創大の原点は、支えあった仲間との時間
中島泰子さん
教育学部児童教育学科・22期生
小学校教頭
福島県
# 教師として
創価大学を卒業後、北海道で教職の第一歩を踏み出しました。道南の七飯町、長万部、八雲などで14年間勤務した後、夫との別れを経て、実家のある福島へ戻りました。
福島での新たなスタートは、困難の連続でした。採用が決まった直後に東日本大震災が発生。原発事故の混乱の中、周囲からも心配の声が寄せられましたが、教育委員会から「来ていただけますか」と声をかけていただき、「行きます!」と即答しました。そして、いわき市の小学校へ赴任。実家の須賀川から、毎日車で往復1時間半ほどかけて通い続けました。
「教師こそ最大の教育環境なり」
との信念を胸に、保護者対応や急な仮担任など、学校現場の最前線でさまざまな経験を重ねてきました。その一つ一つが、現在の教頭としての力になっています。
管理職となった今は、職員室の先生方が働きやすい環境をつくることに力を注いでいます。一人でも多くの教職員から「一緒に仕事ができて良かった」と信頼してもらえる存在になれるよう、愛する福島の地で人間教育を実践し続けています。
# 仲間と共に
学生時代は、モダンダンス部で汗を流し、「桜香寮」の第1期生として青春を送りました。ここで培った「人間教育の絆」は、卒業した今も、何物にも代えがたい一生の宝物です。
また、モダンダンス部の同期とは、今も深くつながっています。十数年前には、わたしの地元の須賀川の実家で行われた花火大会に、なんと7人の同期が集まり、にぎやかに語り合いました。
桜香寮時代からルームシェアをしていた親友は、現在、福岡県に住んでいて、福岡で就職した長男のことを、いつも温かく支えてくれています。
仕事の場でも、赴任校で8期生の先輩教頭に出会うなど、さまざまな場面で創大の絆を実感します。
どこで会っても、一瞬で学生時代に戻れる。そんなかけがえのないつながりが、困難な局面を乗り越える大きな支えになっています。
# 家族の存在
夫に先立たれた後、シングルマザーとして二人の息子を育ててきました。夫は病魔と闘いながらも、最期まで教育への情熱を燃やしていました。
「病気になったからこそ、生きる素晴らしさを語れるんだ」
と、生きる姿そのものを通して教えてくれたことは、今も私の心に残っています。その遺志を受け継ぎ、私も現在まで学校現場に立ち続けています。
父親代わりも務めなければと気負うあまり、息子たちに厳しく接してしまうこともありました。そんな時、近くに住んでいた母や妹が、優しい言葉で親子の間をつないでくれました。
長男は創価大学・大学院へ進みましたが、突然の病に倒れ、病気と闘いながら就職活動をすることになりました。それでも、懸命に取り組み、内定を獲得。現在は夫の故郷である福岡県で、創大時代の親友や同窓生に温かく支えられながら働いています。
一方、次男は高校3年の冬に自主退学することになりました。当時は目の前が真っ暗になりましたが、学校の先生方が本人の気持ちに寄り添い続けてくださいました。現在、次男は自宅でeスポーツの分野に携わっています。
今も私は、「我が子には必ず深い使命がある」と、二人の息子の無限の可能性を信じ、成長を祈り続けています。
今後も海外での上映予定はありますか?
7月に開催されるベトナムの映画祭、さらにカナダ・トロントでも上映を予定しています。上映会でいただいた「若い世代に見てほしい」という声を受け、アメリカ国内の大学や高校、医療系の学校などにも営業活動を展開しているところです。SUA(アメリカ創価大学)では、9月から始める次のセメスターで上映すべく、予算の検討を行っていただいています。さらに多くの学校で上映できるよう努力したいと思っています。
どんなことに仕事のやりがいを感じますか?
今回、たまたま戦争の悲劇を題材にした映画に携わることになりましたが、私は大学を卒業する時に「平和のために少しでも役立てる人材に」と誓いを立てていたので、不思議な縁を感じています。また、小さい頃から映画鑑賞が好きで、たくさんの映画を観てきたので、この業界で仕事ができることを心から嬉しく思っています。今は大好きな映画を通して平和に貢献できる喜びと責任、やりがいを感じながら仕事をしています。誠実に、地道に信頼を築き、もっとたくさんの映画やエンターテインメントを創り出していくことがこれからの夢であり、目標です。
坂口さんが現在のお仕事に就くまでのキャリアについて教えてください。
新卒でアパレル企業へ入社して間もなく妊娠し、退職しました。その後は13年間、2人の娘の子育て中心の生活をしていましたが、長女が中学生になった35歳の時、もう一度自分のキャリアを構築したいと一念発起して就職活動を始め、2023年から現在の会社で働いています。
もう一度働こうと思ったのは、ママ友と出かけた韓国旅行がきっかけでした。新婚旅行以来の海外旅行で、久しぶりに外国の空気を吸っているうちに、「そうだった!世界って広かったんだ!」と急に思い出して、外に出なきゃ、という気持ちになったんです。子どもたちも手を離れる時期でしたし、35歳という年齢は新しくキャリアを始めるにはギリギリのタイミングだという思いもあり、旅行から帰って数カ月で就職を決めました。今考えると、あの韓国旅行が本当に大きな転機でしたね。
大学ではどのような学生生活を過ごしていましたか?
とにかく英語の勉強を必死で頑張っていました。小学生の頃から英語が好きだったので、学部では英語で経済学を学ぶインターナショナル・プログラムに参加し、周りの優秀な友人たちに刺激を受けながら語学力を高め、世界への視野を広げました。あの時身に付けたことが、今の私をつくっています。
上映会までの過程では、その英語力が役立ったのですね。
子育て中心の生活をしていた時期にも、海外ドラマやポッドキャストで細々と英語のインプットは続けていたものの、アウトプットの機会はほとんどなく、英語を使うのは十数年ぶりでした。でも、いざ話し出すと意外に会話できて、大学で一生懸命頑張ったおかげだなと思いましたね。ただ、やはり当時のレベルにはほど遠く「やっぱり元には戻らないのか……」とショックでした。
ところが、上映会のためにニューヨークへ行って2、3日経った夜、突然目が覚めたみたいに昔の英語力が戻ってきたんです! 大学時代の蓄積がブワッと内側からあふれ出てきて、自分でも驚きました。その瞬間、努力は嘘をつかないんだ、努力してきて本当によかった、と心から実感しました。とても嬉しかったです。
再び社会で働き始めた今、ご自身のキャリアについてどのように感じていますか?
大学卒業後ほどなく子育てに入った私の人生は “王道のキャリアパス”ではありません。私自身、20代の時は「何のために大学で勉強したんだろう」と悩んだこともあります。育児と仕事をトレードオフすることは私が自分で選んだ道ですが、それでも友人たちが外資系企業でバリバリ働いているのに、私は家にこもって子育てをして、まるで自分が浦島太郎みたいだと思うこともありました。
でも今は、自分が後に続く働く女性たちのパイオニアとして道を切り拓いていこう、と勝手に思っているんです。妊娠・出産・育児を早く終えて新しくキャリアをスタートさせる生き方もあるんだ、テンプレート通りではない道もあるんだ、と少しでも思ってもらえるように、頑張ってこれからのキャリアを築いていこうと思っています。
後輩たちにメッセージをお願いします!
繰り返しになりますが、一生懸命努力した大学時代の私が、今の私をつくっています。学生時代に勉強した英語も、趣味として大好きだった映画や世界史や百人一首も、今、自分の引き出しになり、思わぬ場面で「強み」として私を助けてくれています。ムダなことは何一つない、全部必然だったと思っています。
就職活動の時期になると、みなさん人生のプランを考えますよね。ですが、実際の人生はプラン通りには進むとは限りません。自分の人生なのに自分でハンドリングできなくなる時期もある。それも1年2年どころか、10年、20年と続くことだってあるのが人生です。そんな回り道に思える時も負けずに進む力をつけられるのが、大学時代だと思います。目の前の一つ一つのことに真剣に取り組み、たくさん勉学に励んでください。その蓄積が、きっと未来のあなたを助けてくれます。
<経済学部経済学科 2010年3月卒業>
坂口明子
Akiko Sakaguchi
- [好きな言葉]
- 負けじ魂
- [性格]
- 好奇心旺盛
- [趣味]
- 映画、ドラマ、音楽、アート鑑賞、読書、漫画
- [最近読んだ本]
- 異常/エルヴェ・ル・テリエ