丹木の歳時記2025 師走(三)

 戦後80年の節目となる本年もまもなく幕を閉じようとしています。1941年12月8日の真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争で日本軍が攻勢だったのは半年ほど。翌1942年6月のミッドウェー海戦での大敗を境に、その後の戦局は防戦一方へと転じました。1943年には連合艦隊司令長官山本五十六の乗った飛行機が撃墜され、山本は戦死。ほどなく「玉砕」という言葉が使われ始め、「一億総玉砕」への道を突き進んでいきます。
 1944年には日本が絶対国防圏の中核とした南洋諸島のサイパン、テニアンに加え、グアム、さらにフィリピンのレイテまでもが次々に陥落。機体ごと敵艦に体当たりする「特攻」が始まるのもこの頃です。
 その最中のペリリュー島での戦いも凄惨を極めました。約1万人の日本軍の多くは20代で、最後まで生き残ったのは30数名。1945年8月の終戦も知らず島内に留まり続けた彼らが米軍に投降したのは、2年後の1947年のことでした。公開中のアニメ映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は、こうした絶望的な戦闘を生き延びた兵士の物語です。
 日本はどこで道を誤り、なぜ無謀な戦争へと踏み出したのか。「人類の平和を守るフォートレスたれ」との建学の精神を胸に刻み、近現代史に学びながら、思索を重ねたいものです。

富士山
文系A棟
中央教育棟前
建学の精神
石蕗(ツワブキ)
柚子(ユズ)
黒鉄黐(クロガネモチ)
藪茗荷(ヤブミョウガ)
小綬鶏(コジュケイ)
目白(メジロ)
紅葉
紅葉

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