入学時に自信がなかった自分が、今、自信を持って社会に出る!

清水 綾佳 経済学部4年生

思うようにいかなかった高校時代。いつしか“人一倍努力をしても、自分は結果を出せない人間なんだと思うようになりました”と語ったのは、第一志望だった外資系コンサルタント会社に就職の内定を決めた清水さん。
高校は進学校で、周囲は東京大学、京都大学はじめ有名国公立大学へと進学する友人ばかり。部活はバスケットボール部に所属し、信頼を買われ副部長となるも、技術が伴わず、レギュラーになれない副部長。“勉強でも部活でも、やりきれない”、そんな葛藤の中、3.11の東日本大震災後の余震が続く東京の創価大学へ。創価大学へは高校2年生の時にも、オープンキャンパスに来たと言います。“みんなが本当にきらきらしていて、先輩もキャンパスにも感動。他大学のオープンキャンパスにも行きましたが、段違いに創大が素晴らしかった。でも、偏差値が低く、それが正直、不安でした”という清水さん。直面したのが、レベルの高い同級生と授業。“嬉しい誤算ではありましたが、再び自信を失いました”と。そんな清水さんが、経済学部のインターナショナルプログラム(IP)、フィリピン留学、インターンシップ、ISFJ日本政策学生会議でゼミのメンバーと部門優勝と、大学での様々な経験の中で、仲間に支えられ大きく変わりました。清水さんに話を聞きました。

就職内定、おめでとうございます!

ホームステイ先ファミリーと創価大学で

ありがとうございます!創価大学で出会った多くの素晴らしい友人たちの支えがあって、今の自分がいると感じています。就職の説明会に行って、自信を失った時も、論文大会に共に挑んだゼミの友人たちが励ましてくれました。なぜ自信をなくしたのかと堀り下げてくれ、“チームの中で一番成長したのは綾佳なんだからっ!”と励ましてくれました。
この4年間、高校から合わせると7年間、立て続けにボロボロでした。自分も懸命に努力をしてきましたが、それと共に創大で出会った自分を認めてくれる仲間の存在のおかげで、今の自分がいます。創価大学に来て、本当によかった。感謝でいっぱいです!

立て続けにボロボロとは?

日本政策学生会議に臨んだチームのメンバーと

“自信がない”というのが大きくて、というか自信をなくすような結果や現状に苦しむことが多かったです。努力が実を結ばないタイプというか、勉強でも部活でも、自分なりに精一杯の努力をしても、目指す結果が得られないことばかりでした。高校で部活動としてバスケットボール部に所属していました。まじめに練習に取り組む姿に、キャプテンになった友人が私を副部長に指名してくれました。ところが、スキルが伴わずレギュラーにもなれない副部長。レギュラーとそうではない部員との橋渡し役をしながら、全力でベンチから応援するのが、私にできた精一杯でした。

そして受験。進学校でしたので、友人たちは東大、京大をはじめ、有名国公私立大学に進学していきました。私も国公立大学を目指しましたが不合格。人一倍勉強してきた自負がありましたので、ショックでした。部活もだめ、勉強もだめ、いつしか、人一倍努力をしても、自分は結果を出せない人間なんだと思うようになりました。そんな落ちこんだ状況の中で創価大学に、入学しました。偏差値でしか判断しない自分でしたから、授業や学生はきっとレベルが高くないのではと思っていたんです。それがです・・・!英語で経済学部を学ぶIP(インターナショナルプログラム)での学びがスタートしたとたん、一気に自信を失うほどの高いレベルの授業ととても優秀な学生たちに出会ったんです。

留学前に大学のみんなからサプライズ
ホームステイ先の家族が東京に遊びに来てくれた様子

実際、自分の力のなさに、完全に自信を失ってしまいました。でも2年間踏ん張って、良き仲間と素晴らしい教授陣に囲まれ、自分でもわかるほどに力を付けることができました。そして3年生の1年間、フィリピンに私費留学をしました。最初の6ヶ月間はホームステイ先の近くにあった小さなカレッジで学び、現地の教授から“英語が母国語でない日本人の学生がこんなにもできるのに、君たちはなんだ。もっとしっかり頑張りなさい!”と授業で言われるほど、私、成績がとても良かったんです(笑)。IPで学んだ力を実感して、本当に嬉しかったです。その後の6ヶ月間は創価大学とも学術交流を結ぶアテネオ大学で学びました。

大変だったのは、現地の授業や生活ではなく、インターンシップでした。そのインターンシップで課せられたのは“問題を発見して、企画・提案しなさい”というものでした。是非ともやってみたいと応募して始めたわけですが、これが、何もできなくて。毎日何もできないわけです。なので、毎日怒られました。8ヶ月間ですよ。本当に悔しかった。最終的には、一緒に働いていた方々の協力もいただいて、売り場に新たな5品を置いて、うち一品を完売するという成果をだすことはできましたが、8ヶ月間でそれだけでした。心の底から、力を付けなくてはいけないと思いました。おかげで、帰国後、ゼミで必死に学ぶ原動力になりました。そして、そのゼミでの学びや結果、そして友情が自分自身を大きく開くものとなりました。

留学先の友人たちとバタットという観光地に遊びに

ゼミがブレイクスルーのきっかけとなったのですね?

日本政策学生会議表彰式後ゼミのみんなと

そうです。とは言っても、最初はもう、ゼミの中で劣等生です。同期はみんな優秀な人揃い、議論で一言の発言もできない自分だったんです。。。
私が所属をしたのは、高橋一郎教授のゼミでした。高橋ゼミは、ISFJ日本政策学生会議の論文大会に、6年位前から挑戦をしており、私たちの1つ上の先輩方は部門優勝を果たしました。論文作成のためにリサーチをし、実際の労働の現場に足を運び、現場を見て、意見を聞いてという活発な研究活動になりますので、そういう積極的な学びを求めて優秀な学生たちが集ります。

留学中のインターンシップでほとんど何もできなかった悔しさをバネに、何としても力を付けようと、やる気満々でゼミをスタートしたわけですが、議論に参加すらできなかったわけです(泣)。でも、自分には力がないと分かっていたので、落ち込むというよりは、そこから一生懸命に本を読んで学んでいきました。まっ、がんばるしかなかったんですよね(笑)。そうやって努力を繰り返す中で、ある時、ゼミの議論で意見を言える自分になっていました。嬉しかったのは、皆が自分の努力を知ってくれていて、さらには、自分が言った意見を、“その通りだね!”と受け入れ、論文にも反映してくれたんです。素直にうれしかったです。その時からです。“やれば結果は出る!”と、自分を信じられるようになったのは。大げさに聞こえるかも知れませんが、その時、私の世界は180度変わりました。全ては、がんばりを認めてくれた仲間がいたからです。そして、みんなで挑んだISFJの論文大会で部門優勝をすることができました!

日本政策学生会議での最終プレゼン風景

これからについて聞かせてください。

フィリピンで最初に通った大学で

就職内定先から、簿記2級とTOEIC900点を取得するように言われていますので、そこに挑戦します。これまででしたら、絶対に無理だと思っていましたが、今は前向きに勉強ができます。ゼミの学びを通して“やれば結果は出る!”と思えたことが大きいのと、フィリピンで、恵まれない環境の中で、日々少額の小銭を貯めながら大学を目指すような人たちと出会ったことも大きいです。学ぶことが許されている自分が必死に学ばなければ申し訳ないと思うようになったんです。フィリピンでの激しい貧富の差、ゴミ山の子供たち、支えるNGO・NPOの方々の存在、貧困と向き合う大学の学び。そして自分自身のこれまでの経験の全てが、就職内定先のコンサルタントという道へと繋がっていったように思います。

最後に一言お願いします。

就職決定した際にお世話になった先輩がお祝いを

創大に入学をした直後に、あるイベントに参加をして、その際に小さなしおりをもらいまいた。そこには創立者池田先生の言葉が書かれていました。“夢と現実を結ぶ橋は努力である”。その時から、自信を失ったり、落ち込んだりしても、常にこの言葉を抱きしめて努力を続けてきました。今、本当に、この言葉の通りだと思うんです。そして、もう一つ。3.11の大震災で入学式がなかった私たちのために、創立者が贈ってくださった、“私は絶対に負けない 父母のために わが友人のために そして恩師のために”との指針。なぜこうして踏ん張ってくることができたのかを思ったとき、この創立者の言葉の通り、家族の、友人の、そして創立者はじめ教授陣の支えがあったからで、そのみなさんに応えたいとの思いが、苦しくとも負けさせなかったのだなと。入学時には想像もできなかったような自分の姿に家族も喜んでくれていますし、私自身が何より驚き、感謝でいっぱいです。本当に創価大学に来てよかった!さらにさらに力を付けて、社会に還元し、貢献していきます!

しみず あやか Ayaka Shimizu

[好きな言葉]
  • 「夢と現実を結ぶ橋は努力である」
[性格]
  • 明るい、負けず嫌い
[趣味]
  • 読書、友人との会話
[最近読んだ本]
  • 三枝匡著 『プロフェッショナル戦略』
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