Vol.90

創価大学で掴んだ箱根駅伝2区、日本人歴代最高記録樹立

吉田響(よしだひびき)
経済学部経済学科4年

 

2025年1月2、3日に行われた、第101回箱根駅伝。創価大学は1区17位で鶴見中継所に入り、2区の吉田響選手へと襷をつなぎました。各大学のエースが揃うことから「花の2区」とも呼ばれる区間で、吉田響選手は13人をごぼう抜き。1時間5分43秒のタイムで2区の日本人歴代最高記録を叩き出し、創価大学を一時4位まで押し上げました。吉田響選手はが駅伝に賭けた思いや、将来についても語ってもらいました。

 

創価大学駅伝部に入ったときの気持ちを振り返ってください。

3年時から創価大学に編入し、新しい環境に足を踏み入れることにすごく不安がありました。本当に自分が受け入れてもらえるのかという緊張感がとても強かったです。駅伝部の選手の名前と顔が一致するようにしておかなくては失礼だと思って、事前に動画を見たりもしたのですがなかなか覚えられず、誰が先輩で後輩なのかわからないから、全員に敬語で話していました。ですが、部の雰囲気が驚くほど良く、みんなが優しく温かく接してくれて、良い意味で裏切られました(笑)。僕はコミュニケーションを取るのが本当に下手で、ずっとそれがコンプレックスでしたが、駅伝部のメンバーに恵まれて良い影響を受け、少しずつ選手としても、人間としても成長することができたように思います。そして一緒に夏合宿というハードな練習を乗り越えたことで、みんなと仲間になれました。

箱根駅伝の5区で「山の神」になることを目指した理由を教えてください。キツい山上りの区間を走りたいと思えるのはなぜでしょうか。

高校2年生の時に、静岡県内で行われた市町村対抗駅伝に出場して、解説の金哲彦さんから、山に向いた走りをしていると言われたことが山上りを目指すきっかけになりました。その後もいろいろな方から山に向いていると言われて、自分でも過去に「山の神」と呼ばれた青山学院大学の神野大地選手や東洋大学の柏原竜二選手などの走りを見て感動し、憧れるようになりました。駅伝で1分差のあるチームに追いつくのは、平地の場合はなかなか大変ですが、それが山の場合は2分、3分差があってもひっくり返す可能性があります。山を走るのはキツいですが、前を行く選手を抜いていく姿は本当に格好いい。それで、山の神を目指すようになりました。

小さな頃から足が速くて、長距離も得意だったのですか?

実は5歳の時にペルテス病という脚の股関節の骨が壊死する病気にかかり、1年間ほど補助器具を装着しなければ歩くことができなくなりました。成長期だったので、小学校に上がる頃には骨が修復して歩けるようになったのですが、運動神経はいい方ではなく、足も決して速くはありませんでした。ただ走ること自体は好きで、中学校では長距離を走りたい、やってみたいという思いから陸上部に入りました。ですから今も、走ること以外の運動神経はあんまり良くないと思っています。

周囲からも「山の神」になることを期待されてきた中で、最後の箱根駅伝で2区を走ることになった時の気持ちを教えてください。

監督から、4年の夏合宿くらいに「響、2区の方が走れるんじゃないか?」という話を受けましたが、その時は「それでも自分は5区を走るんだ」と思っていました。山の神になることは自分が目指した夢でもありましたし、周りからも山の神になってほしいという願いを託されて、応援もたくさんしてもらっていたので、自分の夢を達成したいという思いと、周囲の期待を裏切れないという両方の思いがありました。

ただ、全日本大学駅伝の2区を走り終わった後、箱根に向けて山を走る練習をしていく中で、1年生の時の方が上れていたなと感じるようになりました。創価大学に入ってから、本当に走力もアップしましたし、走り方もすごく綺麗になって、選手として強くなったと思います。でもその反面、山上りに関してはなかなかレベルが上がらず、正直「山の神になるのはキツいな」と感じている自分がいました。客観的に考えて、自分が2区を走った方がチームとしても軌道に乗りますし、自分たちの目標は総合優勝でしたから「このチームで勝ちたい」という思いの方が勝って、自分から監督に改めて「2区、いかせてください」と志願しました。

2区で日本人歴代最高記録を出しました。苦しい時間帯もあったと思いますが、どんなメンタルでそれを乗り越えたのでしょうか。

自分は負けず嫌いですし、練習でやるべきことをやってきたという自信もありました。それに加えて、一度は陸上を辞めるという決断をした後に創価大学に入ったので、陸上ができること自体が当たり前じゃないんだということに気づくことができた。それも大きかったです。普段の練習ひとつとってみても、監督が練習メニューを作り、マネージャーたちに準備や計測などをしてもらってはじめて選手たちは研鑽できます。また自分たちの生活を支えてくれた寮は、実業団も顔負けの素晴らしい設備を誇り、これも卒業生の方々や大学を支援してくださる方、駅伝部を応援してくれる方々などのおかげで成り立っています。みなさんがいるから自分は陸上ができるんだということに気づいて、走っている時のキツさすら幸せなことなんだと思ったら、それが力に変わりました。

実業団からのオファーを断って、今後はプロランナーとして走り続ける道を選ばれたのはなぜでしょうか。またプロでの目標についても教えてください。

プロになろうと思ったのは、陸上というツールを通じて、人と関わっていくことが本当に好きだと思えたからです。箱根駅伝が終わった後、地元に帰って陸上のイベントや大会に顔を出させてもらったんですが、地元の中学生や大人と一緒に走ることがとても楽しかった。陸上を通してたくさんの人と出会うことが自分の楽しみであり、幸せなんだと実感しました。プロランナーは実業団に入るのとは違って生活の保証が全くないので、選択する人は少ないですが、その分、多くの人に出会うことができると思っています。

プロとなって最初の目標は、2028年のロサンゼルスオリンピックのマラソンでメダルを獲ることです。マラソンは今、アフリカ勢が強いですが、日本も年々スポーツ科学の進歩によって練習方法やシューズが進化を遂げ、強い選手が増えています。自分もやるべきことをしっかりやれば勝てるチャンスがあるんじゃないか、メダルに手が届くんじゃないかと、願望もありつつですが、思っています。

もうひとつ、プロになろうと思ったのは、トレイルランニングでも活躍していきたいという思いがあったからです。トレイルランは林道や登山道などさまざまな道を走る種目です。トレイルランでは、すでに上田瑠偉さんが世界で活躍していますが、自分もトレイルランの世界選手権などに挑戦して、新しいランナーの形をつくっていきたいと考えています。

創価大学を目指す後輩たちにメッセージをお願いします。

創価大学は勉強に励む場所というだけでなく、人との出会いや縁の大切さであったり、人間性を磨くことを大切にする素晴らしい大学だと思います。芯のある人が多く、個人個人の成長を大事にしてくれる校風があります。この環境があったからこそ、自分は日本人歴代最高記録が出せました。ぜひ創価大学に来て、自分の可能性や一生の出会いを見つけてほしいと思います。

<経済学部>

吉田 響

ヨシダ ヒビキ

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音楽を聴くこと

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