元成剛さん

<いま、どんなお仕事をされていますか?>
 

横浜市役所での4年間の勤務を経て、2020年、外務省専門職員採用試験に合格し、2021年4月から、外務省で外務事務官として勤務しています。1年目である現在は、研修生という位置付けで、初めの半年は中国やモンゴルとの政治関係等を扱う部署(中国・モンゴル第一課)で勤務し、現在は、海外でのテロ等に関する日本人の安全対策や保護を扱う部署(邦人テロ対策室)に所属しています。研修生とはいうものの、オン・ザ・ジョブ・トレーニングで、実務を身に付けるため、朝から晩まで必死に働く毎日です。


<現在の仕事のやりがいを教えて下さい>
 

研修生の日々の業務として、課全体の業務が円滑に回るよう、主に総務案件の処理を行っています。その一環として、まだまだ先輩職員のお手伝いレベルですが、国会・報道対応、議員からの依頼への対応などもあり、ニュース等でやっているような、外交、政治案件の舞台裏を垣間見ることができます。

仕事の内容は日々の国内情勢、世界情勢に逐一左右される中、機敏に対応を求められる業務もあり、仕事量は多く、スピードも求められます。不慣れな中、もみくちゃになりながらも全身全霊でぶつかっていく中で、日々、自身の成長を実感できています。

また、連日、深夜までの仕事をものともせず、突発案件にも冷静かつスピーディに対応している先輩職員の立居振る舞い、仕事の仕方を間近で見ることができ、折に触れて、実際の外交の現場での体験を伺えることは、大変勉強になっています。


<現在の仕事を目指したきっかけはありますか?>
 

創大時代は、中国語ダブル・ディグリーコースに所属し、北京への3年間の留学を経験しました。本来は2年間のコースでしたが、中国での生活が気に入り、さらに私費で1年間、留学を延長しました。この間に、同コースで留学した創大の友人達と切磋琢磨し、北京語言大学に在籍している183ヵ国からの留学生が集うキャンパスで生活し、彼らと交流する中で、世界の広さを感じていきました。そして、中国語という武器を手に入れることができました。元々は、人付き合いがあまり得意ではなく、本を読んでいるのが好きな内向的な性格でした。しかし、中国での経験を通して、人間関係の大切さを学ぶと同時に、現実の世界の多様性、ダイナミックさに飛び込んで行きたくなり、「外交官になりたい」と、漠然と考えたのがきっかけでした。

<学生時代、文学部での授業やゼミで印象深い思い出はありますか?>
 

創大では主に、中国語ダブル・ディグリーコース関係の授業を取り、中国語関係のゼミに所属していました。中国語のゼミや授業の雰囲気は温かく、和気あいあいとしていました。教授の先生方もクラスメートもみんな優しく声をかけてくださり、人付き合いが苦手だった私も、次第に馴染んでいくことができました。

特に、中国語ダブル・ディグリーコースの設立に携わり、授業やゼミも受け持ってくださった高橋強先生は、とてもご多忙の身にも関わらず、一つ一つの授業で、学生との触れ合いに心を砕いておられたのが印象的でした。私の留学中の困難や、外交官試験の受験にあたっては、相談に乗ってくださり、進みたい道を応援してくださいました。様々ご迷惑をおかけしてしまいましたが、大変に有難いと思っております。

その他、印象深い思い出として、当時、1年目の学生が年度を通して所属した少人数の「基礎ゼミ」では、故・山崎純一先生が担当してくださり、高校時代、ほぼ不登校だった私を、いつも温かく激励し、見守ってくださいました。先生のお人柄を、今でも偲びながら、日々、頑張っています。また、同ゼミでは、当時から外交官を目指し、後に共に試験を受験することになる友人と知り合い、刺激を受けることができました。当時、自分はまだ外交官になろうと意識したことはありませんでしたが、留学中に私が受験を思い立ち、ふと彼に連絡した際、「帰国したら、ルームシェアをして一緒に勉強しよう」と言ってくれ、試験の様々な情報や、人間関係を実に気前よく紹介してくれました。彼との出会いが、私の今の進路に繋がっていったと感じています。

中国語ダブル・ディグリー・コースのクラスメートと

<大学時代の学びが生きていると感じることはありますか?>
 

直接的には、大学時代に中国語という武器を手に入れたことが、今の進路に繋がっていると思います。しかし、それ以上に、大学時代の様々な挑戦(留学、音楽バンドや中国語コンテストへの積極的な参加、留学期間の延長、外交官試験の受験等)を通して、「あきらめないこと」「自分の生き方を模索すること」を学んだと考えています。また、それは一人でできることではなく、家族、友人、先輩、先生方の温かい応援の上に成り立っていること(=「感謝」)も身を通して学ばせていただきました。

現在も、まだまだ未熟で、成長途中ですが、仕事をする上でも、私的な生活の場面でも、「前向きに悩み抜くこと」、「感謝を忘れないこと」の2点は、自身の思考の根幹であり、生きる上での基本的な姿勢になっていると思います。

<創価大学文学部の魅力はなんだと思いますか?>
 

「温かい」の一言に尽きると思います。教授の先生方は、創立者の「学生第一」の理念のとおり、とてもよく面倒を見てくださり、学生たちも安心して、それぞれの個性やキャラクターを包み隠さずに表現できる土壌があったと感じています。

また、創大文学部は、人生の「トランポリン」のようだった、と感じています。自分のように、高校時代に不登校や挫折を経験した人間が、心機一転、もう一度挑戦を始められる場所だったと感じています。本人がそれなりの苦労を覚悟して、やる気さえあれば、今の実力がどうあれ、みんなが応援し、支えてくれました。



<これからの目標を教えてください!>

外務省には通訳官制度というのがあり、語学力の優れた中堅職員は、総理大臣や外務大臣などが国際会議に出席する際、要人会談を行う際の通訳を担います。当面の目標としては、この総理通訳を目指したいと考えています。今年の6月から2年間、外務省の入省後の研修制度である在外研修のため、中国の大学(もしくは院)への留学の機会が与えられます。そこで中国語や専門性をさらに磨き、その後大使館・領事館での館務に就く中で、仕事のやり方を覚え、総理通訳に相応しい実力を身に付けたいです。

また、長期的な目標としては、やはり、中国の専門家として省内外で認められる、一流の外交官になっていきたいと考えています。
 


<文学部生へ一言>
 

世間では、「専門性が求められる今の時代に、なぜ文学部なのか」などと言われがちです。しかし、専門性以前に、「人間としての力」を磨いていくことが、名聞名利ではなく、地に足を着けて、人生を最後まで走り抜いていく上で大切なのではないかと考えています。

文学とは辛く苦しい人生への解釈の中で生まれるものであり、「文学部人間学科」という名称には、どこまでも「人間」、つまり人生と世界に対し、正面から向き合い、価値を創造していくんだという意味が込められているものと拝します。「文学部人間学科」と名付けられた際、創立者が贈ってくださった以下の指針には、それが端的に表れていると思います。

 

文学部人間学科三指針(2007.4.2)

一.生命の尊厳の探究者たれ!

一.人類を結ぶ世界市民たれ!

一.人間主義の勝利の指導者たれ!

 

この指針を胸に、私たち文学部生は、日々、青春の挑戦を重ね、自身の殻を破って行きましょう!

創価大学 文学の池

<未来の文学部生(受験生)へ一言>
 

今、文学部受験を志されている人の中には、大変な環境の中で、苦労し勉強している人がいると思います。また、頑張りたい気持ちはあるのに、思うように勉強が進まず、苦しんでいる人もいると思います。

そんな中でも、日々、少しでも前へ進んでいけるように、創立者の言葉を贈ります。

 

「苦悩がないことが幸せなのではない。負けないこと、耐えられることが、幸せである。重圧を受け、「あの人は大変だ」と周りから言われても、平然と、また悠然と、使命の道を歩み抜くことだ。幸福は、忍耐という大地に咲く花であることを忘れまい。これが、本当の人間としての歩み方なのである。」

 

また、中には受験をして、不合格になってしまう人もいるかもしれません。しかし、創立者は、「大学は、大学に行けなかった人たちのためにあるのだ」と繰り返されています。一度は同じ創大を受験した者同士、進路は違っても、同じ心で、お互いを大切に思い、進んでいけたらいいなと思います。

いずれにせよ、「勝つことよりも、負けないこと」が大切だと思います。目先の結果がどうあれ、今いる場所で、人には見えない努力をひたむきに続ければ、必ず、思いもかけなかった道が開かれていくはずです。

受験生のみなさん、いつか、どこかでお会いしましょう。どうか、最後まであきらめず、頑張ってください!

勤務先にて
  • キャンパスガイド2023文学部
  • 英語DD
  • 中国語DD
  • 【留学日記】イギリス・バッキンガム大学 夏期語学研修
  • 【留学日記】インド・セントスティーブンカレッジ 春季語学研修