【国際教養学部】マレーシア日本語学校から帰国!
盛満 拓也さん(4年生)
日本語学校に勤めた経緯を教えてください。
日本語パートナーズとしてマレーシアの中等学校で勤務しました。日本語パートナーズとはアジアの中学校・高校等の日本語教師や生徒のパートナーとして、日本語授業のサポートや日本文化の紹介を行います。ちょうどその時はマレーシアとカンボジアの募集が行われていました。私は過去にマレーシアに三週間留学したことがあり、それからマレーシアが大好きになりました。昨年行ったマレーシアにまた行って今度は仕事をして現地の人たちに貢献したいと思っていました。昨年、日本に帰国してからは在日マレーシア留学生の友人を作り、地域の日本語ボランティアに参加しました。あの日々はとても充実していました。その後、就活でインドネシア語の先生が教えてくれた日本語パートナーズに挑戦しようと思いました。他の人とは全く違う道を進む恐怖はありましたが、自分の願いと経験が活かせる仕事だと思い応募しました。
日本語学校での経験はいかがでしたか。
毎日がとても特別なものでした。生徒たちは本当に素直で可愛く、いつも一生懸命日本語を勉強してくれました。また、仕事の一環で文化を紹介することがありました。主に日本料理や、浴衣の着付けを教えました。よさこいチームの監督もしました。ここで私は日本人の規律や思いやりを教えました。彼らのテストの点数が伸びたことも嬉しかったですが、最初は料理を作ったら片づけをしなかった生徒たちが、最終的には自分で準備や片づけをするようになったことが一番嬉しかったです。99.9%の人がムスリムの学校でしたが、孤独を感じることや差別を受けたことは一回もありませんでした。逆に彼らの寛容さにとても救われました。彼らと話したり、彼らの文化を体験したりする中で、人と人の関係をとても大切にしているのだなと感じました。学校では日本語と日本文化を教える難しさと楽しさを学びました。そして学校の外ではマレー語を使って現地の人たちと仲良くなる喜びを知りました。まだ若く、正解がないことに挑戦するのは大変でしたが、マレーシアをもっと好きになりました。将来は日本語教師としてマレーシアで働くことが夢になりました。
FILAでの学生生活は日本語学校でどのように活きましたか。
FILAで培った英語力は本当に活きました。高校まで全く英会話ができなかった私はFILAで実用的な英語力を身に着けることができました。その自信が自分の挑戦と海外での生活を容易にしてくれました。幸いにもマレーシアでは英語が堪能な人がたくさんいらっしゃるので、マレー語ができなくても英語で意思疎通を取ることができました。あとはなんといっても杉本ゼミに入れたことです。これが一番幸運だったと思います。三年生の時に私は杉本先生に送り出されるかたちでマレーシアに三週間留学しました。そこでマレーシアが大好きになりました。そこからマレーシアから創価大学に来ている留学生と友人になることもありました。マレー語やイスラームのことは彼らから教わりました。マレーシア人たちと関わる時に、FILAで学んだ語学力と異文化理解力をここで活かすことができました。そして杉本先生のおかげでマレーシア愛を持って現地で働くことができました。
あとFILAで共に頑張ってきた友人たちが私の支えになりました。みんないろんな場所で頑張っていて離れていても繋がっているという安心感があります。みんなが私のロールモデルです。
受験生へのエール
自分の進路は絶対に自分で決めてください!親や周りの大人はこうしたほうがいい、こうするべきではないとたくさん言ってくるかもしれません。でも関係ないです。彼らはあなたの失敗や不幸に責任を取ってくれません。彼らの意見にそのまま従うのではなく、それを自分の糧にしてください。受験勉強でいろんな気持ちが渦巻いていると思いますがどうか自暴自棄にならないで考え続けてください。あなたが何をしたいのかを。あなたが自分で考えて決めたことには必ず価値があります。もし不安になったら周りの人に尋ねてください。そしてあなたの話を聞いてくれる人を一番大切にしてください。*そんな人いないよって人は私に連絡してください。この学部では必ず世界への扉が開けます。少しでも興味が湧いたら挑戦してみてください。あなたがあなたの人生を自分で切り拓いていくことが私の願いです。どうか負けないで最後まで頑張ってください。
*ご本人の連絡先問い合わせはこちらまで:filaoffice@soka.ac.jp
盛満 拓也
・出身地:福岡県
・主な専攻分野:アジア経済
・指導教授:杉本 一郎教授
・好きな言葉:素直
・好きな本:植松努『「どうせ無理」と思っている君へ』
・趣味:ギター、カラオケ、温泉巡り、ドライブ