高木功 教授

経済学との出会い

 経済学部に進学したものの、初年次において住み込みのアルバイトに疲れ、また生き方に悩んでいた当時の私にとって、どの科目も、それほど魅力を感ずるものではありませんでした。そんな中、あるテキストとの出会いが大きく私の進路を変えはじめます。2年生になった春学期「外書講読」(英語で専門書を読む授業)に参加しました。

 「例えば、南米の二つの代表的な家庭をみてみよう……家族が夕食の準備をする土曜日の夕べ——ペントハウスに住む裕福な家族では、使用人が高価な輸入物の陶器や銀食器、それに上等の麻のテーブルクロスで食卓を夕食のコースはロシアのキャビア、フランス風のオードブルにイタリアのワインで始まる。長男は北米の大学から、あとの二人の子供たちはフランスやスイスの寄宿学校から休暇で帰国している。父親は米国で教育を受けた著名な外科医、顧客は国内外の裕福な高官やビジネスマンである。地方にかなりの規模の土地を持ち、毎年海外で休暇を過ごし、高級な外車に乗る。洗練された食事と衣類がこの裕福な家族のありふれた楽しみである。

 貧しい家族はどうだろう。彼らも海を眺めることはできるが、蓋のない下水からの悪臭がそうした美しい、心安らぐ光景を遠い存在にしている。夕食を整える食卓はない。実は夕食そのもがないのだ。……字の読めない7人の子どもたちのほとんどは1日中、街路で金をねだり、靴磨きをし、時には大通りを散歩する人の財布を狙う。……父親は何年もの間、パートタイムで働き、定職をもてないでいる。子供たちは、どんな形であれ、経済的に家族を助けなければならない。街の反対側で友達と暮らす10代の長女が余分なお金を持っているようだが、誰もそのお金をどうやって手に入れたか聞くものはない。」

 少し長い引用になりました。これは、その授業で使われていたテキストM. TodaroのEconomic Development in the Third World (『第三世界の経済発展』)の最初の章からの引用になります。当時、1977年に初版が出たばかりの専門書でした。

 布で想定された大部の本書を手に取って、初めて開いた時の新鮮な香りと新鮮な気持ちは今も忘れません。アパートの一室や、バイト先の休憩時に宝物探しをするように丁寧に読み込んだことを思い出します。

 外国を知らない当時の私でしたが、この夕飯時の二つの家族の対照は、強烈なインパクトをもたらしました。絶望的な格差と貧しさは経済活動と経済の仕組みの結果なのか、それならば経済を学ばざるを得ない、と思いました。

 当時は国際的な権力と経済の不平等な構造と経済格差は「南北問題」と呼ばれていました。先進国の多くが相対的に北半球の高中緯度に位置し、発展途上国の多くが赤道付近から南半球に位置していたからです。私は経済学を学ぶ理由を見つけたのです。

「貧困」と「開発」

 私は「開発と貧困の経済学」とオムニバスで「人間主義経済学」という講義を担当しています。「貧困」とは何でしょうか。「貧」は生活に必要な十分な富やお金がないことです。「困」はお金や財がないことで苦しむ、困る、きわまることをいいます。

 漢字の成り立ちは、木が囲いに閉じ込められ、木の成長が阻害されている不自由な状態を意味します。貧困とは人間が本来備えている潜在力を開花させることができない状態を意味します。「開発(Development)」とは中に封印され、閉じ込められている(envelopされている)可能性と潜在的要素を開くことを意味します。ここに「開発と貧困の経済学」という講義名の所以(ゆえん)があります。

 途上国で生を受けた場合、生命の貧困はすでに始まっています。お母さんが十分に栄養を取れない場合、お腹の胎児も骨格、脳、内蔵の形成期において十分な栄養が取れないことを意味し、無事に生まれても、母乳と安全な水を得ることも難しいことになります。貧困な社会経済環境のもとにおいては女性と子どもという弱者が一番の犠牲者となります。

 社会的には貧困は、貧困者に対する「侮蔑」と「差別」そして「黙殺」と「排除」として表れます。人間の可能性は社会に受け入れられて初めて育まれ、開花します。経済的には「失業」「非正規雇用」「奴隷労働」として表れます。そして自己肯定感と自己尊厳性は失われ、無力感と絶望の中で生き続けなければなりません。

 人間が人間らしく生きる条件を、特に経済的条件(十分な栄養のある食料、安全な住居、雇用機会、教育機会、医療サービス等)を整えることが経済学の使命といえるでしょう。

東南アジアとのかかわり

 大学院生であった1980年代当時は、主にタイ、インドネシア、マレーシア、シンガポール等の東南アジア諸国を訪れました。タイには1983年、派遣留学生としてチュラロンコン大学大学院に留学し、バンコクでは多くの貴重な経験と視野を広げることになります。

 帰国後、創価大学平和問題研究所、アジア研究所の助手・講師として研究所業務に携わりました。特に80年代後半においては、フィリピン大学に初めて学生と共に語学研修プログラムに参加し、今日のフィリピンとの交流の先駆けとなりました。シンガポールの南洋理工大学(NTU)の研修にもその後初めて、学生と共に参加しました。1989年にアジア研究所から経済学部へ移動となり、経済学部の講師として教育・研究に携わることになりました。

 当時、学部を超えた大学の大きな国際シンポジウムの開催に12年にわたり関わる機会を得たことが、その後の研究・教育者としての私にとって大きな糧となりました。本学の創立者池田先生によるアジア地域の平和と相互理解を実現する組織、すなわち「アジア太平洋平和文化機構」創設の提案(1986年)を受けて、創価大学の主催で「第1回創価大学環太平洋シンポジウム」(1988年)が開催されました。

 1990年には、第2回が創価大学アメリカで開催され、その後も2年に一度、アジア諸大学と共催し,第3回(1992年,マカオ大学),第4回(1994年,シンガポール),第5回(1996年,フィリピン大学),第6回(1998年,タイ・タマサート大学),そしての第7回(2000年,マレーシア・マラヤ大学)まで開催されました。このシンポジウムの開催を通して築かれた教育研究交流のネットワークはその後の創価大学の国際交流の財産となっています。

 この間、1997年春から一年間、シンガポールの東南アジア研究センター(ISEAS)に客員研究員として在外研究の機会を得ました。滞在中、1997年6月にはタイとベトナムに研究調査旅行に出かけましたが、その最中にタイのバーツ発の「アジア通貨危機」が起こりました。

 ドルにくぎ付けられたバーツは、それ故に世界から投資を引き寄せ、活況を呈しましたが、同時にヘッジファンドによる投機的通貨売りの格好の標的となりました。一気に資本逃避が加速し、バーツの為替レートは急落します。他の東南アジア諸国にも伝染し、また韓国、ロシアにも通貨危機が波及しました。東南アジア諸国経済は流動性危機に陥り、企業は倒産し、失業者が巷に溢れました。放置された建設途上のビルが無残なコンクリート地を曝していました。

南アジアとのかかわり

 この通貨危機以後、私の関心はアジア経済の成長、発展から「貧困」へと徐々にシフトしてゆきます。翌年の1998年にはアマルティア・センが分配と公正、貧困と飢餓、社会選択論の研究における貢献によりアジア人として初めてのノーベル経済学賞を受賞しました。

 センの開発・貧困に対するケイパビリティ・アプローチは私に大きな示唆と刺激を与えてくれました。また1998年12月はインドの名門デリー大学から池田先生に名誉文学博士号が授賞され、その後、交流校として教育研究交流が開始されます。同大学創立75周年の佳節を祝す授与であり、この時、A.センまたジョン・ロールズも一緒に受賞しています。

 私は翌年の1999年にデリー大学が主催する国際会議に参加、発表するために、初めてインドを訪問します。その後引き続き、語学・文化研修のため学生を引率して、2012年まで毎年インドを訪問し、デリー並びに以外の都市、コルカタ、チェンナイ、またムンバイ、バラナシ等を訪問しました。

 特にコルカタのラビンドラ・バラティ大学とシャンティニケタンのタゴール国際大学ではラビンドラナート・タゴールの偉大な思想とその思想のもとに花開いた文学、絵画、舞踊に触れることになります。またチェンナイではクマナン博士が創設したインド創価池田女子大学にも学生と一緒に訪問し、「イケディアン(Ikedian)」(同大学の学生は皆が自身を池田先生の弟子と呼ぶ)として交流する機会を重ねることができました。

 結果として、特に大学院では複数の東南アジア諸国やインド・ネパール・スリランカから修士・博士課程に複数の留学生を受け入れ、指導教授として修士また博士の学位取得まで支援できたことは私の最大の誇りとなっています。

アフリカとのかかわり

 アフリカとは、理工学部のプロジェクトで、図らずも縁することとなります。文科省の大学ブランディング事業に採択されたエチオピアを対象としたPLANET(途上国における持続可能な循環型社会の構築に向けた適正技術の研究開発と新たな地域産業基盤の形成)です。

 理工学部と人文・社会科学学部の文理融合型プロジェクトです。当時、BOPビジネス(貧困の解消と利益の双方を実現するビジネス)を研究していたため、微細藻類(スピルリナ)の商品化のため本プロジェクトに関わることになりました。その後、本プロジェクトの成果はSATERPS-EARTH(環境保全と経済成長を両立させる現代版アフリカ里湖循環型社会の構築)プロジェクトに引き継がれ、今日まで継続されています。

 私はテーマ4「ビジネスモデルの構築・社会実装化」のリーダーとして、本学の経済学部、看護学部、経営学部のスタッフと現地大学スタッフとともに、この課題に取り組んでいます。スピルリナは、タンパク質が豊富で乾燥質量の6割を超え、ミネラル、ビタミンを含みます。

 食習慣と宗教的タブーからタンパク質不足に悩む、子供たちや女性の栄養改善に大きな効果を発揮する可能性があります。皆さんからの商品化アイデアについては大歓迎です。お待ちしています。



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