世界で虐げられ、忘れ去られている人々を支えたい!ーグローバルに活躍する人権のスペシャリストを目指して

将来は、人権のスペシャリストとして、グローバルに活躍する“人権弁護士”になると決意しています。――そう語るのは、法学部4年・岡部エミリー直美さん。彼女は、日系アメリカ人としてカリフォルニア州で生まれ育ち、創価大学への進学を機に来日。法学部46期として入学しました。
昨年9月からは大学を休学し、“人権の最前線から、人々の生命の尊厳に寄り添う”というテーマを掲げ、南アフリカ共和国、アメリカ、スイスを訪問。現在は、ジュネーブにある国連OHCHR本部で、夢の実現に向けてインターンシップを行っています。
今回の創大Daysでは、世界を舞台に挑戦する岡部さんに、人権弁護士を目指した理由や創大進学のきっかけ、大学生活の挑戦などを伺いました。
まずは、人権弁護士になろうと思ったきっかけを教えてください!
フィリピンでの現地調査の様子
私が人権弁護士を目指すきっかけとなったのは、大学2年次に受けた授業でした。資本主義システムの下で生じる経済格差を学ぶ中で、「持っている者と持たざる者」の関係性に憤りと怒りを感じるようになりました。そして、そのシステムの中で生きる人間の行動そのものが、戦争、貧困、環境問題、難民問題などを生み出しているという事実を知りました。利益を生み出すためなら手段を選ばず、たとえ人々が不幸になろうが構わない。また、巨大な社会の法定の犠牲となって苦しんでいる人々の存在を知りながらも、自分達にはどうすることも出来ないと諦めている。私は、“そんな傍観者にはなりたくない”、“何とかして抵抗する力や闘い方を見つけたい”と思うようになり、将来は人権を中心に活動したいと考えるようになりました。
この思いを決定づけたのは、大学3年を目前に控えた春、所属していた国際連合学生連盟の研究で、友人と2人で東南アジア4カ国を訪れ、実際に労働現場を調査して回った時です。支援団体も受け入れ団体もない状況でしたが、現地の人々の声を直接聞き、自分の目で現実を確認し肌で感じることを目的に、現地の友人にガイドしてもらいながら、現地調査を行いました。
フィリピンでは、大手企業のストライキ現場の基地で労働者に話を伺いました。10年以上も劣悪な労働環境の改善を訴え続けているにもかかわらず、全く改善されないことに対する怒りと、それでも諦めずに変革を実現させるという強い覚悟を感じました。また、大規模な労働ユニオン(KMU)の幹部の話や、大統領に対抗して正当な労働環境を整えるだけではなく、庶民の足とも言われる安いバス「ジープニー」の廃止計画反対運動などの話を聞くことができました。ゴミ山スモーキーマウンテンでは、圧倒的な貧困と格差を目の当たりにして言葉を失いました。世界の不条理を痛感し怒りを覚えました。
何よりも心に残っているのが、何の資格もないただの大学生に対して、真剣に親切に説明してくれた方々の姿です。涙を堪えながら話される苦しく辛い体験談を、ただただノートを取りながら聴くことしかできない無力な自分に、悔しさで手が震え、涙をグッとこらえたのを忘れることができません。この時に感じた無力感と悔しさから、私は人権を侵害され抵抗できずに苦しんでいる人々に対して、“直接、形ある方法で現状を変えられる力をつけたい”と強く思うようになりました。これが、法律を武器として闘える人権弁護士になりたいと心が決まった理由です。
去年の秋からは、その夢の実現に向け、「トビタテ!留学JAPAN」の10期生として留学しているんですよね。
4年生の秋学期から1年間休学をし、一人ひとりの人間の尊厳を大切にする社会の実現を目指し、基本的人権を確保するためのアプローチを探求したいと決意し、南アフリカ、アメリカ、スイスで活動をしています。
昨年9月から3カ月間は、アパルトヘイトが行われていた歴史がある南アフリカを訪れ、政府の人権機関(NHRI)である南アフリカ人権委員会で、人権弁護士の下でリーガルインターンシップを行いました。その後、アメリカ・カルフォルニア州で弁護士をしている、スティーブン・バックリン氏の下で、アメリカの弁護士の仕事、そして、法律制度に関して学びました。
そして今は、スイスのジュネーブにある国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)で、国際連合の人権の専門家の下でインターンシップを行っています。OHCHRとは、1993年に設立された国連の人権に特化した機関で、人権享受の普遍的な促進や人権に関わる国際協力の促進を担っている部署です。人権侵害が行われている現場だけではなく、国連という国際レベルでも、人権侵害に対する対抗の手段を学んでいます。
学びの連続で、目まぐるしい毎日ですが、人権問題に取り組む方々と共に活動させてもらう中で、時には理想と現実のギャップに思い悩みながらも、これらの経験を活かして“人権をベースにグローバルに活動する弁護士になる”と、さらに決意を深めさせてもらっています。

南アフリカの人権委員会のスタッフと
これまでも、数多くのことに挑戦されてきたんですよね。まずは、学内での活動について教えてください!
学内では、和太鼓部である滝山太鼓や、国際学生寮「万葉国際寮」のレジダンス・アシスタント(RA)などに取り組んできました。中でも特に、自分のグローバルマインドセットの原点となったのが、キャリアセンターが主催するグローバル人材の育成を目的とした学部横断型の課外講座「グローバルリーダーズカレッジ(GLC)」です。私は11期生として、OB・OGの方々から指導をいただきながら、高い志を持つ同期と共に、創立者が言われる「創造的人間」と「地球市民」について学びを深め、社会で活躍するために必要なスキルを学びました。そして、世界で起きている問題や課題について、どうすれば本質を捉え解決していけるのかと、皆で議論を重ね続けました。世界の反対側で会ったこともない人々の抱える問題に対して、他人事として捉えるのではなく当事者意識を持ち続けること、そして、世界を見続けることの重要性を学びました。
学外ではどのようなことに挑戦されたんですか?
学内での学びを活かし、学外でも視野を広げようと、さまざまなことに挑戦しました。
2017年の夏には、「第63回国際学生会議」や中国の北京で行われた国連主催の「日中韓ユースフォーラム」に参加。翌2018年は、「第64回国際学生会議」で副代表を務め、外務省・文科省・NGOなどの方々に掛け合いながら政策定言の作成のプロセスをリードしました。2018年1月から2019年6月までは、世界最大級の人権NGOである「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」でのインターンシップに参加し、国内外を含む様々な人権侵害に関してのリサーチと、政府に向けたアドボカシー活動のサポートを行いました。同時期には、日本国連協会の学生部である「日本国際連合学生連盟(UNSAJ)」の理事長を務め、実際に東南アジア4カ国を回って労働問題について研究し提言書を作成しました。

また、アルゼンチンで開催された「G(irls)20 Summit 国際女性会議」にも、日本代表として参加することができました。2019年度は、持続可能な社会に向けての「ジャパンユースプラットフォーム(JYPS)」の事務局長を勤め、民主的な若者の政治参加に関して活動しました。
これらの活動の中、外務省に招かれ、史上最年少でノーベル平和賞を受賞した、マララ ユスフザイさんにお会いする機会をいただきました。彼女は私と同じ歳とは思えないほど、堂々と自分の主張を力強く世界に訴え続けている女性でした。その姿に、私も自分にしか出来ない方法で行動していける人になりたいと、さらに決意しました。
積極的に挑戦し続けてこられた岡部さんが、あえて日本の創価大学へ進学した理由は何だったんでしょうか。
きっかけは、母に連れられて参加した“オープンキャンパス”でした。創大への進学は考えていなかったのですが、訪れた際に、「他者の幸福のために」という大きな目標と高い志を持ちながら、自分にしか果たせない使命を果たそうとするたくさんの創大生に出会い、世界が変わって見えるほどの衝撃を受けました。私はその時、“この様な考えをもつ人間を育成できる教育とは、一体何だろう”と不思議に思いました。
というのも、アメリカの競争の厳しい資本主義社会の中で育った私は、「高学歴」「高収入」が社会から認められる指標であり、“成功の道”だと教えられ、 その道をたどるためにアメリカの一流大学への進学を目指し、勉学はもちろん様々な活動に励んでいたからです。
帰国後、真剣に進路について考え、アメリカ国内の大学をたくさん回りました。しかし、創大で出会った学生に感じた魅力や感動を超す大学はありませんでした。そして私は、これまで思い描いていたような安全で確実な道を選び他の人と同じ道を進むのではなく、自分で新しい道を切り開いて行こうと決意し、当時世界トップ10にも入る大学からの入学オファーも断り、日本の創価大学への進学を決断しました。
正直、アメリカでいう“成功の道”を目指し努力してきた私にとって、創大への進学は、今まで懸命に積み上げてきた物を全て手放し一からスタートすることを意味していました。中学時代から「当たって砕けろ!」の精神でチャレンジしてきた私でしたが、この時の決断は、とてつもなく大きな決断と挑戦の始まりでした。
実際、入学後の苦労や葛藤も多かったようですね。
開学時に創立者から贈られたブロンズ像
入学当初はカルチャーショックもあり、日本での生活は思った以上に厳しいものでした。アメリカでは毎週土曜日に日本語学校へ通っていたのですが、日本の大学の授業についていけるほどの日本語能力はなく、なかなか友人もできず将来への不安が募るばかりでした。さらに、当時目指していた外交官という夢も自分には合っていないと気づき、勉強の目的をも見失ってしまいました。次第に挫折感と危機感が強まり精神的に追い込まれていきました。そして、入学して2か月が過ぎたころ、悩みに悩んだ末、“もう難しい道は諦めて、アメリカで積み上げて来たことを活かし、レールに乗った確実な道を進もう。アメリカに帰ろう”と、一旦は創価大学の退学を心に決めました。
そんな私の心を大きく動かしたのは創価大学のブロンズ像の指針です。「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」「労苦と使命の中にのみ 人生の宝は生まれる」。この指針には「現代の社会には、楽をすることが特であるかのような風潮があるが、苦労を避ける人生は、自身を軟弱にし、敗北させる。苦労に苦労を重ね、自らの使命を果たしゆく中でこそ、自分自身が磨かれ、真実の人生の価値が生まれる」との創立者の想いと教育理念が込められています。この指針を何度も読み返す中で私は、自分を根本から変えていくチャンスは今しかないのではと思うようになりました。そして、「人のため、友のため、社会のため、人類のため、そう思考する中で勉強するのが本当の勉強だ」という創立者の言葉に自身の勉学の目的を見つけ、他者の幸福のために行動できる自分に成長するために、“自分にしか出来ない使命を見つけてみせる”と誓い、創価大学で学び続けることを決意しました。この時の葛藤があったからこそ、揺るぎない決意と誓いが生まれ、今日まで挑戦を続けてこられたのだと思います。
たくさんのことに挑戦してきた中で、心に残っていることは何でしょうか。
今までたくさんのことに挑戦してきましたが、全て簡単なことではありませんでした。3年生のピーク時には、授業、GLC、寮役員、インターンシップ、国際学生会議の副代表、国際連合学生連盟の活動など一度にたくさんのことを抱えすぎてしまい、八王子と都心を駆け回り、体も精神も追いついていけない時期がありました。しかし、創大で学ぶ!と決めたときから、どんな困難にぶちあったっても「諦める」「途中で投げ出す」という選択肢は私にはありませんでした。常に「創立者の期待にお応えするんだ」、「“創価大学”の看板を背負って後輩の道を開くんだ」とがむしゃらに努力し続けてきました。
そんな中で、今の自分がいるのは、私を支えてくれた人たちのおかげだと強く感じています。創大で出会ったかけがえのない友人。様々な活動をしていく中で出会った友人や仲間。活動を支援してくださった方々。時間がない中一生懸命仕事を教えてくれた南アフリカ人権委員会の人権弁護士の方々。アメリカの弁護士の仕事を様々教えてくれたバックリンさん。何があっても、私を信じ支え続けてくれた両親。心に残っているのは、そういった私を支えてくれた人たちの顔です。一人の人との出会いが次の道を開き、その道で新しく出会った人からまた次の道が開かれるというように、点と点が繋がって、いつの間にか人脈が広がっていき、今の私があります。これらの人々なくしては、私は何一つ成しえることはできなかったと思います。
今は、出会ったすべての人への「感謝」の気持ちを胸に、私もまた同じように他の誰かを支えられるようになりたい。そして、応援してくれた皆さんに、必ず勝利の報告を、そして人生をかけて恩返しが出来る人間になりたい!と強く思っています。

最後に、大学生活をふり返っての思いと、今後の決意を教えてください!
私は、世界で虐げられ、忘れ去られている人々の基本的人権の確保と幸福への貢献が出来る人間になりたいと考えています。そして、大学時代に培った様々な経験を活かし、将来は人権のスペシャリストとしてグローバルに活躍する人権弁護士になると決意しています。大学卒業後はアメリカに戻り、法科大学院で学び弁護士資格の取得を目指す予定です。自身の生涯の指針を「人の不幸の上に成り立つ利益追求を廃絶する」と定め、声なき人の声を守れる人間に、そして悪に対抗できる人間になれるよう、さらに勉学に励み、挑戦と努力を重ねてまいります。
初めは誰も知らず、何もないところから始まった、日本での留学生活。しかし、この4年間は私にとって、自身を大きく成長させ、人生を根本から変えてくれた宝の時間でした。創大に入学するまで、見向きもしなかった貧困問題や社会問題。世界の裏側で人が死んで行くことに心が傷むことはあっても、それに対して自分はどうすることもできないという諦めの心から無関心になっていた自分。もし、アメリカで進学していたら、名誉や富を追い求める人生だったかもしれません。しかし、創価大学に入学し、“当たり前”を問う力を身につけたことで私の見る世界は変わりました。
大学時代は目標を見失い、つまずいてしまう学生は少なくないと思います。しかし、自分は世界に対してどのような問題意識を持っていて、それに対して何をすべきか、何ができるのか。誰のため、何のために勉学を極めるのか。「創造的人間たれ」という創立者の言葉と精神を思い出せば、超えられない壁はきっとありません。
この様な素晴らしい環境で、人生で最も重要な4年間を過ごせたことに、心から感謝しています。創価大学で学びたい未来の創大生のためにも、これからも道なき道を切り拓いてまいります。
[好きな言葉]
“Go for Broke”
[性格]
負けず嫌い
[趣味]
美味しい物を食べる事
[最近読んだ本]
Logic Games Bible, Americanah (Novel by Chimamanda Ngozi Adichie)