創価大学学生歌の歴史

創大第31回・短大第17回入学式 2001年4月2日(©Seikyo Shinbun)
創大第31回・短大第19回卒業式 2005年3月19日(©Seikyo Shinbun)

学生歌誕生について

『創価大学50年の歴史』より

1972年秋の第2回創大祭の実行委員会は、実行委員長以下、副実行委員長3人(クラス代表の互選2人、学友会代表1人)、実行委員43人(各クラス代表1人、学友会代表8人、生協代表4人)で構成された。第1回弁論大会(9月22日)、開学からの歩みを記録した『青春のシュプール』の刊行のほか、学生歌の作成を企画。学生歌作成委員会を設置し歌詞を公募した。

学生歌歌詞募集を呼び掛ける学生
第2回創大祭で出発の庭に飾られたモニュメント
第2回創大祭の様子
第2回創大祭実行委員会によるビラ
学生歌作成委員会によるビラ「あぴいる」

検討の結果、歌詞はペンネーム・沖洋(おきひろし)による作品、曲は音楽サークルの所属学生らに依頼した作品の中から、川上慎一(経済・1期)のものが採用され、推敲を経て記念フェスティバルで発表することとなった。

作成委員会は当初、沖洋の実名を把握できずにいた。美術部の作品製作者の中に沖洋の名があることが分かり、本人と連絡がついたのは創大祭の数日前だった。学生歌の推敲は、発表前日の深夜に至っても続き、作業が完了したのは発表当日の11月24日午前3時過ぎであった。

推敲段階では歌詞は4番まで作成されていた
式典前日に完成した歌詞

午後に大学を訪問した創立者は、文科系校舎正面の建学の精神の碑の除幕後、各教室の展示を視察。中央体育館での記念フェスティバルに臨んだ。学生歌を聴いた創立者は作詞者・作曲者の労をねぎらいつつ、歌詞数カ所の修正を提案。その場で創価大学学生歌が完成をみた。この席で創立者はスピーチを行った。


 

初めて披露された学生歌の合唱
歌詞を朝から急いで覚え午後の発表を迎えた

『新・人間革命』第15巻「創価大学」より

いよいよ、学生歌の発表である。
合唱団のメンバーが声高らかに歌い始めた。短時間の練習であったが、見事なハーモニーを奏でていた。
 
紅群れ咲く つつじの丘を……
 
伸一は、「創大祭」実行委員会のメンバーが用意してくれた歌詞の紙を見ながら、学生歌に耳を傾けた。
力強い調べである。歌詞もまた詩情にあふれ、理想があった。希望があり、大志があった。
建学の精神が、見事に謳い上げられていた。
すばらしい歌が誕生したと、彼は思った。歌が終わると、伸一がマイクを手にした。
「誰がつくったの?」 「はい」
作詞と作曲をした二人が手をあげた。
「いい歌だね。感動しました」
場内から、喜びの拍手がわき起こった。
「でも、少し直していいかな」
作詞者が頷いた。今度は歓声と、さらに大きな拍手が広がった。

山本伸一は、作詞者の了解を得ると、直しを口述していった。
「一番の『白蝶一色喜び舞いて』は『白蝶あそこに』が、『青嵐はげしく虚空に吹いて』は『天空吹いて』がいいね。
二番の『燃えなんわが胸義憤の心』は『正義の心』がいいだろうね。
三番の『青山洋々遥かな地平』は『青山洋々 かなたに富士が』に、最後の『生命の真窮むかな』は『生命の真求むかな』としてはどうだろうか」
作詞した学生は感嘆した。言葉の矢が、見事に的を射るような思いがした。どの個所も、最後まで悩み、迷いがある部分であった。硬く、難しかった表現が平易になり、豊かな情景が目に浮かぶようになっていくのを感じた。
学生と伸一の共同作業で、「創価大学学生歌」の完成をみたのである。

歌詞を推敲する創立者(©Seikyo Shinbun)
創立者の添削部分(赤字)

「第2回創大祭記念フェスティバル」
『池田大作全集』59巻

本日の、この創大祭という一つの事実の中に、学生らしい諸君たちの姿勢、情熱というものが明確にあらわれている。

諸君は、それぞれいろいろな道に進むことになりますが、平坦な道など絶対にありません。目標が大きければ大きいほど苦難の道に直面することでしょう。それを乗り越えた人が一流の人であります。これが自分の一生の道だと決めたら、苦難を避けるのでなく、その道で、その立場で、断固として精進し、奮闘していくことです。そうした苦難を乗り越えなければ、本物ではないと思う。それが人間教育の原点です。

一期生、二期生の諸君は、どうか自分たちがこの大学の創立者であると自覚をし、本気になって取り組んでもらいたい。

だれでも、逃れることのできない宿命というものがあります。そう肚を決めたとき、宿命は使命となって、その人の一生を輝かせるのです。諸君に期待する私の真心を汲みとって、創立者としての一人一人であっていただきたい。
 

創立者は約40分間にわたってスピーチした(©Seikyo Shinbun)
1974年に発売された学生歌レコード
時代とともに媒体が変化してきた学生歌
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創立者のスピーチから

発刊に寄せて『創価大学50年の歴史』8頁

私たちが幾たびとなく歌い上げてきた学生歌には──
「誰がために 人間の道 学ぶかな」
「誰がために 平和の要塞 築きたる」
「誰がために 生命の真 求むかな」とあります。
わが創価の同窓たちは、何よりも「民衆」の幸福のためにと、確固たる目的観をもって、「創造的生命」の太陽を昇らせ、青春と社会の苦難に挑んできました。

(中略)

ともあれ、遠大な未来を思えば、創立50周年も、いまだ草創期であります。万年の彼方まで「従藍而青」の光彩を放ちゆく創価教育の真髄は、〝いよいよ、これから〟と心新たに誓い合おうではありませんか!
さあ、創価の学友よ! 不二の同窓よ! 貢献と勝利の人生を、威風も堂々と飾っていってくれ給え! 永遠に私と一緒に!

この地球(ほし)の
幸(さち)と平和の
ルネサンス
創価の太陽(きみ)よ
民衆(たみ)と照らせや

大好きな「創大学生歌」を、共に口ずさみ、生命に轟とどろかせつつ

『創価大学50年の歴史』
2021年4月2日発刊

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「民衆のため」が創大魂(スピリット)『池田大作全集』第143巻 218頁

大中国の最高人民検察院の首脳である孫副検察長は、検察院に冠せられた「人民」の二字の深き意義を、幾重にも強調されています。つまり、〝つねに「人民のため」という根本の目的を、絶対に忘れてはならない〟〝いつも、人民の理解と監督を真摯に仰いでいくべきである〟と訴えておられる。
皆さん方と、何度も何度も、ともに歌ってきた創価大学の学生歌にも、「誰(た)がために」という尊き問いかけがある。
その答えは明確です。
それは「人民のため」です。
大学に行けなかった「庶民のため」です。
そして、世界の「民衆のため」なのです。

創大第30回、短大第18回卒業式
2004年3月20日 聖教新聞掲載

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生涯貫け 青春の誓いの大道『池田大作全集』第131巻 46頁

皆、「若き創立者」として、一緒に大学建設に汗を流した同志だ。一言二言、語っただけで、若干、年を取ってきた皆の顔も、たちまち学生時代に戻ったかのように、生き生きと輝いていた。
試練の山を越え、苦闘の歳月を耐え、わが使命の道を切り開きながら、今、青春の誓いの家に飛んできた君たちよ!
万感込めて、私は言った。「ようこそ!よくぞ帰ってきてくれました!」
記念講堂での式典が終わると、私は、すぐに中央体育館に走った。そこにも、五千人の同窓生が待っていたからだ。ひと目、大切な同窓生の全員に会いたかった。あまりにも懐かしき体育館。
大学の創建以来、若き学徒たちの夢と喜悦と苦闘を呼吸してきた情熱の舞台である。
モンゴル文学大学のツェンドアヨーシ学長への「創大最高栄誉賞」「創価同窓友誼之証」の授与式等を終え、最後に「学生歌」の合唱となった。
それは、再び、汝自身の人生の戦場へと散っていく、同窓の友の誓いの歌であり、無限の勇気の応援歌であった。

随筆 新・人間革命 150「創価教育同窓の集い」
2000年5月13日 聖教新聞掲載

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永遠に『学生のための大学』たれ『池田大作全集』第133巻 11頁

〽紅 群れ咲く つつじの丘を 白蝶あそこに 喜び舞いて 葉桜薫れる キャンパス広く………

この季節、八王子を訪れると、わが心は踊り、大好きな「創価大学学生歌」を口ずさみたくなる。
時まさに、創価大学の知性の殿堂は、花と緑の丘に堂々とそびえ立っている。
青春と英知の輝く、なんと美しい光の天地だろうか。

(中略)

「若き創立者たれ!」――これが、後世に脈々と伝えるべき創価大学の精神だ。
私のスピーチのあと、できたばかりの「学生歌」が発表された。歌が一応の完成をみたのは、この日の明け方近くであったようだ。その歌を、即席の合唱団が披露してくれた。
一、二年生だけで学生数も少ないうえ、展示に模擬店にと、一人が二役も三役も担っていたため、なかなか合唱団員は集まらなかった。国家試験をめざして猛勉強中のメンバーまで駆り出して、やっと結成できたという。
彼らの力強い歌声を聴いたあと、私は、その場で、直したらもっとよくなると思われる歌詞の案を語った。
「白蝶一色」を「白蝶あそこに」、さらに「青嵐はげしく虚空に吹いて」を「青嵐はげしく天空吹いて」とするなど、数ヶ所に手を入れた。
最終的には学生たちに検討をお願いしたが、彼らは喜んで採用してくれた。
創価大学の学生歌は、私と〝若き創立者〟たちの、大学建設に燃える情熱が一つになって完成したのだ。

随筆 新・人間革命 263「創価大学 創立の心」
2002年5月3日 聖教新聞掲載

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世界に輝け!創価同窓の光『池田大作全集』第49巻 378頁

君たちよ
忘れないでくれ給え!
何のために
栄えある創価教育の城で
学んだのかを――
無名の庶民を守り抜き
民衆の安穏と幸福のために
そして疲れた貧しき人びとの
絶対なる幸福を築きゆくために
努力することだ。

(中略)

創価教育の勝利は
君たちの心に灯(とも)された
「誓い」の火から始まった。
あの思い出のキャンパスで
荘厳な夕陽を見つめながら
友と語り合った「誓い」!
故郷の父母に
感謝を込めて綴った「誓い」!
私とともに
寮歌を 校歌を 学生歌
高らかに歌いながら
胸中深く刻んだ「誓い」!

(中略)

君もまた わが弟子なれば
決して「誓い」を忘れるな!
青春の「誓い」に結ばれた
創価同窓の連帯こそ
世界をつなぐ
金の橋であるからだ。

(中略)

おお!
あまりにも深き縁の君たちよ!
私とともに
人間性の勝利の時代を開きゆけ!
友情の道を結び
文化の橋を架け
平和と人道の
新しき勝利の歴史を残すのだ。
民衆が「勝った!」と
高らかに凱歌をあげる時代を
勇気と執念で
築き上げてくれ給え!

それこそが
私と君たちが約束し合い
この世で巡り合った
尊き誓いの使命であるからだ!
世界に輝け!
世紀に輝け!
燦然(さんぜん)と輝け!
創価同窓の君たちよ!

二〇〇四年三月二十五日
わが敬愛する
全創価同窓生の皆様の
栄光と勝利を祈りつつ
世界桂冠詩人

長編詩「世界に輝け!創価同窓の光」
2004年3月25日 聖教新聞掲載

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制作者の思い

学生歌を作詞した沖洋(おき ひろし)氏は、創価大学1期生の中村宏勝さんのペンネームであり、同じく作曲者の1期生川上慎一さんとともに、これまで何度も大学や学生からのインタビューに応じていただいています。

昨年、『創価大学50年の歴史』の編纂、及び創立50周年記念展の制作にも、様々ご協力いただく中、中村さんより大学に寄贈、お預かりした資料の中に、学生歌の作詞に携わられた貴重な原資料が多く含まれていました。

この度、本年(2022年)の学生歌誕生50周年を記念して、作詞構想当時のメモやその後のインタビュー記事の一部を公開させていただき、「制作者の思い」として紹介させていただきます。

学生歌歌詞の草案メモ(1972年)

「学生歌の心」 一期生 沖洋
『創大生協のしおり』
1980年3月3日発行

「第31回創大祭直前座談会」
『SUN Soka University News』
No.31 2001年10月1日発行

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鈴木学長による学生歌の意義考察

私の大好きな「学生歌」について話をさせていただきます。新入生向けの「人間教育論」という授業で、初めて担当させていただいた学長講義で、私は学生たちに「学生歌」の歌詞について話し合ってもらいました。「この歌詞について思いついたことを述べてみよう」という問題です。皆さんの中には私よりも「学生歌」に長年親しんでこられた方がたくさんおりますので、このような質問は「今さら」といった感じかもしれませんが、私なりに考えてみました。(2022年)

学長 鈴木 将史

まず誰もがすぐに思いつくのが、1番から3番までの末尾がすべて「誰がために」となっており、そこに建学の精神が3つ歌われていることです。
「人間の道学ぶかな」は「人間教育の最高学府たれ」。「平和の要塞築きたる」は「人類の平和を守るフォートレスたれ」。そして「生命の真求むかな」は「新しき大文化建設の揺籃たれ」に当たります。「新しき大文化」とは、「生命の尊厳に基づく新しい文化」だからです。
「誰がために」には、「英知を磨くは何のため」といった問いかけや、「大学は大学に行けなかった人のためにある」といった哲学が込められていると思います。

この歌詞は、他にもたくさんの見方が可能です。

この青い文字のところを見ると、1番の「白蝶」「葉桜」「緑のしげり」「青嵐はげしく」などは春から夏にかけて、2番の「桑の実みのれる」は秋、3番の「不二の峯真白く」は冬の風景です。

このように、学生歌にはキャンパスにおける季節の移り変わりが、様々な色を用いて表現されていることが分かります。

さらに1番の「喜び舞いて」「集える若人」などは明るい昼間の風景、2番の「たそがれこめぬ」等は夕方から夜にかけて、そして3番の「朝日は昇りゆく」などは朝の風景です。

学生歌を歌うと、キャンパス及び周辺地域における、一日を通した光の変化を感じ取ることができます。またこの順番は決して偶然ではなく、春夏には明るい昼が、秋には長い夜が、そして冬には清冽な朝が、最も季節感をよく感じられる時間帯として選ばれているのだと思います。

また、1番のこれらの歌詞を見ると、広いキャンパスに白亜の学舎が建っている創価大学の姿がわかります。2番の「城跡」「土塁」などは滝山城の姿です。3番ははるかに山々が連なり遠くに富士山が見える、八王子の風景を表しています。このように、創価大学周辺の風景がありありと浮かび上がってくるような歌詞です。

そしてこれらの箇所には、学問を志し、父母や正義のために立ち上がり、世界へと雄飛しゆく創大生の精神が見て取れます。

また、1番ではまず自身の人生についてひそかに考える姿が、2番では家族や社会について真剣に思いをめぐらせる姿が、そして3番ではいよいよ世界や人類のために行動しようとする姿が描かれています。まさに自身から世界へ、知識・理解から思索・行動へとスケールを広げる、創大生の成長の姿を描いていると言えます。

このように「学生歌」には、創価大学が持つ様々な価値が余すところなく描かれています。

私は学長になったばかりですが、本学のこのような多彩な価値が、彩り豊かに開花するような大学を目指していきたいと思います。
学内の皆さんの声に真摯に耳を傾けるとともに、誰もが何でも正直に言い合える大学にしてまいります。
グランドデザインや学長ヴィジョンをしっかりと掲げつつ、それぞれの個性や資質・能力を発揮し合うキャンパスになるよう、皆で力を合わせて前進していきましょう。

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創大生と学生歌

学生歌合唱写真

大学及び自治会写真室が記録撮影した写真の中から、学生歌の合唱写真を紹介します

第2回卒業式(1976/3/18)
第5回体育祭(1976/10/2)
第3回もちつき大会(1976/12/20)
第7回体育祭(1978/9/30)
第9回滝山祭(1980/7/13)
創立10周年記念式典(1980/11/1)
第7回卒業式(1981/3/20)
第3回水泳大会(1981/9/12-13)
第12回入学式(1982/4/10)
第12回創大祭(1982/10/29-31)
第12回滝山祭(1983/7/16)
第18回滝山祭(1989/7/8)
第24回創大祭(1994/11/1)
第26回創大祭(1996/11/1)
開学30周年記念音楽祭(2001/4/28)
第9回第九演奏会(2003/12/14)
第35回創大祭・後夜祭(2005/10/10)
第36回創大祭(2006/10/7)
第39回創大祭(2009/10/9)
創立40周年記念祝賀祭(2010/11/7)
第46回創大祭(2016/10/7)
第43回卒業式(2017/3/18)
第48回入学式(2018/4/2)
第52回入学式(2022/4/2)

美術部による学生歌壁画制作

創立者の提案を受けて美術部メンバーが構想、A棟地下1階に制作した学生歌の壁画が完成し、2004年12月11日、創立者が視察しています。「富士」を背景に、扇形のフレームに描いた「つつじ」「蝶」「葉桜」「桑の実」など学生歌に歌われた情景を散りばめた壁画は縦2.3メートル、横9.4メートル。卒業生を含む美術部関係者128人が制作に携わりました。
※現在文系A棟地下には入れません

学生歌の壁画を鑑賞する創立者 2004年12月11日(©Seikyo Shinbun)

この壁画の対面には、創立15周年を記念して当時の美術部メンバーが制作した壁画(縦2.3メートル、横14メートル)がありました。

本部棟で開催中の「創立50周年記念展」では、学生歌のコーナーを設けております

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投稿コーナー

学生歌へのあなたの思い、エピソードをお聞かせください。また本サイト企画の感想をお聞かせください。

創価大学学生歌の歴史 アンケート

このアンケートは研究所事務室による確認の後、当該サイトにて紹介させていただく場合がございます。

学生歌の思い出投稿はこちら

皆様から寄せられた学生歌の思い

創大現役生

入学式で、創立者・池田先生と学生歌を一緒に歌わせていただきました。その時、勉学の道で親孝行し、世界の平和を実現しゆくリーダーに成長すると決意しました。 大学卒業後、大学院へ進学し研究に励む中で、困難な時ほど学生歌を思い出します。歌詞の一つひとつに、これまで池田先生と共に歩んできた創大での思い出や、自身の決意が重なり、心を奮い立たせてくれます。 学生歌は、創立者と創大生の永遠の絆であり、心を結ぶ歌であると思います。

創大卒業生

在学時代、毎日のように歌っていたと思います。寮でも、クラブの終わりにも。行事の際には何度も創立者と一緒に歌わせていただきました。作詞は創立者ではないことは学生時代から知っていましたが、創立者からの期待、学生の決意が合わさった歌詞のように感じていました。サイトを見て、作られた当時のことを初めて知ることができてよかったです。学生として最後の日に、創立者と合唱したことももちろん忘れがたいのですが、学生歌の一番の思い出は、留学生喫茶の終了後、ともどちの庭で多くの国の留学生と輪になって肩を組み、留学生歌を歌って一つになった後の締めの学生歌が忘れられません。創価大学にきて本当によかったと心から感じました。

創大教職員

創大のこの50年間は、学生歌なしには語れないと感じています。昨年の創立50周年を機に、多くの資料や写真が大学に寄贈される中、学友と肩を組み学生歌を歌う創大生の姿を多く目にしました。また制作者等から当時の貴重な資料等を頂戴し、創大学生歌に込められた思いを改めて学ばせていただきました。本部棟に設置された50周年記念展示内の映像には、第2回創大祭で初めて披露された学生歌の合唱や歌詞を推敲する創立者の音声も入っております。
学生の決意が綴られた学生歌、創立者と共に作られ歌い続けてきた学生歌。
いつの時代も歌い続けていってほしいと願っています。

創大現役生

創価大学を目指していた当時小学5年の私は、参加したオープンキャンパスで初めて学生歌を聞きました。「かっこいい!」が最初の印象でした。そこから歌詞を覚え、勉強のモチベーションを上げる時によく口ずさんでいました。その後、亡き祖父と創大入学を約束し、一生懸命勉強に励みました。そして今年、52期生として入学し、パイオニア吹奏楽団にも入団しました。創大に入学するまで学生歌に支えられた私のように、今度は私がパイオニア吹奏楽団の一員として、演奏を聴いてくださる方々に、希望や励ましを送れるように、日々鍛錬して参ります。

創大卒業生

我が愛する「学生歌」!
学生時代から今日まで何回歌ったことか!「何のため」という問いかけと、自省を繰り返し、喜びの時も悲しみの時も「学生歌」と共に前を向いて闘った。クラブ活動(箏曲部)を通して、大学建設に挑んだ日々。それらの日々も、いつも「学生歌」と共にあった。OBの結婚式(勿論、自分の時も)では、最後はいつも「学生歌」だった。様々な事情で母校に集えない時は、「学生歌」が母校そのものになった。これからも「学生歌」と共に。

創大卒業生

創大出身の両親が報恩感謝を胸に使命の舞台で活動する姿や、現役学生の運営役員の姿を見て、創大への進学を決意。創大学生歌を歌いながら受験勉強に挑戦し、入学を勝ち取ることができました。入学式で歌いながら、創価の学舎にようやく集えた喜びで胸がいっぱいに。その後もことあるごとに学生歌を歌いながら創大生として挑戦の日々を過ごしてきました。コロナ禍でキャンパスに集うことができなくなっても、学生歌を歌うことで創大生としての輝きを失うことなく学びを続けることができ、社会人になった今もつらい時こそ学生歌を口ずさみながら、創大生としての誇りを胸に走り続けています。大学の真価を示す使命を考えた時、卒業してからが創大生としての本当のスタートだと思います。「誰がために」との歌詞を胸に、生涯人間主義の道を走り抜きます。

創大現役生

クルーダンス部D.I.CREWでは創立者に心を向け、練習を始める前に毎日1番から3番まで学生歌を歌っています。そしてその学生歌を歌う声から生命力を強くしていこうと、部員同士声をかけながら歌っています。私の青春はこの学生歌ともにあります。

創大卒業生

入学式の式典前に銀嶺合唱団による「学生歌」の歌唱指導がありました。その歌唱指導の時の歌声にあこがれ、銀嶺合唱団に入部しました。入部以降、定期演奏会や萩の夕べコンサートなどの最後の演目は、必ず学生歌でした。卒業してからもふと口ずさみ、ハモってしまうのは学生歌で、これまで何度も勇気をもらいました。学生歌の前奏が響くと背筋が伸び、心が弾みます。いつまでも大事にしていきたい大切な学生歌です。

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学生歌音声・公式動画はこちら

関連リンク
創大第44回・短大第32回卒業式 2018年3月18日

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