丹木の歳時記2026 葉月(三)

 議論が長引くばかりで、いつまでたっても結論が出ないことを「小田原評定」と言います。天正18(1590)年、豊臣軍に包囲された小田原城内では和戦の評定が定まらず、結局は開城した故事に由来する言葉です。当時、小田原城主だったのは、後北条氏の第5代目の北条氏直(1562-1591)でした。
 後北条氏の創始者は伊勢盛時(後の北条早雲)。氏綱(2代目)、氏康(3代目)、氏政(4代目)、氏直(5代目)と続きます。なかでも3代目の氏康の代に、伊豆、相模、武蔵、上野へと勢力を広げ、後北条氏の全盛期を築きました。この氏康の子・氏照こそ、滝山城や八王子城の城主だった人物です。氏照は西方の防衛を担い、滝山城を本拠としていました。
 天正10(1582)年、本能寺の変で織田信長が倒れ、その後、明智光秀を討った秀吉が勢力を拡大していきます。氏照は堅固な防衛拠点とするため八王子城を大改修し、天正15(1587)年頃までに滝山城から移ります。
 しかし天正18年、前田利家・上杉景勝軍によって八王子城は落城。さらに豊臣軍との小田原合戦の敗北により、氏照は兄である氏政と共に自刃します。北条早雲が小田原城を攻略した1500年前後から約90年後のことでした。
 夏の盛り、キャンパスからほど近い滝山城址を逍遥し、後北条氏一族の栄枯盛衰に思いを馳せました。「夏草や 兵どもが 夢の跡」(松尾芭蕉)。

学生ホール前
ムクゲ
クサギ
タカサゴユリ
ガガイモ
ヘクソカズラ
シマサルスベリ
キバナコスモス
ヤマボウシの実
ヒイロタケ
アブラゼミ
ミンミンゼミ

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