人間主義経営の精神を大切にしながら、金融とデータ分析の知識を身につける

2020年11月13日 12時28分

教員インタビュー!第11弾・志村先生に聞いてみました!

    ビジネスで重要性を増している
    金融と統計、データ分析


     私は「統計論」「ビジネス統計」「金融論」、英語による授業の「Financial Management」「Critical thinking in Business Strategy」などの課目とゼミを担当しています。
     近年、ビジネスの世界では、統計とそれに基づく分析、マーケティングの知識が必須となっています。では、統計とはどのような学問なのでしょうか。みなさんもよく知っている算数と比較してみましょう。まず算数における「1+1=2」という数式をみてみましょう。数式は誰が見ても明瞭で同じ解釈ができ、答えは一つです。例外はありません。とてもユニバーサル(普遍的)で美しいといえると思います。

     一方で、統計はどのような学問なのかというと、「1+1=?」です。どういうことかというと、統計では、得られた多くの情報の解釈の仕方が多数ある、ということなのです。単純に答えを出すことはできず、状況に応じた解釈や読解をする力が必要になります。もちろん、正解は1つではありません。
     でも、答えが1つではないからといって恐れることはありません。情報を多角的に捉え、客観的に分析し、説得する力を養えばよいのです。そのために、統計の本を読んで学ぶだけでなく、手を動かして感じたり、エクセルを使って実感するといった手法で学んでいきます。



    東京の下町出身
    高校生で米国に留学し、猛勉強の日々を送る

     
     私の専門は医療経済学、金融、データ分析(マーケティング)、そして人間主義経営です。高校生のみなさんには、こうした分野のイメージは湧きにくいかもしれません。私がこれらを専門に研究するようになった背景には、私の歩んできた道が大きく影響しています。
     私は、東京の上野にある商店街「アメヤ横丁」で生まれ育ちました。実家は年末の賑わいとしてテレビなどでも取り上げられる志村商店です。生前、母からは「商い(あきない)は飽きない(あきない)なんだから、あきらめないで挑戦することが大事」と教わり、商売の醍醐味と難しさを肌に感じて育ちました。
     18歳のとき、交換留学プログラムを通して米国テキサス州の公立高校へ編入し、その後、モンタナ州立大学へ進学しました。冬は氷点下30度以下にもなる環境に加え、単身入学だったので、周囲に日本人はまったくおらず、当初は英語でのコミュニケーションがうまくいかず苦労しました。

     しかし、苦しい家計のなか、親に無理を言って実現した留学生活です。このことを噛み締め、朝8時には大学に行って勉強をし、夕方に一度帰宅して、夕食後には図書館へ行き、閉館する夜11時まで勉強しました。もちろん、週末もみっちり勉強です。大学内での競争は大変厳しく、1年生の時には400人いたクラスメートが2年目には200人に、そして卒業時には30人になっていました。唯一の楽しみは、毎週日曜、友人とファミリーレストランで食べるパンケーキの食べ放題でした(笑)。その友人とは今でもFacebookでつながっています。
     その後、大学院の修士課程に進み、現在の人工知能の先がけともいえる、「人間の認知力とリレーショナルデータベース」について研究をしました。卒業後は米国の大手銀行に就職し、ニューヨークで勤務しました。日本に戻った後は複数の金融機関に席をおきました。そこでは統計を使った定量分析や小売業、消費財、そして、ヘルスケアの株式アナリストやポートフォリオマネージャーとして、20年ほど勤務しました。また、その間に、証券アナリスト協会検定会員、米国証券アナリスト、そして、米国公認会計士の資格を取得しました。
    リーマン・ショック後にリストラを経験
    学び続けて、51歳で博士号を取得


     2008年、世界規模の金融危機「リーマン・ショック」が起こります。その余波を受け、当時勤務していた証券会社からリストラにあいました。その時、脳裏に思い浮かんだのは、「いつかこのアメ横から博士が出て、見返してやりたい」という母の言葉でした。この言葉を胸に、46歳で東京大学大学院薬学研究科の博士後期課程に入学しました。当初は後発医薬品に関する研究をしていましたが、新しさにかけるということで、「製薬企業の研究開発生産性の測定」というテーマで、51歳のときに薬学の博士号を取得しました。
     米国の金融機関で証券アナリストとして働き、米国公認会計士の資格を持っていて、さらに薬学の博士号を取得している人は、まず他に知りません。「小さくても自分の山を見つけ、トップになろう」。そう決めて、コツコツとさまざまな知識を積み重ねて、現在に至ります。
    努力する癖、逃げない癖をつけ
    周囲に感謝できる人になろう


     私のゼミでは、何をテーマに研究をしてもよいということをモットーにしていて、研究テーマも学生たち自身で決めるようにしています。研究においては、2つの指針「『努力する癖』と『逃げない癖』をつける」と「報恩感謝」を掲げています。また、単に指針とするのではなく、「なぜ努力するのか」、「なぜ逃げてはいけないのか」、その理由を自分でしっかりと考え、答えを考えるように学生に伝えています。
     それと同時に「誰のために頑張るのか」と、その理由も見つけてほしいと思っています。ですから、学生には自分を支えてくれる家族、友人や先輩など、近くにいる人にこそ感謝の気持ちを持ってほしいと話しています。

     ゼミの中で私がもっとも大切にしているのは、ゼミ生との対話の時間です。ときには数時間かけて話し、涙したり、厳しい言葉が出たりすることもあります。目の前の一人を徹して大事にする、それが私がゼミの経営者としてできる『人間主義経営』だと思っています。
    深刻になる格差の拡大
    できることから社会を変えていこう


     今、世界各国で貧富の格差が拡大しています。私は研究のため、アフリカにあるエチオピアを訪れましたが、そこでも豊かな人々はより豊かになり、貧しい人々はますます貧困に苦しむ現実を目の当たりにしました。新型コロナウイルスの影響で、この経済格差の問題はより深刻になることでしょう。格差が深刻になれば、社会の分断もいっそう進みます。

     高校生のみなさんが社会に出るころ、日本でも格差が広がっているかもしれません。受験や就職でも、これまでにない困難なできごとに直面するかもしれません。でも努力を続けていけば、試練を切り拓く知恵は必ず生まれます。支えてくれる周囲の人たちに感謝を忘れずにいれば、自分にしかできない、大切な役割をはたしていけることでしょう。

     資格取得の勉強、読書、就活でも、なんでもよいでしょう。自分で決めたゴールに向けて、地道に、一つずつできることを積み重ね、社会をよりよく変えていきましょう。
    <ご経歴>
    志村 裕久准教授 プロフィール
    1986年 Montana State University Bachelor of Science in Computer Science
    1986年 Montana State University Bachelor of Science in Applied Mathematics
    1987年 Montana State University Master of Science in Computer Science
    2012年 東京大学 大学院 薬学研究科 博士課程後期終了 
    1987年 米国バンカース・トラスト銀行 入行
    2000年 ラザード・ジャパン・アセット・マネージメント株式会社 入社
    2004年 UBS証券株式会社 入社
    2009年 テンプル大学ジャパンキャンパス Adjunctive Professor 
    ページ公開日:2020年11月13日 12時28分
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