「核兵器のない世界」を実現するために。 日本のNGOで国内外の社会に働きかける
浅野 英男
核兵器廃絶日本NGO連絡会 事務局 職員
国際教養学部 国際教養学科 2019年3月卒業
高校時代に胸に思い描いた「核兵器のない世界」。その実現に向けて尽力できる国際人になるために、創価大学で国際関係論などを学びながら英語力を磨き、フルブライト奨学生としてアメリカの大学院へ留学した浅野英男さん。2023年末に大学院を卒業して帰国し、現在は核兵器廃絶日本NGO連絡会の事務局で日本と国際社会の両方を舞台に活躍しています。
核兵器廃絶日本NGO連絡会では、どんな仕事に携わっているのでしょうか。
核兵器廃絶日本NGO連絡会は市民団体かつ非営利の団体なので、限られた人数のスタッフで仕事をしています。そのため私の仕事は多岐にわたりますが、大きく2つに分けると1つが政治への働きかけ、もう1つが市民への働きかけとなります。
前者については外務省と意見交換会を行ったり、議員の方々と日本の核軍縮政策についての討論会などを開催したり、核軍縮に関連する国連での国際会議に向けて、政府に対する提言の作成などをしたりしています。上司が専門家として会議に出席する際には資料作成を手伝いますし、国連本部があるニューヨークやジュネーブ、ウィーンなどでの国際会議に現地で参加したりもします。
後者については、核兵器廃絶を目指す日本国内のNGO間で情報共有する場のセッティングや、講演会やイベントの開催などを通じた意識啓発の活動に取り組んでいます。そしてもう1つ、団体を運営するのに大切な資金調達も含めてあらゆる活動に関わっています。
核兵器の問題にはいつ頃、どういったきっかけで着目したのですか?
創価高校2年生の時に、創立者の「平和提言」を読んだことがきっかけです。「平和提言」の中で核廃絶が取り上げられており、この問題について自分で探究し、何らかの形でそれに貢献したいという気持ちが湧きました。大学時代には広島・長崎の両県に実際に足を運び、資料館などを訪れる中で、「この歴史を繰り返してはいけない」と強く思いました。また、核兵器が使われなかったとしても、その開発実験などで被害を受けてきた世界各地のコミュニティの歴史を学び、誰かの犠牲の上に成り立ってきた国際社会はおかしいと感じたことも自分にとって重要なきっかけでした。
ただ、なかなか社会の中で変化が見えにくい分野ですし、これを専門として就職することも簡単ではありません。「核兵器のない世界」の実現に貢献したいという思いで活動や勉強をする中で、心が折れそうになったこともありますが、そんな時には広島・長崎を訪れたときに感じたことや決意したことを書き記したメモを見返したり、原点に立ち返って、創立者に立てた誓いを思い返したりすることで自分を奮い立たせてきました。
アメリカの大学院に留学するにあたり、難関のフルブライト奨学生となっています。どのように努力されたのでしょうか。
フルブライトは本当に倍率が高いので、正直私も取れるとは思っていませんでした。他にもいくつも奨学金に応募しましたが全部落ちてしまって、「もう無理かもしれない」と諦めそうになりました。
しかし、自分を奮い立たせて書類を出し続け、フルブライトを獲得するに至りました。どうすれば合格できるか戦略を練り、一番力を入れたのが「自分の素直な思いをしっかり言語化する」ということです。原爆を投下した国であるアメリカでなぜ、あえて核兵器をなくす研究をしたいのかという自分の思い、さらにはどうすれば核兵器廃絶を現実の上で進められるのかを深めたいという問題意識もしっかり伝えられたことが結果に結びついたのではないかと思っています。
創価大学を卒業後にまず神戸大学の大学院に進学したのですが、そこで批判的安全保障研究をしている土佐弘之教授やロニー・アレキサンダー教授の下で学んだことを含め、面接官からは「あなたの経験と、この問題に対するパースペクティブに独自性がある」と評価していただき、私の可能性を感じてもらえたことが良かったのではないかと感じています。
アメリカでの学びについて教えてください。
ミドルベリー国際大学院に進学したのですが、この大学院のプログラムは、修士論文を書かない代わりに実務的な経験を学生に積ませることに力を入れていることに特色があります。そういう意味では神戸大学大学院をはじめ日本国内の大学院やアメリカの主要大学院のように、ずっと研究に没頭して論文を完成させるというような教育環境ではありませんでした。
そのため、自分の研究をしながら大学院の附属研究所であるジェームズ・マーティン不拡散研究所の研究助手として週に10〜20時間くらい働いていました。ここでは主に2つのプロジェクトに携わりました。1つ目はクリティカル・イシューズ・フォーラムという高校生を対象にした軍縮教育プロジェクトです。東西の創価学園も参加しているこのプロジェクトは米・日(数年前までロシアも)の高校生たちが核軍縮に関するプロジェクトを自分たちで実施し、その成果をミドルベリー国際大学院で発表するというものです。もう1つは研究プロジェクトで、ヨーロッパ諸国が、加速する中国の核開発をどう受け止めているかというテーマについて、専門家の研究アシスタントとして研究プロジェクトに参加していました。また、夏休み期間には米国のワシントンDCにある核脅威イニシアティブという研究機関で専門家チームと一緒に働く機会にも恵まれました。
とはいえ、大学院の課題の量も多く、卒業にあたっては長いレポートを提出しなければいけなかったので、勉強と仕事を両立させるのは大変でした。
アメリカの大学院への留学に不安はありませんでしたか?
もちろん不安もたくさんありましたが、創価大学の国際教養学部は全員が海外留学を経験します。そのときに次いで、今回は2回目の渡米だったので、ある程度どんな生活になるのかイメージができていました。英語についてはやはり苦戦したところはたくさんありましたが、学部の授業が全て英語だったことが自分の力になってくれたと思います。学部時代に、自分が専攻する国際政治学や国際関係論に関連する文献などを実際に英語で読み、それに関するレクチャーを教授陣から英語で受け、英語でディスカッションをしたという経験が自分の土台になったと強く感じています。
専門分野を英語で勉強するのとしないのとでは、非常に大きな違いがあると感じています。それを大学の学部生のときに体験できるのは、創価大学の国際教養学部ならではの学びだったのではないかと思います。専門的な分野に関しての英語に慣れていることで、大学院への進学や留学すること自体にも二の足を踏まずに済みましたし、留学後も力をくれたように思っています。
今後の目標について教えてください。
現在日本は、核兵器の開発・保有・使用を一切禁じる「核兵器禁止条約」に参加していません。核兵器の保有国が参加していないためその実効力を日本政府が疑問視しているためです。また、日本とアメリカとが同盟関係にあり、アメリカの核の傘に依存する政策をとっていることもその理由だと考えられています。ただ、政府はこうした立場を堅持していますが、広島や長崎をはじめ、世界各地のヒバクシャを中心とした活動の結晶として核兵器禁止条約が成立し、その支持が国際社会の中で着実に広がり、大きなうねりをつくっています。そこに私たち一人ひとり、そして日本がどう加わっていけるのか真剣に議論し、行動を起こすべきだと思っています。
先ほど、私の仕事として政治への働きかけと市民への働きかけの2つがあると話しましたが、政治家だけが社会を変えるわけではありません。むしろ国民の後押しを受けてはじめて、政府や政治家も核兵器のない世界へのリーダーシップを発揮していける。ですから、私個人としても、核兵器廃絶日本NGO連絡会としても、最終的には日本が核兵器禁止条約に参加し、核なき世界をリードしていくことを目標に、市民の皆さんと手を携えながら、目の前にあるステップを一つひとつクリアしていきたいと考えています。
[好きな言葉]
「柔らかな心であり続けられる強さ」――1番大切な強さ。
[性格]粘り強い
[趣味]読書、銭湯・岩盤浴、散歩
[最近読んだ本]僕の仕事は、世界を平和にすること。/川崎哲