自由とファンタジーの国イギリス―在外研究を終えて― 小島 信泰 教授

1.はじめに-イギリスの人物-

あなたはイギリスと聞くとどんな人物を想像しますか。馬車に乗った女王様やお城のような家に住む貴族でしょうか。それともサッカーやビートルズに熱狂する若者たちでしょうか。イギリスに行く前の私は、暗い顔をした留学中の夏目漱石や江戸幕府の使節の一員として渡英した福沢諭吉といった日本人を想像したものです。いま紹介した人物たちから思い浮かぶのは、イギリスは古くて新しい国であり、近代国家として西洋に仲間入りする頃の日本と大きく関わりのあった国だということです。しかし最近では、ひと昔前の「英国病」とか「黄昏のロンドン」とか言われた老大国どころか、デモクラシーのお手本と言われた二大政党制も崩れ出して、もはやイギリスに学ぶものは何もないと言う人もいるそうです。
ところが、昨年4月1日にロンドンに降り立った私にとってはすべてが発見の連続で、それはもう楽しくてしょうがない国でした。出発前に同僚の先生から日記をつけることを薦められた私は一日も欠かさず書き続け、気が付いてみるとA4の用紙にワープロ書きで160ページにおよぶ日記ができていたほどです。
法学部の教員としては、昨年10月1日のイギリス最高裁判所の設立をはじめ、異常な数の監視カメラが街角に設置されていることや肉親の死を幇助した事件が続いて大きな問題になっていることなどを書かなければならないのでしょうが、ここでは一緒にイギリスに行った私の子供たちの目を通して、表題のテーマについて書くことをお許しいただきたいと思います。それは単に現代イギリスの明るい面を強調するというのではなく、いま日本に欠けていることを考えてみようという、私が一番書きたいことでもあるのです。

2.イギリスの建物

私たち一家は、バッキンガム宮殿のあるロンドン中心部からチューブ(丸い形をした地下鉄のこと)で西に30分ほどのウエスト・アクトン駅の近くにあるフラット(アパートのこと)に住んでいました。歩いて4、5分の距離に子供たちの通うロンドン日本人学校がある町中ですが、駅前には15世紀の終わりから百年以上続いたチューダー朝の様式の建物が保存されている地区がありました。ここには、あの有名なシェークスピアの生家が残っているストラトフォード・アポン・エイヴォンにあるような古民家が並んでいます。しかも、日本ではさしずめ東京の西にある三鷹あたりに位置する場所なのに、普通の民家の庭に野生のリスや狐が出没するのです。このチューダー朝様式の建物に住む人に言わせると、窓枠一つ塗り替えるのにも許可が必要でちょっと面倒くさいということですが、そのゆったりと満足げに庭いじりをしている姿が印象的でした。

3.イギリスの鉄道

フラットの後ろには、ナショナル・レール(英国鉄道)の線路が走っていましたが、長男がある朝まだ暗い時間に大きな声で「汽車が走ってる!」と叫びました。線路を見てみるともう汽車の姿は見えませんでした。こんな町中に汽車が走ることはないだろうとその時は思っていましたが、ある晩、ほんとうに煙をもくもくと出しながら、緑色をした立派な蒸気機関車が素敵な客車を引いて通過していくのです。あのハリー・ポッターが汽車に乗って魔法使いの学校に出発した時の映像が頭に浮かびました。どうやら街角で見かける古めかしいものは、現実を遥かに超えた「ファンタジー」の世界につながっているようです。
イギリスは蒸気機関車を発明した国で、鉄道先進国であることは誰でも知っていると思いますが、家の裏を通る一番はやい列車…子供たちは「はやはやくん」と呼んでいました…は電車ではなく、日本ではだんだん見かけなくなってきたディーゼルカーなのです。私が留学先のロンドン大学に通うのに毎日乗ったチューブの中は日本の地下鉄より狭く、体の大きなイギリス人は扉の付近では首を曲げて乗っていました。このチューブには日本のような時刻表がなくて、電光掲示板には次の電車は3分後で、その次の電車は7分後、といった表示が出るだけです。どういう訳かこれが目的地の前で止まってしまって、全員降りてくださいというアナウンスが流れたことが時たまありました。話によると運転手さんがお腹が痛くなって、しかも代わりの運転手さんがすぐに見つからないというのがその理由の一つだったそうです。ある時困ったのは、途中で電車の行き先が変わってしまって、線路が二股に分かれて違う方向にあるヒースロー空港行きになっていたことです。そもそも英語がよく聞き取れないのに加えて話し込んでいたので、まったくわかりませんでした。周りのイギリス人も間違えて乗り過ごしてしまい次の駅で降りるというので自分たちも降りました。ところが、そのあと戻る方向に行く電車がなかなか来ないので、とうとう1時間かけてフラットまで歩いて帰りました。ストもありましたが、ストでもないのに電車が止まることもよくありました。緊急の場合ではないそうした情報は新聞やネットで前もって通知されるので、気が付かなかった人も自己責任ということなので文句は一切言えません。チューブの中は、捨てられた新聞紙や食べ物の袋などが捨て放題だし、テレビではBBC(英国放送協会)のニュースですら時間通りに始まらないことやぷつんと画面が真っ黒になることもありました。これが日常なので、ある時、家に泊まりに来た留学中の女子学生に、「周りの日本人はみんな早く帰りたいと言っているのに、どうして小島家のみんなはイギリスが気に入っているんですか」と聞かれたほどです。

4、イギリスの子供たち

私の一家も銀行口座の開設や、市民税の納入の時に職員が自らのミスを謝ることがなかったりして戸惑ったこともありましたが、1年も住んでいると、イギリス社会ではそれなりの理屈が通っている限り個人の考えを尊重することが第一で、それが「自由」だとして大切にされていて、他人の眼や周囲の美醜は二の次だということがわかってきます。やせ我慢をしてでも瞬時に移ろいゆくものにはこだわらず、ほんとうに大切なことは何かを考え続けているように思われました。人間ですら移ろいゆくものとしてある一定の期間、自然や建物の一角を占めているに過ぎないという感覚がどこかにあるように思われます。かつてある歴史家は、イギリスはインドを支配することによって、逆にインドの悠久の感覚を学んだのではないか、といったことを述べていました。
さらに、そのイギリス人の眼にはこうした過去の歴史やファンタジーだけではなく、未来を創る子供たちの姿が映っているようです。日本とは違って、小学生以下の子供たちだけを家に残して外出するのはイギリスではご法度になりますし、とにかく感心したのは子供たちが遊ぶ公園です。最近、日本では、子供の事故を防ぐためか公園の管理責任を回避するためか、これまであった遊具がどんどん消えていっているように思われますが、イギリスの公園には子供にとってスリリングな遊具がどこにもいっぱい設置されています。これがよく考えられていて、たとえば両足をすっぽり通すことのできるちょっとした椅子になっているブランコがあります。当時1歳の三男でも一人で十分乗れるのです。その下にはゴムのシートか木のチップが敷き詰められています。公園は必ず簡単な鍵の付いたサークルで囲まれているので、お母さんたちは子供を遊ばせながらゆっくり読書をしたりおしゃべりをしたりすることができるのです。
いまイギリスは、人々の教会離れやイスラム教徒の増加といった宗教上の課題をはじめ慢性的な失業問題やテロの危機に直面しています。さらに、固定化した階級問題が注目され、極端なナショナリズムも台頭してきており、EUの加盟国としてこの先どのような方向に歩むべきかが議論されています。決して将来は明るくないという予想もありますが、遥かに離れた日本から訪れた私にとっては、実に学ぶことが多く、心地よい自由とファンタジーの風が吹いている国でした。
『学 光』12月号(創価大学通信教育部 2010年12月1日)