2018年09月01日 13時21分

留学日記(中国・北京語言大学 中国語DD11期 2018年9月1日②) 

7月20日
この日はいよいよ嘉峪関から敦煌へ向かいました。タクシーのおじさんと涙の別れをしたあと、列車に乗って向かいました。その列車は新疆ウイグル自治区行きの列車で、そのせいか列車内での身分証明が厳しかったです。何度も写真を撮られ、何かやらかしたかなと思い怖くなりました。しかしそれは杞憂に終わり無事に駅に到着しました。そこから乗り合いバスで2時間ほど移動しました。そこから見える景色は沙漠沙漠沙漠沙漠・・・もう何もありません!中島みゆきの『荒野より』をエンドレスで聴きました笑。沙漠ファンの私にとっては夢のような時間でした。バスは灼熱の大地を突っ走り夕方ごろ敦煌に着きました。着いてすぐホテルのチェックインをすると、従業員から、今日の夜、演劇があるから見に行かないかと言われました。即決即断でお金を払い、夜の9時頃タクシーで見に行きました。『又見敦煌』という敦煌の歴史をテーマにした作品で、客も移動しながら鑑賞するといった体験型の劇でした。大迫力の演目を通じて敦煌やシルクロードの歴史を学ぶことができました。こういった形式の劇は初めてだったので刺激が大きかったです。
7月21日
この日から待望の敦煌観光が始まりました。興奮が絶頂に達し、呼吸困難におちいりました笑。嘘です笑。昨日駅からバスに乗ってきたときは辺り一面が沙漠だったのですが、沙漠の中から急に現れた、まさにオアシス都市としての風格が敦煌にはありました。商店街が並ぶ中、歩道には歴史を紹介する説明書きがいたる所にあり、歴史に思いを馳せながら練り歩きました。この日の午後にホテルからバスに乗って『鳴沙山、月牙泉』へ行きました。鳴沙山は悪名高い沙漠の山として有名で、昨日見た劇でも紹介されていましたが、西方から敦煌へやってくるキャラバンや修行僧を路頭に迷わせ、多くの死者を出した死の山でもあります。
バスを降りて鳴沙山を目の当たりにした私は感動しました。「圧巻」の一言。すべてを寄せつけない沙漠色の世界がそこに広がっていました。まず私はラクダに乗って恐る恐るその世界に足を踏み入れました。ラクダに乗るのは今回が初めてだったので面白い発見がいくつかありました。まずラクダにしては愛嬌の無い鳴き声を発すること笑。またラクダの身体はしっかりしていて、叩けば木魚みたいであったこと。私を先頭にラクダの隊商は鳴沙山を登っていきました。歩くスピードはゆっくりでしたが、思った以上に揺れて、しっかり掴んでいないと落とされる勢いでした。雪と同じように沙漠を歩けば足跡が残り、それが踏みならされて道となる様子が今でも心の中に残っています。また日差しが強く、腕がかなり焼けました。先人の苦労が少し分かったような気がしました。先導のおじさんにたくさん写真をとってもらい満喫できました。
山の向こう側へまっすぐ歩いて行くとさらに砂山があり、右を見ると突如湖と楼閣が目の前に現れました。これが月牙泉です。蜃気楼のように幻を見ているのではないかと思わせるほど、それは美しいものでした。もうため息しか出ません。言葉では言い表せないとはまさにこのことでした。死を表す沙漠と生命を表す月牙泉のコントラストは実に鮮やかでした。月牙泉はその名の通り三日月型をしており、魚は少なかったのですが、月夜の晩に、きれいな星空を湖面一杯に映すには十分な透明度でした。楼閣から見える景色は360度すべて沙漠・・・その中にぽつんと月牙泉。ただただ圧巻でした。
次は徒歩で鳴沙山を登っていきます。靴に砂が入るのを防止するための履物があったのですが、どうせなら直に鳴沙山を踏破したい!と思いそれを使わなかったのが大きな間違いでした泣。あらためて近くから見るとかなりの傾斜で、山肌には簡易式の、しかも半ば砂に埋まっている階段が2、3個あるだけでした。意を決して登ります。登り始めは順調でしたが、次第に足場がどこか分からず砂の中に足が埋まり、三歩進んで二歩さがるという状況でした。靴に砂が大量に入り、灼熱の太陽にさらされ、あっという間に体力を消耗してしまいました。
さすが死の山・・・。やっと登り切り、後ろを振り返ると月牙泉が見え、さらに向こうには町が見えましたが、あとは全部沙漠でした。稜線沿いに移動し、一番高いところまでくると、あまりの絶景にしばらく呆然としてしまいました。風により強く巻き上げられた砂が自分にかかってきましたが、気にしないでそこにいました。今自分が歴史のまっただ中にいる喜びに満ちあふれていました。思わず空手の演武をし、蹴り上げたとき砂が顔面直撃しましたが私はずっと笑っていました。いつまでもいつまでもそこに座ってぼーっとしていました。砂山から降りてバスに乗るまでの間に何度後ろを振り向いたかわかりません。死の山であるはずなのに、それでも惹かれる何かがありました。蜃気楼のような思い出となりました。
夜は敦煌夜市でごはんを食べました。市場やお土産屋、飲食店が並ぶ大変活気がある夜市でした。ここで好物の羊肉をほおばります。敦煌は北京と実質2時間の時差があるため、夜の9時頃まで明るかったです。空を見上げながら食べていると一人の少年が私に話しかけてきました。その少年は店の手伝いをしていて、私は彼に料理の注文をしましたが、その時私の中国語のなまりがすごいなと彼はつぶやき(それほど私の中国語のレベルは低かった泣)、実は私は日本人だと言うと、彼の顔がぱっと明るくなりました。実は彼は日本に興味があり、将来は日本へ行きたいということでした。キラキラとした17歳の瞳に吸い込まれ、時間を忘れてたくさんおしゃべりをしました。結局敦煌に滞在した日の夜はすべて彼の店で食べました。ここでも人との縁に恵まれました。
7月22日
いよいよ旅のメインである『莫高窟』へ向かいます。バスでまずデジタルセンターへ向かい、莫高窟の歴史に関する映像を2本見ます。その後、いよいよ、いよいよ莫高窟へ向かいます。バスを降りると、壁にいくつもの扉があるのが見え、少し歩くと有名な莫高窟のシンボルである九層楼が私を出迎えてくれました。あの扉の向こうにシルクロードの遺産がある!発狂寸前でした。扉の向こう、つまり石窟内はガイドの同伴が必要で、あらかじめ日本語のガイド付きの入場券を買っていた私はガイドが来るのを待ちながら燦然と輝く遺産と扉越しに対峙していました。30分後、ガイドと合流し、私ともう一人の日本人と3人でいよいよ(この日4回目のいよいよ)観光がスタートしました。
階段を上り桟道を歩き、扉の前に立ちます。ガイドが扉の鍵を開け、それに続いて中に入っていきました。薄暗くひんやりした空気の中狭い通路を進み、10歩ほど歩くと巨大な空間が広がり、仏像と壁画がぱっと私たちを包みました。その瞬間、明らかにこの世から遊離したことがわかりました。身体ごと古代シルクロードに放り込まれたのです。鮮やかで精巧な技術が施された壁画。千変万化の豊かな表情を見せる迫力満点の仏像。隋や唐の作品がそのまま残っていました。敦煌は乾燥しているため保存に適しており、特に壁画はほとんど修繕されていませんでした。壁画には無数の仏が描かれていて、今にも動き出しそうなほどリアルでした。
当時の時代背景が色濃く残されていて、例えば西域文化を受けた時代に作られた仏像は西域人の顔の特徴が反映されていて、仏教が弾圧を受けていた時代に作られた仏像は顔が破壊されていました。石窟内には不思議な魔力がありました。ガイドの説明そっちのけで、私はその魔力の虜になっていました。石窟を出たあとも壁画や仏像の残像が頭の中を支配し、しばらくしてから感動の波がやってきました。歴史の本当の奥深さを垣間見た瞬間でした。今回見学した窟番号は96番、148番、237番、244番、249番、61番、331番、17番、16番でした。残念ながら写真は撮れなかったので興味がある方はネット等で調べてみてください。本当に素晴らしかったです。また九層楼の近くに莫高窟に貢献された人々のパネルが並んでおり、その中に創立者池田先生のパネルを発見しました。池田先生は莫高窟に機材やお金を寄付されていました。私が莫高窟を参観できているのもこうした方々のご尽力があってこそだと気づき、感謝の気持ちで一杯になりました。
H.A.
ページ公開日:2018年09月01日 13時21分