Vol.53

教員として娘とともに夢を追う ー 絆を大切に子ども達の成長を促す日々

山平 妙子 山口県周防大島町立周防大島中学校教諭、通級指導教室担当
 教職大学院教職研究科 2018年3月修了/教育学部12期

 2008年4月に開設された創価大学教職大学院。本研究科では、学校等において指導的役割を果たしうる高度な専門性と豊かな人間性、社会性を備えた実践力のある教員の養成を目指した教育と学修が行われています。
 1986年に創価大学教育学部を卒業し、教員としておよそ30年間にわたり子どもと向き合ってきた山平妙子さんは、2017年に50代で再び教職大学院で学びを深める道を選択しました。大学院進学直前には、創価大学で英語教員を目指していた最愛の娘さんを交通事故で失うという耐え難い経験もありましたが、娘さんの夢を引き継ぎたいとの思いから、山平さんは進学をあきらめませんでした。苦しみを乗り越えて教育に真摯に向き合い続ける山平さんに、教職大学院での学びや教員としてのビジョンについてお話しいただきました。

山平さんはなぜ教員になろうと思われたのですか?

 小中学生の頃から良い先生に恵まれたのがきっかけだと思います。皆さん、児童・生徒のことを真剣に考えてくださる方で、自然と私も教員を目指すようになっていました。大学受験の際には創価大学で教育学部のほかにも、取得できる教員免許が異なる文学部英文学科や経済学部から合格をいただきましたが、すべての教科を担当して一人ひとりの子どもと密接に関係を築ける小学校教員を目指そうと考え、1982年に教育学部へ入学しました。

当時の創価大学の雰囲気を教えてください。

写真右が山平さん
写真右が山平さん

 よく覚えているのは創大祭です。へき地教育や支援教育についての研究発表を担当して、その調査で離島を訪れたり、発表内容をまとめたりしました。実際に教員になった後にも、発達障がいの子どもと接する機会も多くありましたし、ここで教育の原点をしっかり学べたように感じています。
 また1年時には当時あった豊田寮に入り、四畳半の部屋に二人で生活していました。座卓を置いて、布団を敷いたら、もうスペースが残らないような部屋でしたが、まだ大学創設12年目でしたから、友と寝食をともにする中で、創立者の想いについて語り合ったり、これからどのような大学にしていこうかと話し合ったり、「まずはしっかりした15周年を目指そうね」と互いに母校愛を育みあうことができました。3年時から所属したゼミではピアノの勉強をしていました。その仲間でハワイへ卒業旅行に行ったのも良い思い出です。当時の友人は今でもおつきあいがあるぐらい、生涯の友になっています。

小学校の教員としてどんなことを大切にして来られましたか?

 実は学部生の頃に後悔が一つだけあるのです。それはあまり勉強しなかったこと。教職採用試験の前だけ懸命に勉強しましたが、何度か合格を逃すことになってしまいました。卒業後、非常勤教員として働きながら挫けそうになることもありましたが、「後に続く後輩の道を切り拓くために、教員になる」「そのために創大に入ったんだ」と夢を追いつづけ、5回目でついに念願を果たしました。
 ですが結果的には、この時期の経験が私の中で大きな糧になった気がしています。今であればインターンシップなどで実践的な経験を積むことができますが、当時は学生時代にできる社会経験というと教育実習ぐらいでした。だから、非常勤時代にご一緒させていただいたいろいろな先生方の教育に向き合う姿勢や教育技術などから、多くのものを吸収することができ、それが後の教員生活に向けた学びになっていました。
 大学時代からへき地教育に関心を抱いてた私は、採用後も実際にへき地の学校で児童教育に携わることになりました。児童が少ないため、複式学級で1年生と2年生の授業を同時に行うなど、へき地特有の難しさはありましたが、子ども達がしっかりと勉強に向き合ってくれていて、自分も一緒に学びながら、彼らが成長していく様子に喜びをおぼえていました。また、少人数の学校のため、どうしても人間関係が固定化しがちですので、子ども達の世界が狭くならないようにということは気をつけていました。

小学校教員時代の様子
小学校教員時代の様子

創大の教職大学院に進学しようと思われたのはどうしてですか?

長男とともに親子で同時に入学
長男とともに親子で同時に入学

 2008年に教職大学院が開設されたと話を聞いて以来、関心を抱いていた特別支援教育やICT教育などについて学びを深めたく「いつか進学したいな」とは考えていました。そしてある日、「娘が創価大学4年、息子が大学1年の2017年度なら3人で一緒に通える」と気付き、そのタイミングで休職して院に進もうと心に決めました。しかし、大学院入試直前の2016年10月に、教育学部で中学校の英語教員を目指していた娘の妙華が交通事故に遭い、意識不明だという突然の知らせを受けたのです。夫と共に急いで東京に駆けつけ、娘も頑張ってくれたのですが、翌日、息子と母が東京に到着するのを待っていたかのように旅立ってしまいました。あまりにも突然のことで、家族全員、ただただ悲しみにくれるばかりでした。

お辛い時期でも進学への決心は変わらなかったのでしょうか?

 やはり、娘が進学を応援してくれていたというのが大きかったですね。それと、娘の手帳に書いてあった目標を自分が代わってかなえたいという気持ちもありました。手帳には三つの目標が書いてあったんです。一つはカナダへの留学エージェントを決めること。これは事故の前日に、本人が実現していました。二つ目は弟の創大合格。これは息子が本当に頑張り、いくつも入試に挑戦した結果、最後の最後に思いを実現してくれました。そして三つ目の目標は「イングリッシュフォーラムへ60回通う」というもの。これはなんとか私が教職大学院に進んでかなえたい。そう思ったことも、進学をあきらめない力になってくれたと思います。

新しくできた教育学部棟で娘と
新しくできた教育学部棟で娘と

大学院ではどのようなことが印象的でしたか?

チットチャット表彰
チットチャット表彰

 私が通っていたのは教職経験が10年以上ある人が通う「人間教育実践リーダーコース」で、皆さんすごく仲良く、ともに学業に励むことができました。吉川・長島ゼミに所属し、特別支援教育について学んだのですが、東京都からの派遣で来ている学友との情報交換や、実際に立川市の小学校で教育実習生をメンターとしてサポートする経験などを通して、私が在職していた山口県の小学校ではまだ行えていなかった特別支援教室への取り組み方を学び、地元に還元しようと刺激を得ることができました。
 また、娘の目標であったイングリッシュフォーラムは私のレベルでは難しかったので、その代わりとして講義の空きコマにはワールド・ランゲージ・センター(WLC )のチット・チャット・クラブで留学生と交流して英語力を磨きました。チット・チャット・クラブには卒業までに222回も通いました。海外研修も中国・アメリカ・フィリピンと3カ国に訪問でき、大学院でしかできないような、大きく価値観を広げる経験を積み重ねられたことが印象的です。
 大学院での1年間は、毎朝5時に起きて、大学の食堂で100円朝食を食べ、すべての講義に参加し、空き時間は可能な限りWLCへ行き…と、非常に大変ではありました。けれど、さまざまな活動をする先々で仲間ができ、皆が「妙ママ」と気軽に声をかけてくれて、本当に充実した時間を過ごすことができました。

教職大学院で学んだことで教職への向き合い方に変化はありましたか?

 小中学校には通級(通級指導教室)という、通常の学級では学習や生活に困難な部分がある子が週に何時間か通うための教室があります。私が教員をしている地域ではこれまで、特定の学校に通級が設置され、そこへ決められた曜日に他校から子ども達が通ってくるというスタイルでした。しかし大学院で、東京では教員が学校を周ることで子どもの負担を軽減していることを知りました。現在、私は長年務めた小学校教員からステップアップして中学校教諭二種免許(英語)をとり、周防大島町の中学校で通級を担当していますが、今年から同町では教員が周るスタイルを採用し、私が週に一度、近隣の中学校へ通っています。
 へき地教育も特別支援教育も、それぞれ地域の事情などに即した難しさがあります。しかし、大学院で学んだおかげで、より良い教育のために自分たちに何ができるのかを考え、行動できるように、教員としての自分の幅が広がったように感じています。特に近年は不登校の子も増えていますし、学校に来づらい思いをしている子もいるでしょう。今は、そういう子達へ「安心して学校に来ていいんだよ」と伝えられるように、もっと環境を変えていきたいという新しい目標に向かって頑張っています。

教職大学院10期リーダーコースのメンバーと
教職大学院10期リーダーコースのメンバーと

2022年3月には日本漢字能力検定協会の「第9回 今、あなたに送りたい漢字コンテスト」大学生・一般部門で「絆大賞」を受賞されましたね。

 コンテストに送った「夢」という書は、娘が色紙に記していたもので、「今、一緒に夢が実現できているんだよ」と娘に手紙を書くような気持ちで応募しました。絆大賞受賞の連絡を受けたときには、私の想いが娘に届いたように感じました。
 また授賞式では京都の漢字ミュージアムで行われたのですが、そこには高さ7.8メートルもの「漢字5万字タワー」がありました。さまざまな字がびっしりと展示されているのですが、その中に「創」と「大」が横並びに、そして縦の列の中に娘の名前である「妙」と「華」の字を見つけることができたのです。歌のフレーズではありませんが、横の漢字と縦の漢字がつながり、これで絆になるのだなと、ご縁がつながるのだなと深く感銘しました。

漢字コンテストで絆大賞を受賞した作品
漢字コンテストで絆大賞を受賞した作品
7.8メートルもの「漢字5万字タワー」
7.8メートルもの「漢字5万字タワー」

創価大学という場所への思いやこれからの抱負をお聞かせください。

 大学院に在籍中は、私より5つ歳上の学生仲間もいて、その方は私以上にWLCへ熱心に通っていました。学修は誰にとっても大変で簡単なものではないと思いますが、創価大学は自分の可能性を限りなく広げられる素晴らしい大学だと感じています。先輩・後輩・同期、教職員との絆にあふれた環境で、最高の思い出がたくさんできる場所ではないでしょうか。
 また大学院の研究科長でいらっしゃる吉川成司先生は、実践と理論の往還の大切さを説いています。私もこれまでの教員経験を大学院で理論として顧み、そしてそこで修めた理論を再び教育現場で実践し、相互に高めていくことを今も目指しています。
 創価大学、そして創価大学院での学びがあるからこそ、教員として真剣に仕事に向き合い、子ども達を支えていくことができています。誰もが生涯青春、そして生涯学習です。皆さんも、ぜひ自分の可能性をさらに広げていってください。

創価大学から娘への特別卒業証書
創価大学から娘への特別卒業証書
山平 妙子 Yamahira Taeko
[好きな言葉]
桜梅桃李
[性格]

明朗、ポジティブ思考

[趣味]
娘が好きだったリトルミイグッズの収集 、資格取得へのチャレンジ
[最近読んだ本]
コーヒーが冷めないうちに/川口俊和
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