牧口常三郎著『人生地理学』の感想を中国清朝の学者が述べた新たな資料が発見されました

1903年(明治36年)、後に創価教育学を提唱する牧口常三郎先生は、32歳の時に新しい地理学の書として著作『人生地理学』を発刊されました。この書は、欧米列強による帝国主義の時代であった20世紀初頭に、自身の住む郷土を学ぶことから世界に思いを馳せる「世界市民」の考えや、「他国の民の不幸の上に自国の幸福を築かない」という「人道的競争」に立脚した理念が溢れており、学んだ人々に新たな自覚を促し大きな反響がありました。
牧口先生は、中国人留学生のために設立された学校(弘文学院)で地理を教え、渡来していた多くの中国人留学生が牧口先生の地理学を学んでおり、帰国後に独自に中国語に翻訳・出版された『人生地理学』が、中国のいくつかの大学内で発見されています。
この度、発見された資料は、『人生地理学』が出版された翌年(1904年:中国は清朝時代)に発刊された雑誌『新民叢報』第3年第5号の中で、梁啓超(りょうけいちょう)が執筆した部分になります。
梁啓超は、清末から民国初期にかけて活躍した思想家で、当時の中国社会の改革と近代化を強く訴えた人物であり、後に清華大学の教授や、北京図書館の館長を務めています。梁啓超が日本で牧口先生の『人生地理学』を読んだ際に大変感動したという内容の文章で、これによって牧口先生の『人生地理学』が中国の人々に広く知られることになったと考えられます。
【原文】
按地学之精微至是而極近世学者謂地理与羣治有密接之関係誠有察於此也吾去年始見日本人牧口常三郎(※)所著人生地理學一書舉日本全土風俗政治種種發達之差異而悉納之於地理旁引泰西各國以爲證而皆有精確不磨之論據吾讀卒業嘆爲得未曾有而 不知吾二百年前之先民已有志於此業者後起無人大業不竟誰之責也可歎可媿 王易以顧黄王学継荘難高山景行吾響往焉 (※人名誤字を修正しています)
【翻訳】本研究所訳
地理学の精妙さに基づけば、この境地に至ることはまさに極致に近いと言えますが、近年の学者たちは、地理と社会統治が密接な関係にあると論じており、確かにその点をよく見抜いていると感じます。私は昨年(1903年)、日本人の牧口常三郎が著した『人生地理学』という本を読みました。この本は、日本全土における風俗や政治、その他さまざまな発展の違いが挙げられており、それらすべてが地理的な視点から詳細に説明されていました。さらに、西洋諸国の例も幅広く引用されており、いずれも精密で不変の論拠を持っています。私はこの本を読み終えて、非常に感嘆し、これまでにない大きな感銘を受けました。しかし、実は私たちの先人(中国人)の中には、200年も前にすでにこの分野に志を抱いていた方々がいました。後の時代にそれを継ぐ人が現れず、偉大な事業は成し遂げられませんでした。それは一体誰の責任か。嘆かわしく、また恥ずかしいことです。王易は顧炎武や黄宗羲の学問を継承しました。王陽明の学問は荘子のような難解な思想をも受け継ぎ、まるで高くそびえる山のように尊く立派な道を仰ぎ見るようなものでした。私はそのような先人たちに心を打たれ、深く敬意を抱いてやみません。
上記の梁啓超の感想から、牧口先生の『人生地理学』は、物理的な地理学ではなく、人間社会と地理の関係を探る応用社会科学的アプローチであり、そこに中国知識人が目指すべき新しい知のあり方を見出していると言えます。
また、この一連の文章からは、牧口先生の学問に対する驚きと称賛のほか、同時に中国の先人の遺産とその継承の断絶を惜しんでいることがわかります。そして、過去の中国の思想家たちの学問を理想視し、自らもそこに連なりたいという強い志をにじませています。
この度発見された資料は、雑誌「灯台」6月号の、塩原將行氏(本研究所客員研究員)による「『創価教育の源流』を学ぶ」と題する連載に掲載されています。6月号の連載第2回目は、牧口先生の著作『人生地理学』出版への道のりや出版後の反響、また込められた世界市民と人道社会への視点が綴られ、牧口先生が中国人留学生に行った地理科の講義が紹介されています。
