Vol.05

思い描ける夢は、必ず実現できる。―女子学生初!航空管制官試験に現役合格!

中村 芙味香 文学部人間学科4年

創価大学の現役女子学生では初となる航空管制官試験に合格した中村芙味香さん。平坦な道ではなかった学生生活を歩みながら、環境に振り回されず、自分自身と向き合い続けた。「自分にとって一番自分らしい姿でいられることが一番幸せです」そう語る中村さんは、創大進学を機に、漠然とした夢をより具現化する道を歩むこととなる。
今回は、自分が好きなことを、大学生活を礎に夢を実現する力へと変えていった中村さんに話を聞きました。

中村さんが創価大学への進学を決めた理由を教えてください。

入学式にてお父さんと記念の一枚

入学式にてお父さんと記念の一枚

私が通っていた高校では、地元の国公立大進学が主流でした。実際に同級生の大半が地元で進学し、就職もしています。なので、私も地元の大学に行って、地元に就職して、地元で生活をする、という考えがなんとなくあったのは事実です。
しかし、いざ進路を決める時に迷いが出てきました。もともと航空業界で、客室乗務員やグランドスタッフとして働きたい、という漠然とした夢がありました。実際、それは英語を勉強しようと思ったきっかけでもあったので、留学に挑戦してみたい気持ちがだんだんと強くなっていきました。そんな私の気持ちを察してか、両親から、「創価大学で学んでみたら?」と言われました。そこで、創価大学のホームページを調べてみると、世界中からたくさんの留学生を受け入れていることや、海外への留学制度が充実していることを知りました。当時、英語に力を入れていた私にとって、創価大学は魅力的に映りました。留学のチャンスがあり、海外交流も盛んで、視野を大きく広げられる、その思いから進学を決めたのです。
 

入学して学びたい視野が広がったそうですが、何がきっかけでしたか?

英語力を伸ばすため、英語ダブル・ディグリーコースで学び、イギリスのバッキンガム大学に留学して、創価大学とバッキンガム大学、双方の学士号を取得したいと思っていました。しかし、選考基準にあるTOEICの点数に当時の実力が及んでいなかったので、出願することができませんでした。英語一直線で志願した文学部だったのでショックでした。それでも、くよくよせず、方向転換して中国語コースで学ぶことを決めました。今、振り返ると、この選択が、それからの自分の人生を大きく変えるきっかけになったのかもしれません。

中国語という新たな言語を選択されたのはなぜですが?

入学後に、ダブル・ディグリーコースの英語・中国語合同の説明会がありました。もちろん、私は英語コースの話が聞きたくて参加したのですが、意外にも興味を持ったのは中国語コースでした。実際に中国へ行った先輩方のプレゼンがすごく心に響いたのです。当時は尖閣諸島の問題など、何かと日中関係がニュースで取り沙汰されていました。しかし、先輩方が話す中国の状況は、テレビを通して見るものとはまったく違って映りました。これを機に、中国に興味を抱くようになり、中国語を学ぶ後押しにもなりました。
実際、創価大学には英語に触れられる環境が十分整っており、あえて授業で学ぶのであれば、新たに興味を持った中国語に挑戦したいという思いもありました。

3年次には交換留学生として中国の東北師範大学に留学をされましたね。

東北師範大学の前で
東北師範大学の前で

そうです。実は、中国に興味を持つきっかけとなった中国語ダブル・ディグリーコースの選考試験に合格することができなかったので、交換留学生として中国・吉林省にある東北師範大学に留学しました。徹して語学と中国文化を学びたいと思い、あまり日本人が行かない場所をあえて選びました。大学のある長春市は、昔、日本が満州国として占領した場所です。私には少し勇気がいる地域でした。当初は、語学と文化を学んで帰れば十分かなと思っていました。しかし、現地に行くと、たくさん友達ができて、親切に面倒をみてくれたり、ご飯を作ってくれたり、家に招待してくれたり、数々のおもてなしを受ける中で、友情を深め合い、中国が大好きになりました。

留学先ではどんなことが思い出に残っていますか?

留学時のクラスメイトと中国観光
留学時のクラスメイトと中国観光

長春市は、札幌市と同じくらいの緯度に位置していて、冬になると平均気温がマイナス10℃以下になるんです!暖房がしっかりしているので室内は半袖で過ごせましたが、外に出ると寒いというより、痛いという感覚で、鼻水やまつ毛が凍ったりしました(笑)。私は鹿児島生まれ鹿児島育ちだったので、極寒の中での生活は本当に新鮮でした。また、吉林省は朝鮮半島と隣接していて、朝鮮族の方がたくさん住んでいる地域です。言語も中国語、ハングルを駆使するバイリンガルな方ばかり!留学先でもクラスメイトは韓国人ばかりで、日本人は私一人という状況でした。午前中は授業があり、中国語を勉強しました。午後は課題を終わらせて、独学でハングルを勉強しました。なぜかというとハングルが出来なければ、生活が成り立たない状況だったからです。事務手続きを行うときも、日常会話も、さらには授業中の話し合いでさえもハングルが主流でした。韓国に留学に来たんじゃないかと感じるぐらい(笑)。ある時、授業中に日本語でノートを取っている私の姿を見て、クラスメイトから「日本人だったの?」と間違えられるぐらい現地の皆さんに馴染みながら留学生活を送っていました。

留学生活を通してどんなことを学びましたか?

一つは、戦時中に中国が日本から受けた残虐な行為を、実際に現地に行くことで、自分の目で見て、肌で感じて、そして出会った友人たちの捉え方を知り、日本人の目線だけでなく、第三者の目線で俯瞰して見られるようになったと思います。中国・韓国・日本という3か国の繋がりを感じることができた留学でした。
もう一つは、心を通い合わせる友人がたくさん出来たことです。今でも毎日のように連絡をとっています。中国人とか韓国人という枠を超えて、何でも話せる友達です。この仲間と出会えたことが一生の宝だと思っています。本学の創立者がこれまでに築いてくださった中国との友情の歴史、交流の歴史があるからこそ、今こうして友情を深め、恵まれた環境で学ぶことが出来るんだと感じ、この歴史をさらに繋ぎ広げていきたいという自覚が芽生えました。
 

帰国後はどのように進路に向かって挑戦をされましたか?

当初は、帰国後すぐに就職活動をして、4年で卒業する予定でした。しかし、いざ始めてみると、自分の武器は何なのか、これから何をしていきたいのか、とても悩みました。留学で貴重な経験をたくさん積み、吸収したのに咀嚼する間もなく、時の流れに焦っている自分がいて、前に進めなくなってしまったのです。そこで私が出した結論は休学でした。両親は反対しましたが、長い人生を考えると、今、じっくり人生と向き合い、考える時間が私には必要だと思い、決断しました。後に両親も私の心を理解し、応援してくれました。そして、今の進路を目指すことになったのです。

ドラマでも話題になった「航空管制官」。どうして目指そうと思ったのですか?

物心ついたときから、空港は行くだけで胸が高鳴るほど好きな場所でした。客室乗務員やグランドスタッフになることが漠然とした夢ではありました。しかし、大学生活、留学生活を振り返る中で、そのような華々しい舞台ではなく、陰で 誰かのために、何かのために、コツコツと地道にやっていくことが「自分らしさ」であることに気付きました。
またある時、自己分析のために受けた適正試験で、自分に空間認知能力が備わっていることを知りました。意識はしていませんでしたが、この結果を受けて、図形を考えることや、地図を見ることが得意であることを再認識しました。思い返せば、留学中も地図を見て、中国人を案内したこともありました(笑)。その時に「航空管制官」という仕事を知ったのです。空には線路を敷くことや、ルートを書くことができないため、どう空間を認知して、地上から安全に飛行機を誘導するかというのが航空管制官の役割です。そして、飛行機を安全に飛ばすことが第一のため、チームワークや各所との密な連携が大事な仕事です。
じっくり自分自身と向き合う中で、あらためて自分の強みを認識できたとともに、新しい出会いや挑戦の中で、環境に適応する力と協調性を身につけることができた自分に気付きました。そして、難関ではありましたが、夢の実現へ向けて挑戦したいという気持ちが固まり、受験を決めました。

そして見事、現役女子学生では初となる航空管制官試験の合格、おめでとうございます!

支えてくれた友人たち
支えてくれた友人たち

ありがとうございます。不安ばかりの挑戦でしたが、絶対に1回で合格してみせる!もう来年は無いんだ!と気持ちで自分を追い込み、管制官になって、新しい歴史を切り開く!と毎日、自己暗示のように強く意識していました。1日7時間~10時間、必死に勉強しました。もともと周りと切磋琢磨して目標突破を目指すタイプですが、採用試験は孤独に頑張らざるを得ませんでした。不安でどうしようもなく、精神的にきつく感じる時もありましたが、そんな時ほど、家族や友人にSOSを出して手厚く支えてもらい、なんとか食らいついて勉強しました。友人には常に不安を漏らしていましたが、みんな温かく「ふうちゃんなら大丈夫」と励ましてくれました。母は、私のモチベーションが落ちるとすぐに鼓舞してくれ、気合いを維持できました。父は、自分を追い込んでいく私に「たとえ落ちてもまた来年チャレンジすればいいんだよ。だから最後まで諦めないで」と、信じて応援してくれました。

もともと周りの人に対して、自分の感情を表に出さない性格でもあるので、本当につらいときに、素直に“つらい”と伝えられるようになれたことは、自分の中で成長した部分だと感じています。支えてくれたすべての方に感謝の気持ちでいっぱいです。
4月からは国土交通省の航空保安大学校の研修生(入学生)として、8ヶ月間、勉強して、その後、現場に赴任となります。昨年、航空管制官になった先輩が「今、人生で一番勉強している」と言っていました。正直、こんなに勉強したのに、“これからまだするの?”という気持ちもありますが、それ以上に楽しみでもあります。
これまで私を信じて応援し、支えてくれた皆さんに、立派な管制官として活躍することで恩返ししていきたいです。

励まし応援してくれたお母さんと
励まし応援してくれたお母さんと

中村さんの溢れるバイタリティーはどこからくるのでしょうか。

私の性格なのかもしれませんが、とにかく好奇心旺盛で、新しいこと、好きなことはとことんやるタイプです。
中国に興味を持ったことから、中国語を学び、留学に行きました。そして、K-POP好きという趣味が高じて、1年次に始めたハングルですが、韓国の友人との交流でさらにのめり込み、今では韓国のドラマやバラエティを字幕なしでも理解できるようになりました。また、クラブではパン・アフリカン友好会に所属し、スワヒリ語でアフリカの歌を歌い、ダンスも踊りました。全部好きなことです。好きだからこそ自然とチャレンジできたのだと思います。実際、管制官の面接試験でも、学生時代の話をすると、面接官の方が大変興味を持ってくださいました。これもすべては、創価大学という環境に自分がいることで、常に周りの友人から刺激を受け、そして、自分が思い描いた状況と違っても、自分の力へと転換できるようになれたからではないかと感じます。すべての経験が、自分自身の本来持っている可能性を引き出すエネルギーに自然と変わっていきました。すべてに感謝です!

最後にこれからの目標を教えてください!

私の大学生活は、中国語やハングルの世界に飛び込んだり、管制官の道を志したり、自分の好きだと思うことを存分に、やってきました。また、好きなことを押し広げていける環境が創大にはありました。この経験を通し、“これだ!”と思い描ける夢は、必ず実現できるということを実感しています。これから社会に出ると、様々な環境の変化で、好きなことすら嫌になってしまうことがあるかもしれません。しかし、自分のおかれた環境を最大限に生かして、挑戦していく気持ちを忘れないようにしていきたいです。そして、4月から始まる研修でも全力で勉強して、空の安全に貢献できる人材に成長していきます!

なかむら ふみか Fumika Nakamura

[好きな言葉]
英知を磨くはなんのため 君よそれを忘るるな

[性格]
少し図太い A型だけどO型気味

[趣味]
音楽・映画鑑賞

[最近読んだ本]
女性抄
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