中国の子どもたちを本気で育成したいと思ったとき、創価教育を学ぶことを決意。今創価大学で教鞭をとりながら中国との架け橋に。

董 芳勝 教育学部児童教育学科准教授

董准教授が、交流校の創価小学校の子どもたちと出会ったのは、中国の名門、鄧穎超女史が教鞭を執られていたことで知られる北京第一実験小学校で教員を務めていたとき。中国の子どもたちとも、日本の他の学校の子どもたちとも違う、希望に溢れ、思いやりに溢れた創価小学校の子どもたちの姿に関心を持ったと言います。同小学校で「音楽科目」の担当をしていた董准教授が常に心掛けていたことが、子どもたちの幸せと、子どもたちに音楽を楽しんでもらうこと。その心は、子どもや保護者の方々にも伝わり評判となり、通常10年かかる高級教師に異例の3年で昇進。その後、中国少年先鋒隊(中国における人材グループ)の補助員として、全学の子どもたちの思想教育の担当に任じられました。北京師範大学で世界中の教育学を学んできた董准教授が、子どもたちの人格を育成する任を受けた時に、頭によぎったのは、創価小学校の子どもたちの姿。“中国でも、あのような子どもたちを育てなくては”と、国に申し出、子どもたちのためにと創価教育を学ぶ許可を得たといいます。
北京第一実験小学校の教諭の職と給料を保ちながら本学の日本語別科で日本語を学び、その後日本の文部科学省の国費留学生として大阪教育大学修士課程、兵庫教育大学連合大学院博士課程に進学し、東大阪市教育委員会帰国児童生徒指導員(講師)を務め、現在本学で教鞭を。
追い求めてきた歌手の夢と教育者の道も繋がり、今では、創価大学で教鞭を執り、中国の大学との教育交流の中心者としても活躍されています。そんな董准教授に話を聞きました。
<div style="text-align: right;"><span style="color:#808080;"><span style="font-size:14px;">※掲載内容は取材当時のものです。</span></span></div>

創価大学教育学部は、2015年度に、中国の首都師範大学と学部間交流協定を結びました。中国の学生たちが本学で研修を行うなど、早速活発な交流が展開されていますね。

北京第一実験小学校教員時代、子どもたちと

中国の学生たちに「創価教育」というものを感じてほしいと思ってきましたので、こうした交流を通し、中国の学生たちが“子どもの幸福のための教育”という本学の教育哲学に触れてもらえることを嬉しく思います。昨年(2015年)7月に2週間の研修を受けた首都師範大学の学生たちからは、次のような感想が寄せられたと聞きました。
「中国にもさまざまな教育哲学がありますが、それが理論のみならず実践されているかというと、教育に携わろうという私たちにとって大きな課題です。それが、創価大学に来てから感じるのは、学生第一、生徒の幸せが第一といった“創価教育”の哲学が理論として存在しているのではなく、学生の人生哲学へと昇華されていることです。これはすごいことだと思います。何がそれを可能とさせているのかを是非もっと研究していきたいです」

「創価大学は名実共にグローバルな大学です。学生や教員も様々なバックグラウンドを持つ方々が集っていて、しかもとても調和がとれていて平和的。異なる文化や人々とのコミュニケーションの取り方にも優れています。出会った瞬間から笑顔で接してくれ、私の存在を尊重してくれていると感じます。ここに来てから、私はとても幸せを感じます。是非博士課程は創価大学で学びたいです!」「創価大学創立者の池田先生がされた1996年の平和提言に“Imaginative Empathy”との言葉がありました。創価大学には、“Imaginative Empathy”が存在しています。相手に思いをはせた共感、自分の視点からの共感ではなく、相手の立場に立って共感することのできる人々に出会いました。いかにそうした自分になり、また将来そうした生徒を育んでいけるか、大変に示唆に富んだ研修となりました」と。
教育を志す学生たちのまっすぐな気持ちが伝わってくる言葉ですよね。私が、「創価教育」を学びたいと思った時のことを思い出します。

本年(2016年)3月に行った首都師範大学での本学学生の研修にて

先生は、創価大学に「創価教育」を学ぶために留学されたんですね。

本学別科生時代、創大祭にて

そうです。中国少年先鋒隊という将来中国を担っていく人材の子どもたちの思想教育の担当を命じられたとき、人格を育成するなら、創価教育のような教育をしなければいけないと思ったんです。なぜかというと、私は鄧穎超女史も働かれていた北京第一実験小学校という中国の名門の小学校で教鞭を取っていたんですが、その学校が創価小学校と交流を持っており、私も創価小学校の生徒たちと直接会う機会がありました。彼らは、中国の子どもたちとも、日本の他の小学校の子どもたちとも違っていました。明るくて、希望に溢れていて、他者への思いやりがありました。中国の子どもたちにも、そういう子どもに育ってほしいと思うようになりました。
北京第一実験小学校の当時の校長にそのことを話すと、「それは、創価教育の影響があるね」と言われたんです。それが、創価教育を学びたいと思ったきっかけでした。そして校長や国の高等教育局にも相談したところ、“是非、学んで来てください”と言われ、創価大学に北京第一実験小学校での職と給料を保ちながら留学させてもらいました。

「創価教育」については学園生との出会い以前から知っていらっしゃったそうですね。

ゼミ生との卒業旅行

私は、北京師範大学で教育学を学んでいましたので、デューイやペスタロッチをはじめ、世界の教育学について研究をしました。その中で創価教育の存在についても学びました。また、クラスに創価大学からの留学生もいて、後に奥さんとなる彼女からも創価教育について聞くことができました。創価大学創立者の池田大作先生については、さらに遡って、中学生の時に新聞で知りました。
中国には、「中国青年報」という青少年向けの新聞があり、自分が中学生の時に、その新聞紙上で、池田先生が「国連平和賞」を受賞されたと知りました。日本人である池田先生が受賞された快挙に、“戦争を起こした日本の人がもらえるなんて、どれほどすごい人なんだろうか”と驚き、鮮明に記憶に残りました。その人物と創価教育が結びつきました。

当時、先生はプロの歌手を目指されていたんですよね。

大阪での教員時代

そうです。アマチュア歌手として、北京市内の大学で歌ったり、日中友好音楽祭では、北京市内の大学生を代表して、出演したりもしていました。日中友好音楽祭には日本からは酒井法子さんがいらっしゃっていました。そこで、日本語で歌を歌ってはと言われたのが、留学生としてきていた後の奥さんと様々話をするようになったきっかけなのですが、彼女に日本語の歌詞の発音とかを教えてもらいました。プロの歌手になれば、親を楽にさせてあげられるという思いもありましたし、家族の期待も背負っていました。私の子どもの頃が「文化大革命」の時で、うちは地主だったこともあり、それまで仲良くしていた近所の人たちみんなから外を歩けば血だらけになるほど殴られ、いじめられました。父はいつも血だらけで帰ってきました。私もなぐられました。母はいつも泣いていました。苦しい時を家族で必死に支え合いながら、乗り越えてきました。家族を楽にしてあげたい気持ちは人一倍だったと思います。と共に「平和」を求める気持ちも人一倍強くなっていったのだと思います。
留学生の彼女から『私の人間学』という池田先生の書籍の中国語版を貸してもらって読んだ時に、「私の最後の事業は“教育”である」との文章に出会いました。進路を悩んでいた時でもあり、とても考えさせられました。彼女のゼミの担当教員であった木全教授が中国で行われた社会教育学の学会に来られた際に懇談してもらい、自分が学んできた教育というものが池田先生がそう言われるほどのものであることに気付かされ、自分も教育に掛けてみたいと思うようになりました。創価大学で日本語を学んだ後は、教育と音楽の可能性を追求するため、「音楽教育専攻」のある大阪教育大学修士課程に進学しました。

音楽と教育が繋がったんですね。

授業にて学生たちと

はい、私の主な研究テーマは「実戦学的視点による音楽科教育の研究」で、ゼミのテーマは「音楽教育実践学の視点による人間教育の研究」です。創価大学で毎年夏に行われる公開講座である夏季大学講座では、毎年多くの方に参加いただき、「音楽」の講座を開いています。音楽で伝えることができるもの、伝わるもの、音楽の心といった講義を交えながら、参加者全員で歌います。私は日本に来てから多くのことを学びました。
関西で過ごした時には、地域の合唱団に入りました。皆プロではありませんし、実力にも大いにバラツキがありました。正直言って、ヘタでした(笑)。

でも、忘れられない出来事が起こりました。阪神大震災直後に仮設住宅に伺い合唱団の皆で歌を歌わせてもらいました。ヘタな歌にもかかわらず、聴いている人たちはみんな泣いていました。歌はヘタでも、合唱団の皆が被災者の皆さんを思う心が伝わったんです。歌に込める気持ちの大切さや、歌う自分の心を磨くことの大切さを学びました。創価大学での学びや創価教育の哲学というのは、大事な人間の核となる部分を育むものだと思います。
創価大学で驚いたことの一つは、自分のことだけを一生懸命にやるということが主流ではないということです。勉強以外のクラブ活動や行事の運営など、何かしらプラスαがあります。中国では、自分のためなら一生懸命やりますが、そうでなければやりません。自分の出世のためにならないことをやるなんて考えられないです。でも、慣れるまでは疑問でしたが、やってみると、後になって自分の人生にプラスになるということが分かるようになりました。創大生は原動力と行動が違います。

ゼミの誕生日会にて

最後に一言どうぞ。

故郷、江西省大余県にて

人生で経験した様々なことが一つになって、今創価大学で自分が願っていた全てが叶っていると感じます。文化大革命の時代を通していじめられたことで、平和を求める自分になりました。だからこそ、日本人で国連平和賞をいただいた創価大学創立者の池田先生をすごいと思いましたし、その創立者の書籍に出会い、教育者を志し、創価小学校の生徒たちと出会い、創価教育を学ぶことになり、日本に来ました。プロの歌手を目指していた自分が、今、音楽教育の専門家として、学生の育成にあたり、創価教育を学ぼうと決意したきっかけである、中国の子どもたちの育成というところでは、大学間の交流を通して中国の教育者を目指す大学生、大学院生たちに創価教育を伝えることができています。
音楽を通して、私たちは様々な感情を経験します。自分の感情がわかると、他人の感情が分かるようになります。小さい頃の地域ぐるみでいじめられていたとき、何度もやり返したいと思いました。でも母から「やりかえしたら、相手も同じ痛みを感じることになるよ。そして向こうもやり返してやるとムキになるんだよ」と言われて諭されてきました。中国の学生が感じた“Imaginative empathy”という創価大学に流れ通う他者を思いやる心、世界から悲惨の二字をなくそうと、世界の平和のためにと力を付けようと努力を惜しまない学生たちに、私は無限の希望を感じます。自分が今創価大学にいる意味と使命を噛み締めて、私自身も心を磨き続け、学生の育成に全力で取り組んでいきます。

とう ほうしょう Houshou Tou

[好きな言葉]
心こそ大切
[性格]
鈍感、プラス思考
[趣味]
将棋
[最近読んだ本]
樋口裕一著『音楽で人は輝く-愛と対立のクラシック』(集英社)
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