サンディエゴでたくさんのキセキに遭遇。自称“人生のマスタープラン”をもがきながらも謳歌中!

松永 亮 経営学部4年

幼い頃からバスケットボールとヒップホップが大好きだった松永亮さんにとって、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴはまさに憧れの地。ガソリンスタンドのおじさんが“Welcome to heaven!(ようこそ天国へ!)”と話しかけてくる地上の楽園のような町にある、全米TOP20に入る名門カリフォルニア大学サンディエゴ校付属の語学プログラムで英語を学びました。日焼けしながら芝生の上で教科書を読む学生、サーフボードを持ち上半身裸でキャンパスを歩いている学生がそこら中に。映画で見たような夢の世界・・・ところが!夢のような場所で、まったく謳歌できない日々が続き、英語は上達しない、アメリカンライフは授業とホームステイ先の往復のみ、なんとか1年間は留学したいと思っていたものの、3ヶ月で留学終了の危機などなど、次々と夢が崩れていくような現実に遭遇。しかし、そこからが松永さんの本領発揮。最終的には、英語上達も、ヒップホップの夢も、高級住宅での暮らしも、アメリカ横断も叶えました。また帰国後には、友人がアルバムを発売し、松永さんの名前も、一緒に作成した曲と共に世に出て、まさかのラッパーデビュー。外資系コンサルティング会社でのインターンシップで即採用され内々定、起業も果たし現在は代表取締役、と驚くべき快進撃が続きます。何がどうしてそうなったのか(笑)、松永さんに話を聞きました。

就職に、代表取締役就任に、ラッパーデビューにと、様々本当におめでとうございます!

ありがとうございます!こんなことになるなんて自分は想像もしていませんでした。大学入学当初は、頭でっかちで、どれくらい頭でっかちかというと、高校2年生で哲学オリンピアードに出場し国内銀賞をとるような(笑)、知識もあり弁も立つが、他人に同苦するどころか思いやることもできないような自分でした。ヒップホップのラッパーになることを夢見ながら、父が自営業だったことで、経営者を目指し、大学で学ぶ中で、いきなり経営者になるのはリスキーだと知り、コンサルタントを考えるようになりました。キャリアセンターで「ラッパーになりたくて、経営者にもなりたくて、MBAも取りたいんです」と相談したところ、冷静さと確信を持って「まず就職しなさい」と。「就職して、力をつけて、人脈を作って、奨学金を返して、まずはそこから」と。あまりにもその通りでしたので、返す言葉もなく、“思いはあるけれど力が足りないラッパー”や“経営者といっても名ばかりの人”ではいけないと、大学卒業後はまず就職、とそこで決めました。その自分の将来を開いていく一歩として、希望に夢を膨らませて臨んだのがアメリカ留学でした。

アメリカ西海岸、一年中暖かく、年間通して10日間ほどしか雨の降らない地上の楽園。見るもの全てが最高にかっこよく、思い描いた通りの風景が広がっていました。ところが・・・夢のような場所で、夢とはかけ離れた自分の状況に、全く充実しない日々が悶々と続くことになってしまって、かなり落ち込みました。英語のプログラムが、創価大学で学んだ方が何倍も効果的だと思うようなレベルであったこと、ホームステイ先が大学から1時間も離れていて、なおかつ最終バスが19時には終わってしまうので、クラスメイト達とパーティに参加することもできませんでした。ホームステイ先に帰って食事をしたら、部屋に入って、英語の勉強。せっかくアメリカにいても、友人も作れず、一人静かに勉強している日々に、むなしさすら感じました。そうこうするうちに、父から「3ヶ月以上留学を続けさせることは無理だ」と連絡が。授業料が1ターム3ヶ月で40万円以上かかり、まとまった金額を支払うことは困難な状況でした。不完全燃焼のままアメリカを去るしかないのか、それともここで踏ん張るかという窮地に追い込まれました。

ロサンゼルスでラッパー仲間と
ロサンゼルスでラッパー仲間と

そのきつい状況から何がどうして変化していったのでしょうか?

移り住んだ月6万円のマンション
移り住んだ月6万円のマンション

まずは、踏ん張ることに決めました。関西創価高校出身の私の体に染み付いていた校歌の中にもある“負けじ魂”がふつふつと湧いてきました。そうしたら、ひょんな事から、夜間に開講されているビジネスクラスの存在を知り、ビザの滞在許可がもらえる月4万円という格安の英語学校を見つけ、それまでの何倍も学びの内容は濃くなり、格段に安い価格で学ぶことが可能になりました。そして、大学から離れたホームステイ先の契約が切れ、なんと、ネットですごい家を見つけたんです。ロケーションは大学から10分、1階にドアマンがいて扉を開けてくれ、プール、テニスコート、バスケットコート、トレーニングジム、バーベキュースペース、ジャグジーまでついているどうみても超高級住宅に移り住むことができたんです。家賃は月6万円です!踏ん張ることに決めたと共に、私の留学生活は全く違ったものになりました。
そして、私にとってもっとも大きかったことは、人との出会いでした。まず、私の生活に変化を起したのは、今や大親友のマークとの出会いです。ホームステイ先の裏に住んでいたDJに、自分はヒップホップのMCだと自己紹介をしたことから、マークと知り合うことになり彼のユーストリーム上の動画チャンネルに日本人ラッパーとして登場することになりました。マークは、ハリウッドで映像編集の仕事をしていて、スパイダーマンや、トランスフォーマーなどにも関わっていた人です。その動画を見たマークの友人のラッパーであるラメルが僕に興味を持ってくれ、一緒に曲を作るまでになり、そのラメルがラッパーデビューして、一緒に作った曲がアルバムに収録されたことで、私もラッパーデビューすることになりました。マークは、こんなすごい機会を作ってくれただけでなく、あらゆる場面で励まし続けてくれた本当にかけがえのない友人です。

引越してから出会ったのは、ジェフさんという壮年の方でした。彼の言葉にはいつも温かさと力強さがあり、何かと“リストを作れ”と言います。何がしたいのか、何を達成したいのか、どうありたいのかなどなど、明確にするためにリストを作れと。あまりに言うので、“アメリカ横断”をリストに入れてみました。金銭的にも、日程的にも全く実現する見込みはありませんでしたが、書いたらやってみたくなって、やってみたくなったら、体が動いていました。車の入手が一番のネックになっていたのですが、最終的には、留学生だけに特別に破格の値段で貸してくれるというレンタカーショップを見つけ、フォード社のフュージョンという車の最新モデルに1ヶ月13万円で借りられることになり、アメリカ横断をすることができました。サンディエゴを出て、ラスベガス、コロラド、中部を抜けてシカゴ、デトロイト、そして東海岸のニューヨーク。そこから上に上りボストンに向かい、帰りはもう一度ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンD.C.そして南部のアトランタ、ニューオーリンズ、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナと通ってサンディエゴに帰ってくる合計5週間におよぶ往復横断旅行です。

ジェフさん家族と撮影
ジェフさん家族と

アメリカ横断、様々な出来事があったようですが、強いて一つ上げるとしたら・・・?

カーター所長の所長室
カーター所長の所長室

素晴らしい時間でしたし、多くを見て、たくさんのことを感じましたので、そのうち一つというのは難しいですが、実は創価大学のすごさを知った出来事がありました。それは、アトランタにあるモアハウス大学を訪れた時のことです。せっかくアトランタに来たし、創大の学術交流校で、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアの母校でもあるモアハウス大学に行ってみようということになったんです。足を踏み入れたとたんに、見るからに自分たちはよそ者でしたので、“何しに来たんだ!”と怪訝な顔で学生に声を掛けられました。思わず“創価大学から来た”というと、その瞬間“オー、ブラザー!!”と大変な変わりようで、“兄弟!”とまで呼ばれました。そうして、あれよあれよと学生たちが周りに集り、いつの間にか、自分たちを案内してくれる担当まで決められました。案内の学生たちに連れられてキャンパスを散策しながら、できたらカーター所長に会えたらと、思い切って聞いてみると、“もちろん、カーター所長のところに連れていくつもりだよ”と。ローレンス・カーター所長は、キング牧師の非暴力闘争、人権闘争を継ぐ人であり、キング牧師、インドのマハトマ・ガンジー、そして創大創立者池田先生の3名の平和への闘争を伝える展示を提唱した方です。

モアハウス大学マーチン・ルーサー・キング・ジュニア国際チャペルから創立者の池田先生に「文化的多様性および教育のためのグローバル大使賞」が贈られた時には、式典に、同チャペルのカーター所長をはじめ、マハトマ・ガンジーの令孫アルン・ガンジー氏やキング博士の令息マーチン・ルーサー・キング3世博士ら多数の来賓が列席しました。講演も精力的にこなす方で、人権について学びたいという思いもあって、アメリカに行きましたので、カーター所長に会えたらすごいなと思いました。学生たちにとってもすごく大きな存在のようで、連れていってくれた学生たちも、所長の所に行くことを少し緊張していましたし、初めてだと言う学生もいました。ありがたいことに、所長はその日キャンパスにいて、お会いすることができました。創大から来たことを告げると、部屋を案内し、歓待してくださいました。部屋の壁は隙間がないほどに、歴史的にみても貴重な写真の数々が飾られており、ひときわ大きな写真が、“ガンジー・キング・イケダ展”のポスターに使用されている3人の写真でした。この経験から、何かあったらとりあえず、“創価大学から来た”と言ってみようと思うようになりました(笑)。一緒に横断した島川君もニューヨークで、“創価大学から来た”と言って、すごい経験ができたと言ってました(笑)。
また、このアメリカ横断の中で、悩んでいた進路についても、活路を見出すことができ、自称“人生のマスタープラン”を練り上げることができました。就職活動の時期、外資系コンサルへの挑戦、起業、MBAの取得、そして30歳で本当の勝負に臨もうというプランです。

夜間のビジネスクラスにて撮影
夜間のビジネスクラスにて

MBAの取得以外、すでにマスターフプラン通りに完遂したということですね。

ニューヨークのヒッピホップグループBUNDIAと撮影
ニューヨークのヒッピホップグループBUNDIAと

ジェフさんに感謝です。最近では何でもこうしてリスト化して、可視化して、行動に移すという一連の流れが、当たり前になりました(笑)。ただスムーズに行っていたかというと全然そんなことはないんです。日本に戻ってから、あまりにもアメリカの生活が心地よさ過ぎて、日本の就職活動が嫌で嫌で、真剣に自分のやりたいことを考えると「フリーのカメラマンになって世界中を回ろう」とか「ラッパーになってヒップホップで食べよう」と、そんな突拍子もない考えばかり出てきました(笑)。そんな中で転機となったのは、夏に行われたコンサルティング会社の説明会でした。そこで登壇されたコンサルタントの方が、他のどのコンサルタントとも違う雰囲気で、まさに自分の理想とするような経歴に、思わず一目ぼれしてしまいました。そこからその会社のインターンシップに申し込み、なんと嬉しいことに、グループ分けされた自分のグループに、あの一目ぼれした社員さんがメンターとして担当についてくれることになりました。

インターンシップは、実際に社が手掛けている案件に対して、グループで改善提案を行うもので、2週間に1回のペースで、約2ヶ月にわたり行われました。実際に担当の方が手掛けている案件でもあり、私たちが考えつくような対策案は、何度も“すでにやってる”“本当にそれでお客さんが満足するのか?”と一蹴されました。事前に成績優秀者にはそのまま採用の本選考に進めるとの話がありましたが、自分はこのメンターから学べるものはなんでもとただただがむしゃらに全力で取り組みました。ダメ元で臨んだインターンの最終プレゼンでしたが、終了後本選考に呼んでいただき、面接に臨み、面接翌日には戦略コンサルタントとして内々定をいただきました。その後、株式会社を法人登記し、法的には代表取締役にもなりました。正直、自分も動揺するほどの展開ではありましたが、自称マスタープランは、残すところMBAのみとなりました。

最後に一言、どうぞ。

UCSDの図書館
UCSDの図書館

アメリカでの留学体験、人との出会い、就職活動の葛藤が自分を大きく成長させてくれたと思っています。頭でっかちで、人を思いやることもできなかった自分が、心から人を大切に思える自分になり、“誰かのために”と行動できる自分になりました。人生、行き詰ってからが勝負なんだ、自分が思っている以上の可能性が自分にはあるんだと知りました。代表取締役としては、CSRに関連したビジネスを進めています。そして、最も学んだことは、どちらもやりたくて迷った時に、二者択一ではなく、どちらもできる道をまず探してみるということです。アメリカ横断中、留学を続けるか、就職活動の時期を考慮し帰国するかと悩み続けていた自分に、島川君が言ってくれました。“それ、どっちか選ばなあかんの?”と。目の前が開けました(笑)。物理的にないないずくしでも、安価な高級住宅は存在し、格安な高級自動車のレンタルはあるもので、宿泊場所を提供してくれる親友も、食事を提供してくれるブラザーも、不思議と現れるものなんだなと。

なので、まず“あきらめない!”そして“心のままに、わがままに生きる“と決めました。わがままって悪い言葉な印象がありますけど、”我がまま“つまり自分に素直になることだと思うんです。”こうしなきゃいけない“”これはしてはいけない“という生き方から”こうしたい“という生き方に変えると言い訳や愚痴がなくなりました。留学の延長もアメリカの横断も私のわがままです。でもそのわがままを叶える力が人間にはあるし、道はいくらでもひらけます。そしてわがままになることで、人に迷惑をかけたり、自分だけ幸せになればいいと思ったりする“小さな我”から多くの人の幸せを願える“大きな我”に成長できます。後者のわがままは大いにけっこうですよね。卒業まで、あと半年。多くの刺激に溢れるこの創大キャンパスで、マスタープランも残りMBAだけになってしまいましたので(笑)、ブラッシュアップして、もっと大胆に自分に挑戦していきたいと思っています!

ニューヨークにて島川君と撮影
ニューヨークにて島川君と
まつなが あきら Akira Matsunaga

[好きな言葉]
Where there is a will, there is a way (意思のあるところに道はある)
[性格]
論理的かつ感動しい
[趣味]
バスケットボール、ヒップホップ、思索と詩作 
[最近読んだ本]
『ソフィーの世界』、『「普通がいい」という病』、『二十一世紀への対話』
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