鈴木真一郎さん
<いま、どんなお仕事をされていますか?>
日本の伝統楽器・箏(こと)の演奏をしています。
箏演奏グループ「和音」のほか箏・和太鼓・津軽三味線による和楽器グループ「縁」に参加しており、全国各地でのコンサートへの出演、お正月やイベントでの演奏のほか、ヴォーカルやダンスなど他のアーティストのサポート出演などもしています。また、演奏だけでなく作編曲もしており、コンサートや結婚式・舞台音楽の担当などもしています。
<現在の仕事のやりがいを教えて下さい>
やはり演奏をしている上でのやりがいと言えばお客さまに喜んでいただけることです。お客さまに面と向かって「ありがとうございます」と言っていただける職業はあまりない気がします。
また、結婚式は特にそうですが、お客さまの晴れの日に演奏という形で関わるのはこちらも幸せやパワーを分けてもらえます。
<現在の仕事を目指したきっかけはありますか?>
この仕事をしているとよく「お箏は小さい頃からされていたんですか?」と聞かれるのですが、私が箏に出会ったのは高校の部活動(箏曲部)です。
それまでの音楽経験といえば音楽の授業でリコーダーを吹く程度でしたが、箏曲部での体験はそれまでの人生で一番濃密なものでした。楽器を演奏する楽しさ・合奏する楽しさ・練習した分だけそれが音になって表れるという経験に取り憑かれるようにこの楽器にのめり込んだのを覚えています。
高校を卒業する際に、現在「和音」のパートナーであり創価高校・創価大学の先輩でもある菊池伸城さんから「一緒に演奏活動してみないか」と声をかけられそのままこの世界に入ってしまいました。
いま思えばもっといろいろと考えて始めるべきだったとも思いますが、とにかく「好き」というそれだけの理由で演奏活動を始めました。ただこの仕事をしている人たちは、音楽にかぎらず「何かを好き」という気持ちやエネルギーが特に強い人たちが多いと、周りを見ていて思います。
<学生時代、文学部での授業やゼミで印象深い思い出はありますか?>
当時、「近代文学」を教えてくださった清水茂雄先生の文学散歩は印象に残っています。
都内には文人ゆかりの土地も多く、墓地や生家などを先生と受講生10人ほどで何度か巡りました。
授業で学んだ文学者の足跡をたどることで、実際彼らがどういう環境で作品を生んでいたかということを町の音や空気感を通じて知れたことはとても深い学びにつながりました。特に寺田寅彦の「団栗」という短編に出てくる小石川植物園を歩いたときは短編の内容が実際の情景として迫ってきたのを覚えています。歩きながら清水先生といろいろな話をしたのも今では貴重な思い出です。
<大学時代の学びが生きていると感じることはありますか?>
「多様性」や「分断」という言葉がよく聞かれるようになった昨今、「他者と自分の違い」ということについてよく考えるようになりました。
分かり合えない対象を敵とするのは簡単ですが、「相互理解」は人間としての文化的な生活には欠かせませんし、何より違う考え方を受け入れることは自分の成長に繋がります。
小説や映画・絵画・詩・音楽・お笑いといったさまざまな表現の受け取り方は、その読み手の思想や体験に基づいたその人ならではの解釈となり、10人いれば10通りあります。どんな読み方をしてもすべて正解です。さまざまな解釈のあり方を肯定することは、すなわち他者と自分との違いを認め合うことであり、この世界をそのまま受け入れることではないでしょうか。それを学ぶことができるのが文学部だと思います。
私が「近代文学」の授業で学んだ「解釈の多様性」はそのまま「人間の多様性」「文化の多様性」に理解につながっています。
<創価大学文学部の魅力はなんだと思いますか?>
私が創価大学で学んでよかったと思えることはまわりの学生たちとの出会いです。
先ほどもお話した菊池先輩の言葉を借りることになるのですが、創価大学は世界の最高学府であり、それも単なるIQ(知能指数)の高さではなくEQの高さで世界最高です。EQとは、いま世界中で新しい基準として広まっている考え方で「心の知能指数」ともいうべきものだそうです。
私の在学当時の仲間たちもそうでしたが、みな自身の哲学を持って或いは内面への探究心を持って学びに打ち込んでいました。そうした学生たちとともに学べるというのが創価大学ならではの価値ではないでしょうか。
さらに言えば文学部が扱うのは人生を豊かにする学問分野です。文学や哲学・美術・人文科学など、人間というものを深く知ろうとする学問にほかなりません。そこに集まる学生は一癖も二癖もある個性的な人も多いでしょう。しかし、そうした仲間たちとともに学ぶことで、時には衝突し、様々な経験を重ねていく中で、みなさんの人間性は幾重にも膨らみ、一層魅力的で奥行きのある人格を形成してくれると思います。
<これからの目標を教えてください!>
大学の時にもっとちゃんとやっておくべきだったと思うことに語学の習得があります。現在、英語と中国語を主に勉強しています。将来は海外で生活・活動してみたいという気持ちがあるので、その時のためにやっと準備し始めたという感じです。結局はいくつになっても学びは大切なのだと最近改めて気づかされました……。
<文学部生へ一言>
高校の頃、先輩から言われたことで今でもよく覚えているのが「大学に行くのは、大学に行けなかった人のため」という言葉です。
もちろん学んだことは自分の力になりますが、その学びを何のために、また誰のために活かすのか。常に「何のため」と自分に問いながらみなさんは勉強してください。
バイトにしても勉強にしても「何のため」を考えて取り組むことで、ただ「お金を稼ぐ」「単位を取る」以外の目的が見つかり、自分を成長させてくれるでしょう。法学部や経済経営にくらべると文学部で学ぶことは、直接実業や商売に結びつかないことも多いと思います。だからこそ「何のため」を見失わず取り組むことが大事だとは思います。
<未来の文学部生(受験生)へ一言>
みなさんの年頃が人生でもいちばん悩み深い時期ではないかと思います。私も高校時代は本当に人間関係や自分の内面への悩みが尽きませんでした。例えば私が腹を立てている時、友人が同じように憤慨してくれないことには気が済まなかったし、私のことは誰も理解してくれないと絶望もしていました。しかし、その感情も今ではかけがえのない自分自身の一部だったと実感します。
文学部生はとりわけ自らなにかを表現しようとする人で、詩や小説など文学・音楽・お笑い等の分野に携わる人にも共通することですが、あなたは世界にただ一人の誰にも侵されようのないあなた自身だということを忘れないでください。
どんな悩みもやがてあなたを形づくっていく愛すべき一面になるでしょう。表現者にとってはそれが大切なあなたの個性として育っていきます。
ともかくもみなさんは自身の感性を大事に、また周りの先輩や先生の言うことを素直に聞いて、勉強や趣味やバイトなどに一生懸命励んでください。