Vol.84

世界のどこでも、誰かの力になれる教育者を目指して 小学校教員からインドでの日本語教師の道へ

土渕彩(つちぶちあや)
インド創価池田女子大学、セトゥ・バスカラ学園 日本語教師
教育学部児童教育学科 2019年3月卒業

 

日本での5年間の小学校教員の経験を経て、2024年6月からインドで日本語教師としての新たなキャリアをスタートさせた土渕彩さん。この人生の大きな転機の発端は、大学3年次のインドへの交換留学だったと話します。人生が大きく変わるような機会に遭遇した時、臆することなくチャレンジできたのはどうしてなのか、土渕さんの大学生活や、どのように将来を見据えているのかなどについて話を聞きました。

 

勤務するインド創価池田女子大学とセトゥ・バスカラ学園はどんな学校ですか?

学生時代の様子(インド留学にて)
学生時代の様子(インド留学にて)

南インドにあるチェンナイという街の、都市部から少し郊外に移動した辺りにインド創価池田女子大学はあります。議長であられるクマナン博士の「女性が教育を受けられれば、家庭においても、社会においても、非常に大きな影響を与えることができる。そしてその影響は、子どもたちに及び、よりよい未来を創る礎になる」との思いで開学したのがインド創価池田女子大学です。毎年、全1年生を対象に日本語教師が各学部の教室へ行き、挨拶などの簡単な日本語と折り紙などの日本文化を教えています。また、年に数回、日本語を学んでいる学生を中心に日本語でのプレゼン大会を開いています。

セトゥ・バスカラ学園は、幼稚園から高校までの一貫教育を行っている学校です。良い未来を切り拓こうと学んでいる子どもたちのうち、中学1年生から高校3年生までの生徒の中で日本語を学びたいという子どもたちに向けて授業を行っています。

創価池田女子大学もセトゥ・バスカラ学園でも同じ教材を使用して、日本語能力試験で「基本的な日本語を理解することができる」と区分されるN4レベルの合格を目指しています。チェンナイには日本企業が多く進出しているので、日本語を武器にしてより良い仕事に就きたいと考える学生や生徒が多いように思います。

学生時代から教育に携わりたいと思っていたのですか?また、どんな学生生活を送っていましたか?

学生時代の様子(カンボジアの子どもたちとともに)
学生時代の様子(カンボジアの子どもたちとともに)

創価高校で創価教育について知り、「この教育が広がれば、世界はもっともっと平和になるのではないか」と思ったことが教育の道に進もうと思ったそもそものきっかけです。大学に進学して、「世界で活躍する人材に」という創立者のメッセージに触れ、私もそのような人材になるべく、在学中に留学しようと決意しました。「勉学第一」の姿勢を貫き、サークル活動などには参加せず、夜まで教職大学院の自習室に残って、特に英語の勉強に力を注ぎました。

また1年の終わりごろにJICAのスタディプログラムに参加しました。カンボジアに3週間滞在し、日本政府やNGOなどがこれから成長していく国に対してどう支援をするのかを体感し、勉強させてもらいました。この時に、先進国の教育を学ぶよりも、発展途上国の教育に携わりたいという気持ちが芽生えたように思います。

そして3年次に交換留学生としてデリー大学のセント・スティーブンス・カレッジに留学しました。世界中から優秀な学生が集まる大学で、とても刺激的でした。しかし、何でもあって当たり前、自分の想像通りにいって当たり前という日本での暮らしから一変、とにかく最初は生活するだけで必死でした。気候も違う、食べ物も違う、考え方も全く違うところに、日本人は私一人だけ。不安だらけでしたが、「やるしかない」と腹を括りました。インドは国土も広く、人口も約14億人。日本とは比べものにならないほど多様な人たちが暮らしています。そのため他人が自分と違うのは当然のことで、誰もが助け合いの精神を持っており、温かい人たちがたくさんいます。また日本のアニメや漫画のファンだという人も多く、日本人である私に興味を持って接してくれたこともあって、いつの間にか生活に馴染めました。ただカースト制度の名残が強く、教育の大切さを痛感したこともあり、誰しもが受ける権利のある初等教育に携わる小学校教諭になりたいと思うようになりました。

創価大学を卒業後、インドで日本語教師をすることになった経緯を教えてください。

仕事の様子(全一年生対象の日本語クラスにて)
仕事の様子(全一年生対象の日本語クラスにて)

まずは、大学卒業後の進路を地元の小学校教員に定め、千葉県の船橋市に赴任しました。充実した日々を送っていましたが次第に創価の哲学を根本とした教育機関で働きたいと感じるようになっていきました。次のステップを考えていることをいろいろな方に相談する中、インド留学で一度面識があったインドの方から、日本語教師のお話をいただきました。インドへ戻ることは頭にありませんでしたが、なんでも挑戦させてもらおうという気持ちと、自分の使命の場所で働かせてもらえることに喜びを感じ、インドで日本語教師になる決意をしました。

インド行きが決定した後、やはり日本語教師の資格を取得しようと考えて、2023年11月にeラーニングで勉強を開始。2024年6月の赴任前には、日本で受けるべき13科目のテストにすべて合格し、今はオンラインで最後の教育実習を受講しているところです。私のように働きながら日本語教師を目指す人はとても多く、忙しい時間をやりくりして勉強をするので、在宅で学べる通信教育はとてもありがたいと思います。

日本語教師になって感じる、仕事の魅力を教えてください。

仕事の様子(イベントでソーラン節を披露した学生とともに)
仕事の様子(イベントでソーラン節を披露した学生とともに)

インド創価池田女子大学が開校して約25年。ここで日本語を学んだ人たちが社会人として日本企業で働いていたり、日本へ留学したりと、徐々に成果が出はじめています。母語とは異なる言語を学ぶことで、人生がより良い方向に変わる。そんな姿を目の当たりにすることができるのが、この仕事の魅力だと思います。私が教える日本語が生徒・学生たちの将来の武器になり、人生の選択肢を増やす手助けになるのは、とても意義深く素敵な仕事だと感じています。自分が日本語教師になるなんて、まったく思ってもみませんでしたが、臆さずに飛び込んでよかったです。

今後の目標や将来どんな自分になっていたいのかを教えてください。

学生時代の様子(5年で卒業した教育学部の44期とともに)
学生時代の様子(5年で卒業した教育学部の44期とともに)

高校時代に目標として定めた「創価教育を世界に広める教育者になりたい」というのが、今も変わらない人生の大きなテーマです。先々のことはまだ定めておらず、ずっとインドで日本語を教えるかもしれないし、日本に帰るかもしれないし、あるいは他の国に行くかもしれません。どんな選択肢になるにせよ、人生のテーマは変わらないので、世界のどこに行っても誰かの力になれる人になりたいと思っています。

創価大学で学ぶ後輩のみなさんに向けてメッセージをお願いします。

創価大学は自分がやりたいと思ったことを叶えてくれる大学です。自分は何をしたいのかを考えて、「これだ!」と思うものを見つければ、職員の方々が力を尽くしてくれるので、可能性はいくらでも広がっていきます。ですから、学生時代はひたすら、自分の夢や目標に向かって挑戦してほしいと思います。

つちぶち あや Tsuchibuchi Aya
[好きな言葉]
苦難は宝
[性格]
明るい、負けず嫌い
[趣味]
バレーボール
[最近読んだ本]
そして、バトンは渡された/瀬尾まいこ
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