丹木の歳時記2024 師走(二)

昭和の時代の滝山寮生は冷え込みが厳しくなると綿入れ半纏(はんてん)を羽織って八王子の寒さに耐え、なかにはジャージのズボンに半纏姿のまま授業に出席するつわものもいて、ファッション性を超越した身なりから「滝山原人」などと呼ばれていました(笑)。「原人」の生活は寮と大学の往復だけで成り立ち、必需品も生協でほぼ事足りましたが、たまに八王子駅近辺に買物に行くときなどは「山を降りる」と称していました。仕送りや所持金が底をつくと12人部屋の共有の冷蔵庫を物色し、勝手に人のものを「拝借」して急場を凌ぐことも。そんな‘食うや食わず’の寮生がいたことも創立者はご存知だったのでしょう。全寮生を会食会に招いて下さったこともありました。「諸君の第一保証人はご両親だが、創立者としてご両親から大切な諸君を預かっている私はいわば‘ゼロ保証人’だよ」と。当時の通信手段といえば手紙か寮の受付に設置されていた赤電話のみ。時代は移れどもご両親は実家を離れて暮らす寮生やアパート暮らしの皆さんが風邪をひいていないか、ちゃんと食べているかといつも心配されていることでしょう。LINEでもよしメールでもよし。たまには元気な様子を知らせてあげてください。「お母さんを大切に」「ご両親を大切に」。幾度となく創立者から伺った言葉です。

「丹木の歳時記」への感想はこちらまで

E-mail:publicrelation@soka.ac.jp
Facebookの「いいね!」やツイートも執筆の励みになります。

Instagramでも丹木の里の四季折々を紹介しています。創価大学公式アカウントはこちらから

Share