飯町、長万部、八雲などで14年間勤務した後、夫との別れを経て、実家のある福島へ戻りました。

福島での新たなスタートは、困難の連続でした。採用が決まった直後に東日本大震災が発生。原発事故の混乱の中、周囲からも心配の声が寄せられましたが、教育委員会から「来ていただけますか」と声をかけていただき、「行きます!」と即答しました。そして、いわき市の小学校へ赴任。実家の須賀川から、毎日車で往復1時間半ほどかけて通い続けました。

「教師こそ最大の教育環境なり」

との信念を胸に、保護者対応や急な仮担任など、学校現場の最前線でさまざまな経験を重ねてきました。その一つ一つが、現在の教頭としての力になっています。

管理職となった今は、職員室の先生方が働きやすい環境をつくることに力を注いでいます。一人でも多くの教職員から「一緒に仕事ができて良かった」と信頼してもらえる存在になれるよう、愛する福島の地で人間教育を実践し続けています。

# 仲間と共に

学生時代は、モダンダンス部で汗を流し、「桜香寮」の第1期生として青春を送りました。ここで培った「人間教育の絆」は、卒業した今も、何物にも代えがたい一生の宝物です。

また、モダンダンス部の同期とは、今も深くつながっています。十数年前には、わたしの地元の須賀川の実家で行われた花火大会に、なんと7人の同期が集まり、にぎやかに語り合いました。

桜香寮時代からルームシェアをしていた親友は、現在、福岡県に住んでいて、福岡で就職した長男のことを、いつも温かく支えてくれています。

仕事の場でも、赴任校で8期生の先輩教頭に出会うなど、さまざまな場面で創大の絆を実感します。

どこで会っても、一瞬で学生時代に戻れる。そんなかけがえのないつながりが、困難な局面を乗り越える大きな支えになっています。

# 家族の存在

夫に先立たれた後、シングルマザーとして二人の息子を育ててきました。夫は病魔と闘いながらも、最期まで教育への情熱を燃やしていました。

「病気になったからこそ、生きる素晴らしさを語れるんだ」

と、生きる姿そのものを通して教えてくれたことは、今も私の心に残っています。その遺志を受け継ぎ、私も現在まで学校現場に立ち続けています。

父親代わりも務めなければと気負うあまり、息子たちに厳しく接してしまうこともありました。そんな時、近くに住んでいた母や妹が、優しい言葉で親子の間をつないでくれました。

長男は創価大学・大学院へ進みましたが、突然の病に倒れ、病気と闘いながら就職活動をすることになりました。それでも、懸命に取り組み、内定を獲得。現在は夫の故郷である福岡県で、創大時代の親友や同窓生に温かく支えられながら働いています。

一方、次男は高校3年の冬に自主退学することになりました。当時は目の前が真っ暗になりましたが、学校の先生方が本人の気持ちに寄り添い続けてくださいました。現在、次男は自宅でeスポーツの分野に携わっています。

今も私は、「我が子には必ず深い使命がある」と、二人の息子の無限の可能性を信じ、成長を祈り続けています。

✨学生時代に最も熱中したこと

最も情熱を注いだのは、モダンダンス部での活動です。

ダンスの技術を高めることはもちろんですが、それ以上に、先輩方から指導された「心構え」を大切にしていました。

先輩方からは、その人の生き方はダンスに現れ、見透かされてしまう世界だと教えられました。

だからこそ、自分自身の人間性を磨くことの大切さを徹底して学びました。ダンスを通して自分の生き方と向き合う日々は、私にとって、創立者から教わった「人間教育」を実践する、人間練磨の場でした。苦楽を共にする仲間と深く触れ合い、切磋琢磨しながら心を鍛えた経験。それこそが、私にとって創大時代に熱中したことです。

✨学生時代の原点

私にとって最大の原点は、創価大学への入学を勝ち取るまでの、壁を乗り越えた挑戦のプロセスです。

当時、どうしても創大へ進学したかった私は、学力や経済的な障壁を乗り越える戦いに挑みました。

高校時代には、合格していた国立大学ではなく創大へ進むことを決断したため、担任の先生から激しく反対されるという逆境も経験しました。

それでも自分の信念を貫き、創大への入学を果たしました。その後、大学のパンフレットに自身の活躍が掲載されると、担任の先生の態度が驚くほど一変し、心から喜んでくれました。

この時に培った、周囲の声に屈せず、結果で応えていく「負けじ魂」は、今も教育現場で挑戦を続ける私の基盤になっています。

✨卒業後も続く創大の絆

創大の最大の魅力は、「人とのつながり」だと思います。そして、そのつながりは卒業後も色あせることがありません。

卒業生の絆には、何年ぶりに再会しても、まるで昨日まで一緒に過ごしていたかのように本音で語り合える、不思議な温かさがあります。私が夫を亡くし、シングルマザーとして奮闘する中でも、その絆に何度も支えてもらいました。

創大で出会った仲間とのつながりは、卒業して終わるものではありません。生涯にわたる、かけがえのない宝だと感じています。

✨同窓生へのメッセージ

全国に広がる10万人もの同窓の皆さんに、私は深い感謝を感じています。

社会のさまざまな分野で、また、それぞれの苦境の中で懸命に戦い、活躍している同窓生の姿を知るたびに、私自身も計り知れない勇気と元気をもらっています。

「皆様、本当にありがとうございます」と伝えたいです。

また、感謝を伝えるとともに、私自身も、先輩、同期、そして後輩の皆さんに決して負けないよう、教育の現場で戦い続け、走り抜いていきたいと思います。

創大の看板を自ら背負い、目の前の一人を大切にする誠実な関わりを貫く。そして、福島の地で信頼される実証を示し続ける。

それが、同窓の仲間たちへの何よりの恩返しだと思っています。

好きだった創大の場所

「共同ホール」
鏡とバーのある共同ホールは、モダン以外にも他の舞踊系のクラブがあり、毎日使える場所ではありませんでした。当時モダンの部員が60名ほどおりましたから、ひしめく中で必死に練習した思い出の場所です。

好きだった食堂メニュー

「ロワールのチキンカツ定食」
ロワールのチキンカツ定食は美味しかったです。教育学部棟横の通称「うどん棟」もかなり利用しました。

※本ページに掲載している文章・写真等の無断転載、複製、改変、二次利用等を禁じます。