創大と中国の交流
日中国交正常化提言より
1968年9月8日(創立者40歳、日本大学講堂にて)
「諸君が、社会の中核となった時には、日本の青年も、中国の青年も、ともに手を取り合って、明るい世界の建設に、笑みを交わしながら働いていけるようでなくてはならない。この日本、中国を軸として、アジアのあらゆる民衆が互いに助け合い、守り合っていくようになった時こそ、今日のアジアを覆う戦争の残虐と貧困の暗雲が吹き払われ、希望と幸せの陽光が燦々と降り注ぐ時代である――と、私は言いたい」
創価大学と中国(略年譜)
年月日 | 事象 |
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1903年10月15日 |
牧口常三郎先生『人生地理学』を出版。41の新聞・雑誌に書評が掲載され反響を呼ぶ |
1903年11月 | 浙江省出身留学生発刊の雑誌『浙江潮』第9期に「植物与人生之関係」として『人生地理学』の部分訳が掲載される |
1903年12月 | 同上の雑誌 第10期に「植物与人生之関係」(続)、「地人学」として『人生地理学』の部分訳が掲載される |
1904年2月 | 牧口常三郎先生 弘文学院の講師となり、中国人留学生に地理を教え始める |
1906年4月1日 |
中国人留学生らが牧口先生の講義を中国語に翻訳し『江蘇師範講義 第7編地理』が出版される |
1906年8~11月 | 牧口先生、中国教育視察団(各省の教育行政長官)の訪日視察に、日本側代表として参加 |
1907年7月5日 |
牧口先生の『人生地理学』を中国語に全訳した『最新人生地理学』が上海で出版される |
1909年4月 | 弘文学院に学んだことのある凌廷輝訳『人生地理学』が上海で出版される |
1950年1月~ | 創立者、戸田城聖先生のもと、三国志等を通して、組織運営、情報分析、礼儀作法等を学ぶ(戸田大学) |
1954年1月23日 | 戸田城聖先生、牧口先生の著作『価値論』を補訂し約50カ国422大学に送付 |
1968年9月8日 | 創立者、日中国交正常化提言を発表(東京・日本大学講堂) |
1971年4月2日 |
創価大学開学 |
1971年4月29日 | 開学した月に学生団体「中国研究会」が発足 |
1971年11月25日 |
第1回創大祭で中国研究会が研究展示(以後毎年開催)
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1973年3月 | 日中友好学生訪中団の一員として創大生1名が大学として初めて訪中 |
1974年5月30日 | 創立者、初訪中(以降1997年の第10次訪中まで計10度の訪中) |
1974年10月27日 |
創価大学で第1回中国語弁論大会を開催(以後毎年開催) ※写真は第8回 |
1974年12月5日 | 創立者、周恩来総理と会見(北京市・三〇五病院) |
1975年3月11日 | 創価大学と香港中文大学が交流協定を締結(本学第1号、当時は英国領) |
1975年4月7日 |
創立者が保証人となり中国から第1期国費留学生6名を創価大学に受入
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1975年11月2日 |
中国第1期国費留学生らが学内に「周桜」を植樹
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1976年4月 |
中国人留学生を含む海外留学生のための別科を学内に設置(9/11に第1回別科入学式) |
1976年4月10日 |
正門開通式、創立者が創大生、中国人留学生と共に歩き始めを行う
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1976年6月1日 | 香港中文大学から交換教員を受入(以後2019年迄に交換教員250名以上を受入) |
1976年11月5日~7日 |
第6回創大祭で初めての留学生店舗を出店(5ヶ国7名・A棟天空広場) (以後、‘78にSoka world Snack、’79から第1回留学生喫茶として以後毎年各国料理を出店)
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1977年 | 香港中文大学交換留学生として創大生2名派遣(以後現在迄に中国に1500名以上が留学) |
1976年6月26日 |
創価大学正門向かい側に「日中友誼農場」を開園(現在の東京富士美術館敷地内)
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1976年7月11日 |
創立者出席のもと碑「金の橋」が除幕される(第5回滝山祭) |
1976年9月8日 | 日中学生で第1回「月見乃宴」を開催 |
1977年2月15日 |
日中学生による文集「兄弟」を創刊、「日中友誼農場」の碑を除幕
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1978年8月1日 |
創価大学第1次学生訪中団を派遣(以後80,82,83年、2015~2019年、2023~2024年) ※写真は中国研究会発行「第一次学生訪中団記録」から転載 |
1979年4月7日 |
創立者、高占祥(元文化部長)とともに学内に周夫婦桜を記念植樹
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1979年4月9日 |
第1回周桜観桜会を開催(平安の庭) ※写真は後年 |
1979年4月12日 | 創立者、来日中の鄧頴超女史(周恩来総理夫人)と会見(迎賓館) |
1979年9月5日 |
北京大学が交流協定を締結(双方にとって日中交流第1号)(2024までに69大学と協定) |
1983年7月24日 |
第4次学生友好訪中団(周桜訪中団)が鄧頴超女史(周恩来総理夫人)と会見 ※写真は中国研究会発行「第四次学生友好訪中団記録」から転載 |
1984年6月5日 |
創立者、中国・北京大学より「名誉教授」称号(海外第1号)を受賞(北京大学) (以後2024年までに台湾・香港・マカオを含む中国計143大学から名誉学術称号を受賞) |
1985年3月6日 | 創立者、胡錦濤青年連合会主席(後の国家主席)と会見(98、08に計3度会見) |
1988年~ | 中国語短期語学研修を武漢大学で開始(以後、香港中文大学、香港大学、澳門東亜大学、北京師範大学等で継続) |
1988年5月3日 |
構内に「北京大学桜」を植樹(以後、南開大学桜や清華大学桜など交流校の記念植樹を折々に実施)
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1989年8月 |
中国人民大学出版社から牧口常三郎先生の『価値論』英訳版を翻訳した『价值哲学』が出版される |
1989年11月1日 | 創立者、中国文化部より「中国芸術貢献賞」(以後、92年に「文化交流貢献賞」)を受賞 |
1990年4月 | 創大文学部に外国語学科 中国語専攻を設置(以後2007年DDコース設置まで) |
1990年5月28日 | 創立者、中日友好協会より「平和の使者」称号(以後「中日友好の使者」称号)を受賞 |
1990年5月31日 | 創立者、江沢民総書記(後の国家主席)と会見(後1998年に2度目の会見) |
1990年10月 |
創立者と常書鴻の対談集『敦煌の光彩―美と人生を語る』が発刊 (以後、中国人との対談集は計11冊を発刊、‘98金庸、’02季羨林/蒋忠新、‘07杜維明、’09饒宗頤/孫立川、’10張鏡湖、章開沅、‘12高占祥、顧明遠、’15劉遵義、‘17王蒙)
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1991年3月17日 |
「文學之橋」開通式(銘板は本学名誉博士の常書鴻 敦煌研究院名誉院長の筆)
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1992年3月18日 |
海外留学生一同の名で感謝と決意を記した碑「飲水思源」が寄贈される(第18回卒業式)
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1992年3月28日 | 創立者、香港市政局より「名誉顧問」称号を受賞(東京・八王子市) |
1992年10月13日 | 創立者、人民対外友好協会より「人民友好の使者」称号(以後「中日文化交流傑出貢献賞」)受賞 |
1994年2月 | 文学部外国語学科中国語選考の武漢大学特別留学を開始(以後2007年DDコース設置まで) |
1996年春 |
「桜花門(栄光門向かい)」の門柱に銘板「滝山寮」が設置される(復旦大学蘇歩青名誉学長の筆)
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1994年6月28日 |
創立者、中国・広東省 深圳市より名誉市民称号(同市第一号)を受賞 (以後、計10の市・県から「名誉市民」「名誉県民」を受賞、'95クチャ県、'98ホータン(和田)市、'99西安市、'01広州市、長春市、トルファン市、'04青島膠南市、'06カシュガル市、トムシュク市) |
1999年7月2日 |
創価大学本部棟が落成。外壁に中国産の御影石「桜花紅」を使用 |
2001年12月17日 |
北京大学に「池田大作研究会」が発足(中国初の池田思想研究機関) (2024年までに台湾を含め49大学に創立者を研究する機構が誕生) |
2003年9月7日 |
中国研究会卒業生の寄贈により「日中友好」の碑を設置 |
2004年 |
「池田文庫所蔵 魯迅著作展」を開催(本部棟)
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2005年10月14日 |
展示「池田大作と中日友好回顧展」を開催(北京市) 第1回池田大作思想国際学術シンポジウムを北京大学と共催(2023年までに計11度開催) (‘06華中師範大学、’07湖南師範大学、‘08北京師範大学、’09遼寧師範大学、‘10中山大学、‘12上海師範大学、‘14陝西師範大学、’16南開大学、‘18復旦大学、’21創価大学)
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2006年3月6日 |
創価大学北京事務所開設(中国・北京市)
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2007年4月 |
ダブル・ディグリーコース設置(以後、北京語言大学に毎年10名程度2年間派遣を継続) |
2007年4月 | 日中友好学術研究助成金制度を開始 |
2008年5月 | 日中の学生で四川大地震被災者追悼式を実施(周桜) |
2010年2月 | 第1期国費留学生の1人である程永華氏が駐日全権大使に就任 |
2010年11月27日 ~2014年3月 |
展示「名誉学術称号300御受章記念特別展——創立者池田大作先生の教育・学術交流の軌跡―」を開催(本部棟)
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2012年7月 |
中央図書館「中国館」設置、国交正常化40周年を記念して中国から創大に図書贈呈 |
2014年10月10日~11月30日 |
展示「理解・友誼・平和―池田大作と中国展」を開催(文系A棟)
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2015年4月2日 |
創大初の海外指定校として上海甘泉外国語中学と推薦入試に関する覚書を調印 (以後、2024年までに大連市第十六中学、大連市第四十八中学、長春外国語学校、中等日本語課程設置校工作研究会と調印) |
2015年5月9日 |
大連工業大学と3年次編入学に関する細則を調印 (以後、2024年までに北京第二外国語大学、西安外国語大学、広東外語外貿大学、陝西師範大学、南京理工大学、仲愷農業工程学院、大連工業大学、上海外国語大学、大連芸術大学、深圳大学、大連海事大学、大連外国語大学、天津外国語大学、華中師範大学、計13大学と編入に関する協定を調印) |
2018年9月8日 |
日中新時代フォーラムを開催(中央教育棟ディスカバリーホール) |
2021年 | 創価大学創立50周年 |
2021年9月24日~ |
展示「創立者池田大作先生の教育・学術交流-名誉学術称号受章の軌跡―」を開催(本部棟) |
2022年11月11日 |
日中国交正常化50周年記念フォーラムを開催(中央教育棟)
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2022年8月 | 通信教育部で中国の池田思想研究者によるオンデマンド授業「人間教育論B」が開講 |
2023年4月 | 学部共通科目で中国の池田思想研究者によるオンライン授業「中国池田研究事情」が開講 |
2024年 |
創立者初訪中、周総理会見50周年 「周恩来・池田大作会見50周年記念シンポジウム」を開催(中央教育棟) 現在の創大中国語科目数 計86科目、中国語履修者数 約3800名 |
創立者の50年にわたる日中友好の行動
平和
1968年の国交正常化提言や日中平和友好条約の早期締結を提言。自ら10度訪中し、周恩来総理など歴代国家指導者と40回以上の会見を通し、両国の信頼と友好を深める「平和行動」を貫いてこられました。緊迫した状況下にあった中ソ関係の緩和にも尽力されています。中国から「友好の井戸を掘った人」と称賛され、創立者の逝去時には、習近平国家主席から日本の総理大臣宛に弔電が届き「中国人民の古き友人」との痛惜の念が伝えられました。
文化
多くの文化人と対話を重ね、敦煌文化研究の常書鴻氏や元文化部長の高占祥氏等、発刊した対談集は11冊に及びます。創立者が設立した民主音楽協会では1975年の「中国北京芸術団」の日本公演以来、京劇院、歌舞団、雑技団等40以上の文化団体を招聘し、2100回以上の公演を実施。東京富士美術館では、中国初の「西洋絵画名作展」、日本での「中国敦煌展」等を開催し、両国の魅力を紹介する「文化交流」を絶え間なく続けてこれらました。
教育
10度の訪中の中、多くの大学に図書を贈呈し、教育による友好を推進してこられました。北京大学、復旦大学、中国社会科学院等、大学講演は8度に及びます。国交正常化後、初の国費留学生を受け入れ、創大では留学生交流や来学者の歓迎、訪中団の派遣等、両国を身近に感じられる機会を設けると同時に、共同研究等の学術交流も行われてきました。創立者が半世紀にわたり築いた「教育交流」の道には両国の青年が陸続と続いています。
創価大学 第4回入学式 創立者スピーチより
私が、世界の人々のなかを駆けめぐるその胸中には、常に大切な、そして心より信頼する諸君の存在があったことを知っていただきたい。どうか、諸君は、私の今打っている〝点〟と〝点〟とを〝線〟で結び、更にそれを壮大な立体とした世界の平和像をつくりあげていってほしい。これは、私の諸君に対する遺言と思って下さい。お願いします。