教員からのメッセージ
掛川三千代 教授
掛川三千代 教授
持続可能な社会構築を目指す学問
私の専門は、環境経済学、開発経済学、国際開発協力です。環境経済学は、「環境」と「経済学」が一緒になった言葉で、この言葉を聞いて、矛盾するのではと考える人もいることでしょう。確かに「環境を保護する」ことと、「経済」を動かしていくことは、矛盾する行動のように感じるかもしれません。
「環境経済学」という学問自体が人類の進歩の証でしょう。なぜなら、人類は、より豊かな生活を目指し、経済学の理論をベースに経済発展をしてきましたが、同時に、環境への負荷も増え、結果的には自然破壊や公害も引き起こしました。よって、環境と経済の関係を見直し、環境問題を引き起こさないように、また、環境問題自体を経済学の考え方を使って解決して行こうとするのが「環境経済学」と言えるでしょう。
また、開発経済学は、開発途上国での貧困、就学率の低さ、安全な飲料水へのアクセスがないことなどの課題を、経済学のアプローチを使って、どのように解決していくのかを考える学問です。私自身は、開発途上国における経済開発が環境や社会に与える影響を、どのように避けることができるか、また負の影響を最小にしていけるのかということに強い関心を持ち、研究を続けてきましたが、どちらの学問も、最終的には、持続可能な社会づくりを目指しています。
国際社会に目を向ける
高校時代は、「平和」ということに強い関心を持ち、どうすれば「戦争のない世界が作れるのか」と考えることが多かったです。振り返ると、私の小・中学、高校時代には、ベトナム戦争、ベトナムのカンボジア侵攻、ソ連のアフガニスタン侵攻と、アジア地域での戦争のニュースが流れており、学校でもクラスの担当教員が、これらの戦争を話題にすることが何度かありました。
「第二次世界大戦が最後の戦争」と学校では教えてもらっていたはずですが、「なぜ、その後も戦争が続くのか」、「私たち、連合国の人民は」で始まる国連憲章で謳われていること(「(略)寛容を実行し、且つ善良な隣人として互いに平和に生活し、国際平和及び安全を維持する為に、私たちの力を合わせ。。。」は、なぜ、実践されていないのか、との疑問を持っていました。
そのようなことを考える中で、自分としては、考えは単純でしたが、「世界の平和を構築するために、国連で働きたい」と考えるようになりました。そのような目標があり、大学では、国際関係論、社会学などを学びました。
当時の世界は、米国を中心とする資本主義、自由経済圏の諸国と、ソ連や中国を中心とする社会主義国の諸国に分かれており、その様な世界情勢や、軍事力や経済力で進む「パワー政治」について学びました。同時に、「人間主義」、「経済だけではなく、人間のための開発」という言葉も強調され始めた時期でしたので、大学で学ぶ中で、「人間に焦点を当てた開発」とは、具体的に、どのようなものだろうかと、途上国での開発問題にも関心を持ち始めました。
専門を考える
皆さんも、大学のどの学部で学ぶべきか、また、「自分の専門は何にしようか」と考えたりしているかもしれません。まずは、自分が、何に一番興味を持っているかを考え、追求していくと良いと思います。本を読むことも一つですし、友人をはじめ、少し歳上の人など、色々な人と話をしていくと、自分が学びたいことが、少しずつ見えていくかもしれません。
同時に、焦ることもないと思います。私は、世界のことに関心を持ち、「国際関係論」、「国際政治」を学び始めました。同時に、社会の構成や人の行動を研究する「社会学」にも関心があり、それも学びました。現在、私は経済学部で教えていますが、経済学を学ぶと、社会での出来事全般を理解し、分析できる基礎力がつくと感じます。
さて、私自身の話に戻りますと、本当の意味での専門を考え始めたのは、大学院修士課程に入る際です。先ほども述べた通り、高校時代、大学時代は、「平和構築に貢献するため、国連で働きたい」と思っていましたが、では、一体、何の分野で、どのように平和構築に貢献するかをあらためて考えたのは、大学院を受ける前でした。
また、国連に勤務することが念頭にあったので、国連での「空席情報」(募集情報)なども参考にし、どのポストだと、どのような学歴や経験、スキルを持つ人を求めているのかなども調べました。結果的に、自分は環境分野で貢献したいと思い、環境を専門にすることに決めました。勿論、環境と言っても非常に分野は広いです。
子供の頃から自然の中で遊ぶことが好きだったり、周囲に咲いていた草花などに関心があったことも影響していると思います。更には、日本としての貢献を考えた際、やはり公害問題を乗り越えようと努力し、状況を改善してきた経験は、日本人としての強みではないかとも考えるようになりました。
修士課程はロンドンの大学院で学び、環境管理・計画をはじめ、環境経済学、経済開発学などを含めて包括的に学びました。世界から集まる学生たちとの討議を中心とした授業には、最初はついていくのが大変でしたが、私の英語力と討議力を高めてくれたと思います。また、今でも、その時の授業での討議を良い思い出の一つとしてよく覚えています。
開発途上国との仕事:持続可能な社会のために
大学院卒業後は、日本での仕事を経て、国連開発計画(UNDP)ニューヨーク本部、タイ地域事務所、在ラオス日本国大使館、外務省、国際協力機構(JICA)ベトナム事務所、環境省と、様々な機関で、持続可能な開発や社会づくりを目指して仕事をしてきました。
政策レベルでの仕事、プロジェクトの企画や実施、モニタリング、人材育成事業など多くの業務経験を積みました。国際機関での協力も経験しましたし、日本の政府開発援助(ODA)の仕事もしてきました。職場は変えていますが、自分としては、「途上国の人々のため」、「持続可能な社会づくりのため」と一貫した信念で仕事をしてきています。
最近は、「SDGs達成を目指して」ということが主流ですが、「持続可能な開発」という概念は、1970年代から醸成されてきた概念であると、私は思っています。その大きな流れの中で、その仕事の僅か一部を自分もさせて頂いていると感じています。
多彩な人材を育成して、持続可能な社会を作る協働作業(ゼミでの学び)
上述した仕事経験を経て、私は大学教員になりました。大学で教鞭をとっているのは、若い人たちに自分の経験を教える中で、学生と共に学び、一緒になってより良い社会、持続可能な社会づくりをしていきたいと思うからです。
私は、ゼミの他、「国際開発協力論」、「Development and the Environment」(英語での授業)、「共通基礎演習(持続可能な社会を目指して)」(英語での授業)などを担当しています。
ゼミは、「持続可能な社会を目指した経済学」との副題をつけ、主に環境経済学、開発経済学を学ぶゼミです。
最近では、気候変動を念頭に、いかに脱炭素社会を作るかが大きな課題になっていますので、気候変動のことや循環型経済を中心に学んでいきます。環境問題全般、途上国の貧困問題、開発協力に関心がある学生が多く履修しており、環境政策、市場を活用した施策のアプローチなどを学んでいき、実際にこれらのアプローチを社会実装していくには、どのような政策が必要なのか、また人々や企業が環境にやさしい行動を取るには、どのような条件や国による施策が必要なのかなども討議しながら考えていきます。学生の皆さんが卒業するまでには、国際的な動向を含め、環境対策の基本的な仕組や、持続性を念頭にした施策の仕組がわかるようになっています。
加えて、フィールド研修も重視しており、各セメスターに1回ほどですが、SDGs達成に向けて努力している企業などを訪問し、現場を見せて頂いたり、企業スタッフの方と直接、意見交換する時間を作っています。
大学での授業や討議は、理想論に目を向けてしまうというリスクもありますので、授業での学びを踏まえ、現場ではどのような状況なのか、現場での課題は何かなどを学ぶ機会を作っています。また、学生にとっては、その企業をよく知る機会にもなっており、「企業説明会ではわからないことが、今日は学べて良かったです」と言ってくれた学生もいました。
もう一つの特色は、ゼミ合宿では、屋内での勉強の他に、自然体験ができる国立公園に行き、皆でハイキングなどを楽しみ、自然を満喫することです。自然の美しさ、不思議さ、魅力をゼミ仲間と体験することも重要な活動の一つとしています。
このようなゼミ活動を通じて、学生にとっては、それぞれの関心があることを伸ばし、得意分野を通じて、どのように社会に貢献していくか、その力を修得できるよう工夫しています。私も、随所で学生たちをサポートし、アドバイスもしています。経済学部の学位を持つ学生として、ここまで環境のこと、気候変動対策のことを理解している学生は、一般的にはそれほど多くないため、とても貴重な人材と自負しています。学生たちの就職先は様々ですが、世界のどこかで、環境や一般庶民に配慮しながら、ビジネス活動を進めていると確信しています。
毎年、新学期に新しい学生たちが入学してくると、私は新しい出会いに胸がワクワクします。「SDGs達成のために貢献したい」、「脱炭素社会は、どうやって作れるのか、学んでみたい」という人がいらっしゃれば、是非、創価大学、経済学部にお越しください。SDGsの達成に向けて努力しつつ、世界の平和構築に向けて、共に協働して行きたいと思います。
佐久間貴之 准教授
佐久間貴之 准教授
大学で研究していること
ニューヨークの大学院を卒業してから銀行で働いていました。仕事はリスク管理です。簡単にいえば、銀行のお金を管理するような仕事です。数学や統計学を使って金融に関する分析をする人をクオンツと呼ぶのですが、私もクオンツとして金融商品の価格の計算などをしていました。
複雑な金融用商品の価格計算にはとても時間がかかる一方、刻一刻と変化する経済状況に応じて価格も素早く計算できなくてはいけません。ですので、高速かつ正確に計算できる方法を日々探求しています。最近は、金融業界で量子コンピュータが注目されているので、量子力学などを勉強しながら、量子コンピュータを活用した手法もいろいろと試している最中です。
また、授業は主に統計学やファイナンスを担当しています。
高校、 大学、 大学院での興味
高校生のときには NASA に興味があったので、将来は宇宙を探求する研究者になりたいと思っていました。ただ、論文を読むためには苦手な英語を勉強しなくてはいけないと分かっていたので、だったら英語と宇宙を同時に学ぼうという安易な発想で、渡米してミネソタ大学に入学しました。
しかし在学中は生物の神秘に魅了され、生理学、分子生物学、免疫学など様々な生物に関する授業を聴講していました。そして数学を使って生物学を研究している先生の授業に参加したことがきっかけで、ニューヨーク大学の大学院に進学しました。
しかし進学後は、Wall 街で働いている方が教える金融工学の授業を受講したことがきっかけで、金融工学の方に興味がうつりました。そして更に、金融工学が実際の仕事でどのように使われているか知りたくなり、帰国して銀行に就職したのです。その時から、ずっと先ほど述べたような研究をしています。
今振り返れば、新しいもの好きというか興味がコロコロ変わっていました。その一方で、将来何をしたいのか明確に決められず、当時はいろいろと悩んでいました。選択肢が多すぎて、なかなか一つを選べなかったのだと思います。
大学院在学中の通学路。マンハッタンは家賃が高いので、ブルックリンに住んで電車で通っていました。
左の建物が、ニューヨーク大学のクーラント数理科学研究所です。ここで、数学の授業を受けていました。
クーラント数理科学研究所のすぐ近くにあるワシントン・スクエア公園です。週末には面白いパフォーマンスを観ることができます。
研究への姿勢
大学院に在学中、金融工学に関して大変興味深い研究をしている先生の授業を受けたことがありました。クオンツの業界では知らない人はいないというくらい著名な方でしたが、ぜひ話を伺いたいと思いメールを送ってみたところ、大変忙しいにも関わらず「ランチをしながら話をしよう。」との返信をすぐにくれました。そしてランチトークでは、進路のことなど親身になって相談にのってくれました。
その先生に、一つ聞きたいことがありました。難解な数学を駆使した研究をされていたのですが、その先生にはそのような数学を学んだ経歴がなかったのです。「どうやって難解な数学をマスターしたのですか?」と聞いたところ、「金融工学の研究が面白そうだったから、自分で勉強したんだ」と気さくに答えてくれました。
「興味があることはどんどんトライした方がいい。必要な知識などはこれから吸収していけばいいんだ。まずはやってみることが大事。」という、その先生の研究に対する姿勢を教わったような気がします。
研究に限らず何か行動に移すとき、様々な言い訳が頭に浮かんでなかなか次の一歩が踏み出せない時があります。残念ながらこの先生はすでに亡くなられましたが、そんな時はこの先生の顔を思い浮かべて、「とりあえず、小さい一歩でもいいから踏み出してみよう」と自分に言い聞かせています。
学生に学んでほしいこと
大学生活は長いようで短いですから、あまり悩んでいる時間はありません。しかし私も先ほど伝えた通り、学生の時は将来の進路に悩んでいました。だから、悩んでいてなかなか次の一歩が踏み出せない学生の心情も分かります。それでも私のゼミ生には、「考えすぎるよりも、まずは行動にうつしてみたら?」とアドバイスしています。そうすれば、必ず何かしら得るものがあり、自然と次に踏み出すべき一歩も見えてくると思います。
私のゼミではファイナンスを教えていますが、もちろん金融業界以外の進路を選ぶゼミ生も少なくありません。そして学生は、社会に出てからも新しいことを学び続けなくていけません。なのでゼミの授業では、単に知識を受け身で学ぶのではなく、なぜこれを学ばなくてはいけないのか?どのような課題を解決する場合にこれは活用できるのか、これが使えない状況はどのような時か?など、様々な視点から考えるようゼミ生に伝えています。
また、就職すれば様々なバックグランドを持つ人たちと協力して仕事をすることになります。なので、いろいろな学生が集まるゼミ活動を通して、協力して何かを達成する経験をぜひ積んでもらいたいと思います。
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小島健 准教授
小島健 准教授
このページにたどり着いた高校生のみなさん
このページを見に来る学生さんはどのような学生さんなのでしょうか。書きながらこう思うのも変ですが、ホームページの正面から訪れると、このページはなかなか深いところにありますので、訪れる人は限定的だと考えています。
経済学や行動経済学に相当な興味があるか、気になるキーワードで検索を書けたら、たまたま引っかかったのか、はたまた私の知り合いでしょうか。もしかすると学生でさえないかもしれません。そんな方々に送る情報は、ありきたりな内容ではいけないだろうというのを念頭に、思いつくままこのページを作りたいと思います。
経済学に関心のある方へ
経済学を学ぶとどんな力が身につくのか?
千変万化な現代に対応し続けるのが経済学です。そのため、経済学は様々な場面に応用することができます。言い換えれば、あれも経済学、これも経済学、となるために、その輪郭をつかみづらいのものまた経済学です。
しかし、あえて私の主観で形作りましょう。本気で経済学を学ぶと、人間や社会の課題に対する「解決力」が身に付きます。経済学を学んで身につく課題解決力とは、個人や社会の課題が明確に与えられるのであれば、データを集め、解決策を提案し、その策を評価し、そして改善していくという、一連の力、という意味になります。それが経済学を学んだ私の経済学に対する印象です。
ゼロから経済学を教えるとするならば?
私が経済学の教育プログラムをゼロから組んでいいと言われたなら、課題解決力を身に着けるために、まず因果関係と相関関係の違いについて徹底的に学ぶことから始めます。例えば、暴力的なゲームをする人ほど、現実でも暴力的である、という事実があったとしましょう。これは相関関係であり、因果関係とは限りません。
暴力的なゲームをするから、現実でも暴力的になるのか、暴力的な個人が暴力的なゲームを好んでするのか、もしくは、どちらも結果として生み出す共通の原因があるのか。これだけの情報では、何が原因で、何が結果なのかはわかりません。そしてこれが重要なのです。
仮に、暴力的な人を減らすために暴力的なゲームを禁じたとしましょう。暴力的なゲームをすることが原因で、現実でも暴力的になるのが結果なら、原因を禁じたので、暴力的な人が減ります。しかし、暴力的な個人が暴力的なゲームを好んでするだけなら、暴力的なゲームを禁じたところで暴力的な人は減りません。単に、ゲームを作る仕事を奪っただけになります。
そのため、相関関係と因果関係を見極めることは大変に重要です。そのため、次に因果関係を明らかにする手法を学びます。例えば、ランダム化比較試験などですね。詳しく知りたい方はアセモグル・レイブソン・リストのミクロ経済学(東洋経済新報社)や中室先生と津川先生の「原因と結果の経済学」(ダイヤモンド社)を読んでみてください。
このような信念を持っていますので、私の講義は、まずここから始めます。そして、次に問に答えを与える練習をしていきます。最近わかってきたのは、「答えを与える」練習と同様に「問」を形作る練習もまた大事だということです。
おそらく、多くの学生は問の全容が全て与えられ、それにぴったり当てはまる答えを解答していく訓練に比重を置いてきたのでしょう。それも重要な力なのですが、多くの学生がグループディスカッションの問でさえ、問の前提条件に不備があると感じると私のところへ質問に来ます。決まって、不備は自分たちで埋めなさいと私は回答します。
現実において、問を解くのに必要な前提条件が全て事前に整えられていることの方が、珍しいからです。「問」に何が足りないのか、何が不明瞭で、何を調べ、何を明らかにすることで、課題解決へとたどり着けるのか、これら課題設定力を身に着けることが、課題解決力の基礎になります。
課題が設定できたら、次はデータを集め、分析し、答えを与えるという訓練に続きます。
最終的にどうなるのか
さきほどまで、現実とデータと介入案(原因にアプローチして結果を変化させる政策案など)の話ばかりをしてきましたが、私の専門は理論です。現実の分析に対して、理論は地図のようなものです。
みなさんは地図アプリを使ったことがありますか。地図は2次元で書かれることが一般的です。地図が3次元で現実と同じように書かれてあったらどうでしょうか。近くのことを調べたり、曲がる道の目印を見つけたりするには有用ですが、現在地から到着地までの大まかな道筋を知るのには不便です。
理論も同じで、現実を形作る重要な骨組みを浮き彫りにして、現実に対する理解を深めようとしています。目的に沿った綺麗な地図を書こうとするのが理論です。そのため、理論を学ぶと「将来に対する予測」ができます。介入案の「評価」もできます。
ですから、理論も現実の分析もどちらも重要になります。したがって、経済学を本気で学ぼうとすると、最終的には理論も学び、現実を分析するための手法も学び、現実の課題を設定する力も身に着けることになります。それら一連の力が相互作用するようになって、切れ味のある課題解決力が身につくことになります。
行動経済学に関心のある方へ
研究テーマ
今は不正とその抑制方法について研究しています。不正といっても、現在実験の対象にしているのは周りに迷惑のかからないズルといった程度です。しかし、この行動が現実の無銭乗車や無断欠勤と相関しているという研究結果があるので、現実に応用が可能な研究になります。
年齢が上がるほどズルをしなくなったり、合理性によってズルが促進されたり、倫理観は抑制に効果が薄いけれども自尊心が抑制に効果があったりなどとても興味深い結果ばかりです。ちなみに、抑制にはコミットメントが効果的でした。でもズルを繰り返すと、このコミットメントの効果は弱まっていきます。これは、論文にまとめている最中ですので、公開されたら、このページも更新しますね。
上記のような研究をしてきたわけですが、私は、理論の分析ばかりをしてきました。一つは、計画したことを計画通りに実行できない個人が、高い金利でお金を借りてしまい、返済がうまくできずに、自己破産してしまうという理論です。
もう一つは、誘惑的で贅沢な商品を消費せずにいるのには意志力が必要であり、意志力が弱まるような自制疲労が蓄積されると、誘惑的で贅沢な商品の消費が我慢できないといった理論です。でも、心のどこかに、現実を分析できるようにならなければいけない、という焦燥感というか、使命感がありました。そのため、ここ数年で実証分析の力も身に着けはじめたのです。
ゼミのテーマ
グループで問題解決ができるように実践しようというのがゼミのテーマです。ゼミでは、問をつくり、答えを与えて、発信をする訓練をしています。
問を形作るにはフレームワークに則る訓練と、形に当てはまらないほどの刺激を受ける経験が必要ですので、授業期間中の演習ではグループワークを徹底し、授業期間外の合宿ではフィールドワークに行きました。実践的なゼミだと、ゼミ生からは一定の評価を得ています。(まぁ、ゼミ生はそういうのが好きで入ってきているので、因果関係の特定はこれだけの情報からはできませんけどね。)
また、私の専門性から、主に行動経済学を応用することが多いです。そのため、行動経済学を用いた分析力と発信力を鍛えながら、行動経済学会の学部生ポスターの部に参加することが目標になります。私が受け持ってきた学生には、学部生ポスターの部で奨励賞を受賞した人もいます。毎年受賞できることを目標に頑張っていきたいと思います。
私の知り合いの方へ
私の大学生の日々について紹介したいと思います。
創価大学経済学部に入った理由と創価大学1年生の日々
小学生の頃から教師を目指していました。創価大学は教育者を多く輩出していましたので、創価大学”児童教育学部”を目指しました。高校からの内部進学が有利だろうと考えて、創価高校に入学したのです。
ですが、創価高校から児童教育学部への内部進学は競争が激しく、私は児童教育学部に落ち、第二志望の経済学部に入りました。ちなみに第三志望は経営学部です。なぜか?当時はどちらも人気がなく、滑り止めだったのです。経済学部を第二志望にした理由は、経済学部の方が得意な数学が役立つからという理由だけでした。
そんな消極的な理由で入学したものですから、大学1年生に入ってから苦労しました。経済学部に入ったことも意味があることにしてみせると意気込んで、色々なことに挑戦したものの、空回りしてばかりでした。ある朝、寮の共有スペースで立ちながら眠り、気づいたら授業が終わった時間になっていたのを経験して、全てを見直そうと決意したのを今でも覚えています。
そこで、がむしゃらに挑戦していたものを、一端全てやめました。区切りをつけたのです。そして、読書に励みました。変化がはじまったのは、1年生の後期でした。
友人と読書会を開こうと企画しました。数人で1冊の本を読んで議論しようとしたのです。では、その本を何にしようかと考え、その時にミクロ経済学を教えてくれていた高橋一郎先生にお勧めの本について尋ねたのです。フリードマンらの”Free to Choose”を紹介されました。友人と読んでも読んでも本当にわからなかった。「わからない」に体当たりする。高橋一郎先生との日々はいつもそうでした。
ある日、高橋先生が言いました。「君たちが、ハーバードやオックスフォードに行くと創立者も喜ばれるんだよ」と。友人たちと、どうすればハーバードやオックスフォードに行けるのだろかと疑問に思い、軽い気持ちで高橋先生に尋ねました。
「どうすれば、ハーバードやオックスフォードに行けるのでしょうか。」
高橋先生は答えました。
「君たちはハーバードやオックスフォードに行きたいのかい?」
私の”友人”が答えました。
「はい。私たち”全員”行きたいです。」
寝耳に水です。全員にはもちろん私も含まれています。そうか、私はハーバードやオックスフォードに行きたかったのか。いやいや、そんなこと一言も言っていない。そんな逡巡が髙橋先生に伝わるはずもありません。きっと私たちは決意に溢れた学生だったのでしょう。
「そうか、じゃあ君たちに基礎から数学を英語で教えてあげるよ。」
その一言に心が躍りました。不思議と、挑戦したい気持ちに溢れていたのです。
数学はε―δ論法から始まりました。”open ball”と言われて、ちんぷんかんぷんでした。「基礎から」とは、大学数学の基礎からだったのです。図書館に通い、関連するキーワードから何冊も本を借りては読み漁り、他学部の友人にも尋ね、先生にも尋ねました。それでもわかりませんでした。
宿題には1つも正解できません。集まった友人が一人、また一人と辞めていきました。別の目標が見つかったのです。私も何度も、もうここまでではないかと思い、でも進み続けました。
1年生が終わる頃です。初めて×ではなく△をもらえました。わからないとことばかりだった問に、光明が見え、一度見えると、今まで不正解ばかりだった問もわかるようになりました。知らぬ間に自己教育力、「わからないことをわかるようにする力」が身についたのです。
単なる暗記や技法ではなく、何に自分が躓いているのかを明らかにし、その内容を知ることができる情報源にたどり着き、わからない内容に対して多面的にアプローチすることで理解を深め、わからない内容がわかる形として輪郭が見え、直感が働く形として自分の血肉とする、その道筋がみえるようになっていました。
最終的に、髙橋先生との勉強会のメンバーは私一人になっていました。私の夢は、小学校の先生ではなく、大学教員になることに定まっていました。創価大学1期生である高橋先生は、創価大学を更に発展させるために博士号を取得して、創価大学に帰ってきた教授でした。
私も一流の経済学者になって、創価大学に帰りたい。私もまた、同じ熱意を抱きました。髙橋先生は、一人になった私に今度は論文を渡してくれました。進化論的ゲーム論の論文です。中級ミクロを受けていない学生を対象とした、ゲーム理論の勉強会が、つまり、ちんぷんかんぷんがまた始まりました。私は早速図書館で、Fudenberg and Tiroleの”Game Theory”を借りました。
創価大学2年生の日々
髙橋先生との勉強会では、色々なことに挑戦しました。1つは、Shimer(2007, AER)の”Mismatch”です。確率過程どころか、測度論も知りませんでしたから、そこから必死に勉強しました。もう1つは Kiyotaki and Moore(1997, JPE)の”Credit cycles”ですね。初めて最後まで理解して読み切れた論文でした。他にもニューケインジアンモデルを学習したり、くりこみ群を学習したり、当時はわからないことばかりでしたが、今でも宝の思い出です。
一方で、大学2年生の前期に受けていた中級ミクロ経済学のSA(Student assistant)の方と仲良くなりました。まさかε-δ論法から話が通じる先輩が何人もいるなんて、予想だにしませんでした。全員が独立して学習してきたものですから、お互いに補いあう箇所があります。
先輩たちとの勉強会は互いに刺激的でした。そんな先輩たちと一緒に、実力試しに経済学大学対抗戦に挑みました。結果は優勝、私は個人成績でも一番をとりました。これをきっかけに大学対抗戦に挑戦したグループを先輩たちと共に経済学理論同好会という組織にしました。10年もてばいいなと考えた組織でしたが、嬉しいことに今でも創価大学経済学部に残っている組織です。
それ以降
多くの挑戦と失敗と成功を繰り返しました。何度も行き詰っては、不思議と道が拓けていきました。それについても記述すると、今まで書いた量の何倍もの量になってしまうので割愛します。結果として、大阪大学経済学研究科において博士号を取得し、国立大学で任期付き特任助教、講師を務め、また地方の国立大学で准教授を務め、創価大学に帰りました。
まだまだ一流の経済学者には程遠いです。謙遜ではなく、事実です。一流と呼ばれる人たちは、形容できぬほど、実力に満ちあふれています。仕事が早く、価値が次々と生まれ、世界を開拓していっています。卒業してから12年で、創価大学に帰る約束は果たしました。次は一流を目指すことです。1点だけでもいい。自分もそのメンバーに食らいついてやるんだ、ということです。
結局のところ、変わらず、16年間ちんぷんかんぷんの連続でした。苦労と苦難に押しつぶされたことは数え切れません。ただ、自由な友人たちと共に、歩む先に希望があり、歩む道のりに浪漫を感じ続けられるというのが幸いである、というのが私の結論です。
高校生のみなさんにも、そんな苦難と浪漫の青春が満ち溢れていることを祈っています。最後のしめくくりに、きっとみなさんもご存知である創立者の言葉をつづりましょう。
「最後の一歩まで断じて退くな。幸福は前にあるからだ。」
「機会(チャンス)がないことを嘆くな。実力をつければ機会はおのずとやってくる。」
近貞美津子 教授
近貞美津子 教授
「ミクロ経済学」?
私が大学で担当している授業は、主に「ミクロ経済学」と、「農業経済論」という2つです。
「ミクロ経済学」とか「マクロ経済学」という名前を聞いたことがある方は多くいらっしゃるかと思います。ほとんどの大学の経済学部の学生さんたちは、この「ミクロ」と「マクロ」の両方の経済学を必修科目として勉強します。
「ミクロ」は微視的という意味で、一人一人の「消費者」や「生産者」の動きに注目します。一方で、「マクロ経済学」の「マクロ」は、巨視的という意味で、一国の経済の動きを見ていきます。
「ミクロ経済学」の話に戻りますが、一人一人の消費者や生産者に着目するといっても、もちろん、冷蔵庫のように、家族単位で消費する財もありますので、家族(「家計」と呼びます)を単位として消費の動きを見ることも多いです。また、「生産者」も会社単位で見ることも多くあります。
例えば「消費者」の動きに注目する章を勉強すると、身の回りの物の値段が上がったり下がったりしたときに、「その原因は何かな?」とか、「値段がこれだけ上がると、消費量はどう変化するかな?」といったことに考えを巡らすことができます。
経済学部の先輩たちに、「経済を勉強してよかったと思う時はいつ?」ときいたことがあるのですが、「普通に買い物をしているときに、価格の動きに敏感になって、その原因を考えている自分がいることに気付いた時」と話してくれたことがあります。そんな身の回りのことに関わる勉強を、1年生の皆さんと一緒に勉強しております。
農業の経済って何?
もう一つの担当科目が「農業経済論」です。専門は何?と言われると、私の場合は「農業経済です」ということになります。そんな「農業経済論」ですが、経済学部生の皆さんからも、「何を勉強するの?」とよく訊かれます。「農業をするの?」とか「将来は農業に進む人のための経済学なの?」といった質問もいただきます。
ゼミでも農業経済を学んでいるのですが、確かに、ゼミ旅行で農業体験をすることもありますし、ゼミの卒業生の中には農業の分野に進んだ先輩もいらっしゃいます。ただ、農業経済論自体は、農業や食料に関わる事柄について、経済学を使って分析するものです。身近な食料品の価格の変動、農業貿易の仕組み、世界の食料問題、食品ロス、食の安全性、農業と環境の問題等々、先進国から途上国に渡るまで、農業や食料に関わるトピックは沢山あります。
例えば世界の食料問題ですが、そのきっかけが、世界のある場所の干ばつといった局地的な自然災害であったとしても、その後世界的規模で様々な需要面供給面の要因が影響して、大きな食料危機に発展することもあります。グローバル経済が発展している今、1つの問題を見る時に、経済学を使って要因を整理する意味も大きくなってきていると思います。
農業や食料はローカルであり、かつグローバルでもありますので、農業経済論という分野を一緒に勉強しながら、経済学をベースに分析する力をブラッシュアップしていければ幸いです。
進路で悩んだ高校時代
高校時代は、「自分は将来何をしていきたいのか」と悩む日々でした。悶々と悩む中、ふと考えたことがあります。実は、私は変わった人間で、人が幸せそうに沢山食べている場面を目の当たりにすると、涙が勝手に流れてきてしまいます。
それは感動が込み上げてきてしまうが故の涙なのですが、その時は逆を考えまして、こんな自分は、食べたいのに食べることができない方々が世界にいらっしゃる事実が本当に嫌なのだなと思ったわけです。それから、食料問題に興味を持ち、高校の先生に相談したところ、「だったら経済学が良いと思う」とのアドバイスをいただきまして、今に至ります。
高校時代の私には、経済学といえば拝金主義の学問という印象しかなく、はじめは悩みました。しかし、様々な文献を読む中で、お金の流れ、財やサービスの流れ、そして人の流れという、社会の、また世界の基本時なシステムを学ぶことができる経済学は、世の中の様々な問題への具体的な対策を打ち出すのに最適な学問ではないかと思うようになりまして、進路を経済学部志望に確定した次第です。
ゼミでの学び
農業経済を学ぶゼミを開講しております。食べるのが大好きだからゼミを選んでくれた先輩、地域復興に興味があるので農業の経済を学びたいという先輩、バイト先の食料廃棄から食品ロスのことに興味をもったという先輩、将来本気で農業に就こうと努力している先輩、様々な理由でゼミに集ってくれています。
また、これは創価大学全体の伝統でありますが、先輩が後輩のために道を拓こうと様々挑戦し、努力しています。そんなゼミに対しての思いは、すべての先生と同様です。皆で切磋琢磨する場であり、また我が家のような場になるよう、皆で築いていきたいと思っております。
増井淳 教授
増井淳 教授
「仕事」に関する選択は人生の一大事!
私は、「労働経済論」「ミクロ経済学」「マクロ経済学中級」という授業を担当しています。ここでは、労働経済論がどういう学問かを説明したいと思います。
「労働」という言葉を聞くと、どんなことを思い浮かべるでしょうか?アルバイト、就職活動、残業、給料、正規・非正規社員、転職、結婚、家事・子育て、ワーク・ライフ・バランスなど、ざっと思い付くワードを挙げてみましたが、これらは全て「労働」に関連するトピックです。
労働経済論では、働き手が利用可能な時間を何にどのくらい配分するかに注目します。仕事は忙しいけど高い報酬を好む人がいれば、収入はそこそこで良く自分の趣味(余暇)に多くの時間を割きたい人もいるはずです。
仕事に大きなウエートを置くか、プライベートを重視するかは人によって異なりますし、自分がライフステージのどの段階にいるかによっても、直面する問題や選択の結果が変わってきます。若いうちは仕事一筋という人も、結婚して子供ができると家事や育児に時間を費やすことになるでしょう。
労働経済論では、働き方についての自分の考えと他者の考えを照らし合わせながら、自らにとって望ましい働き方とそれを実現する社会の姿についてイメージを膨らませてもらいます。
経済学の知識を用いて法律や制度が現在の社会で果たす機能を学びながら、理想とする社会の実現に向けた手がかりを探り出してください。
研究の原点は、労働サービスは「生身のヒト」により提供されるという事実
大学時代の私は、2年次まで興味をひかれるテーマを見つけられず、何となく勉強していた状態が続きました。大学院に行きたいという希望はあったものの、周囲の友人のほとんどは就職希望であり、将来自分がしたいことは何なのかを見つけられずにいました。
その状況が変わったのは、たまたま目を通していた経済学系の書籍の中で、あるトピックに関心を持ったためです。それは「効率賃金仮説」と呼ばれる理論で、働き手は高い賃金を得ることで仕事に取り組む意欲が増すことに注目したものでした。それまで授業では、賃金は企業にとってコストであり、できる限り下げることが望ましいと教えられていましたが、賃金を上げることで高い労働意欲を引き出し、企業の業績アップにつながる可能性があるという点に面白みを感じました。
よく考えれば当たり前にも思えることですが、この時、労働サービスは生身のヒトが提供するものであり、その量や質は職場での待遇や人間関係、健康状態から影響を受けると気づけたのです。
私たちは、人生で多くの時間を仕事に費やしますし、働き手のパフォーマンスは自身の感情やその時々の身の回りの環境から影響を受けます。働き手の行動やそれに影響を与える制度について学ぶ労働経済学は、より良い人生を過ごすために欠かせない学問だと言えるのではないでしょうか。
海外に行くと、食文化や働き方など、現地の生活を体感できます(写真はシンガポールのオーチャード)
「格差」を解消し、社会全体を豊かにするにはどうしたらよいか
自分がどんなことに関心を持っているか、あらためて聞かれると答えにくいかもしれません。そんな時は、自分が何に喜怒哀楽の感情を感じるかを考えてみてください。ちなみに、私が憤り(「怒」の感情)を感じるのは働く場において存在する格差であり、それが現在の研究テーマにもつながっています。特に、正規雇用者・非正規雇用者間の格差や職場でのジェンダー間格差に関心があります。
何をもって格差と見なすかは難しい問題ですが、例えば、正規雇用者・非正規雇用者間では企業が行う職業訓練の機会に明確な差があります。非正規雇用者は、そうした訓練を受けられる可能性がかなり低いのです。
皆さんも、人工知能(AI)関連の技術が急速に進歩していることはご存知かと思います。新しい技術の登場は私たちの生活を便利にしてくれますが、働き手の視点からすると良い影響ばかりではありません。例えば、自動運転技術がさらに進歩すれば、タクシーやバス、トラックの運転士は仕事を失う可能性があります。
機械に仕事を奪われないためには、今あるスキルをアップデートさせたり、新しいスキルを身に付けたりする必要があります。しかし、非正規形態で働いている人ほどそうした職業訓練の機会を得にくい状況となっているのです。
そうした格差をなくすことは大事ですが、それが政策を通じて実行するからには、社会全体の豊かさにつながらなければ国民の理解を得られません。政策を実施する際の費用は、税金で賄われるからです。どうすれば格差を解消し、かつ社会全体の豊かさの度合いを高められるのか、今後も追求していきたいと考えています。
国際学会では、研究内容やプレゼンスタイルについて日本にはない刺激が得られます(写真はスイスの St. Gallen 大学)。
「自分を磨く成長環境」「自分の居場所」としてのゼミ作り
少人数で専門的な内容を学ぶゼミは、私が教員として最も力を入れている活動の一つです。私の専門分野は労働経済学ですが、ゼミでは自分自身が強い関心を持っている「行動経済学」を扱っています。人間の行動について心理・感情面から分析できる行動経済学の知識は、働き手や採用側である企業の意思決定を考える上で新たな視点を与えてくれます。
例えば、夏休みの宿題を計画より後回しにしていた人ほど就職してから長時間労働や深夜労働に従事する可能性が高いことが分かっています。こうした個人の特性がもたらす影響を知ることで、新たな方向から施策を考え出すことができる点が面白いですよね。
私のゼミでは、経済学の知識を深めるだけでなく、社会人の方々と一緒に創造的思考力を鍛える勉強会を実施したり、現役生と卒業生との交流会を開催したりしています。大学で経済学を学ぶと、論理的思考力やデータ分析力といった力は鍛えられますが、ゼロから画期的なアイデアを生み出す力(創造的思考力)を身に付けるには工夫が必要です。
民間企業で働いた経験がない私が独力でこれらの能力を養成することは難しく、だからこそ社会人の方々(卒業生を含む)との協働が必要となります。幸い、学外での協力者に恵まれ、学部の授業では体験できない面白い企画を定期的に実施することができています。
ゼミでの活動は大学を卒業したらそれで終了、というわけではありません。大学に来る機会は限られてしまいますが、現役生の活動のアドバイザーとなってもらったり、時にはゼミの勉強会に参加して現役生と共に学んだりします。そうすることで、現役生と卒業生との間に新たな繋がりが生まれますし、また卒業生同士が集まれる場があることで横の連携も保たれます。
昔の写真を見ながら当時の活動を思い出し、現役生とゼミでの思い出を共有している様子は、微笑ましいものがあります。多様な学びの機会を通じて自らの能力を磨きつつ、一人一人が安心して個性を発揮でき、ゼミを居心地の良い場所だと感じてもらうことが私の理想です。
創造的思考力を鍛える勉強会
ゼミの卒業生・現役生交流会
蝶名林俊 准教授
蝶名林俊 准教授
SDGs達成に経済学で挑む!
私の専門は環境・開発経済学です。特に、ビッグデータや計量経済的な分析手法を用いて、開発途上国や先進国において気候変動がどのような経済的な影響を与えるかを測定する研究を行っています。気候変動の経済的な影響や被害を知ることは、最適な適応・緩和政策を策定していくために役立ちます。
私の担当する「気候変動の経済学」という授業では、経済学の概念や理論および他の分野からの知見に基づいて、経済学者が気候変動にどのようにアプローチするかを学びます。
また、私が担当するゼミ(演習I・II・III・Ⅳ・卒業論文研究)では、学生はデータ分析や統計学・計量経済学的な分析手法を習得しながら、主にSDGsに関連する環境や開発の分野で興味のあるトピックについて研究プロジェクトを行い、研究成果を学内外で発表します。また、ゼミで得た知識を実際の職務経験を通して実践するために、国内外の国際機関、大学研究機関、企業などでインターンシップをすることを推奨しています。
ゼミを通して得られる知識やスキルや経験は、国連や世銀などの国際機関、国内外の大学院、民間セクターなどの様々なキャリアを目指す学生に役立ちます。
第14回大学コンソーシアム八王子学生発表会の英語口頭発表部門にてゼミ生が優秀賞・準優秀賞を受賞(2022年撮影)
「Think globally, act locally.」の中高・大学時代
中学・高校では美化委員会に所属し、委員長を務めました。校内でのごみの分別の実施を提案、導入した際、実際に分別が行われるようになるまで時間がかかり、生徒からの協力を得ることの難しさを痛感しました。時には放課後に、用務員の方々と一緒にごみ収集所で分別されていないごみを分別することもありました。
分別は地味な作業ですが、様々な環境問題の改善につながる大切な取り組みです。この活動を通して、人があまり意識していないけれども重要な問題に関心を持ち、行動を起こしていくことの必要性を学びました。
その後、2003年に創価大学に進学し、大学で受けた環境経済学の授業に感銘を受けました。高校時代から関心を持っていた気候変動という人類が直面する地球的問題群の解決に対して、私の好きな経済学の視点からアプローチすることができることに感銘を受けました。大学院でさらに専門的に学びたいと考えるようになり、その頃からアメリカの大学院への進学を志望するよりになりました。
学生時代は、様々な学生団体の活動にも積極的に参加しました。まず創価大学国際連合研究会では、様々な環境問題について調べたり、ニューヨーク・ボストン研修に参加したりしました。研修では、ハーバード大学で学ぶ創価大学卒業生に直接お話をお伺いし、海外の大学院への進学をさらに真剣に考えるようになりました。研修中に実現したチョウドリ元国連事務次長との懇談会では、世界の第一人者たちが池田先生を高く評価し、創価教育に大きな期待を寄せていることを肌で感じるとともに、国際社会で活躍できる実力を身につけようとさらに深く決意しました。
また、インターカレッジの学生団体である、日本国際連合学生連盟の理事としても活動し、国際会議に参加したり、国際問題を討議するセミナーを開催したりしました。このように、学内外で積極的に行動する中で、自身の進路を模索すると共に、国際問題を解決するために世界ではどのような議論がされているのかを、実体験を通して学んでいきました。
高校時代に有志を募り校内を自主清掃する様子(2003年撮影)
神戸で開催された第2回国連防災世界会議に参加する様子(2005年撮影)
何のため、誰のための研究か
創価大学卒業後は、アメリカのイェール大学とコーネル大学でそれぞれ修士号と博士号を取得しました。また、世界銀行やイェール大学で勤務し、開発途上国や先進国における気候変動などの環境問題や開発事業の影響評価に関して、研究、助言、技術支援等に従事しました。
私が環境経済学や開発経済学に興味を持ち始めた大きなきっかけの一つに、本学の創立者である池田大作先生が提唱された「人間主義経済学」という考え方があります。創立者は、創価大学の将来構想の一つとして、次のように提案されています。「人間主義経済の研究、すなわち資本主義、社会主義を止揚する、人類の新しい経済のあり方について、理論的・実践的な研究もしていったらどうかと思う。」(「創価大学設立構想」1969年5月3日)。これは、利益を最大限にする経済学ではなく、「人間のため」「未来のため」を考え、持続可能な発展を可能にするメカニズムを追求することであると考えることもできます。
例えば、2021年まで私は国際機関である世界銀行にエコノミストとして勤務していましたが、当時行った研究の一つに、気候変動に対するレジリエンス(弾力性、回復力)の世帯単位での測定があります。この研究では、国や地域ではなく、世帯ごとのデータをとって分析を進めます。なぜなら、たとえ小さなハリケーンでも、貧困家庭は洪水で家ごと流されてしまうことがあるなど、被害の大きさに、家庭の経済状況が深く関わってくるためです。
「気候変動によって、こんなに大変なことが起こる」との予測をする場合、「誰の視点に立つのか」、「その基準をどこに置くのか」によって、分析の仕方は大きく変わってきます。当然、労力や時間はかかりますが、「誰のため」「何のため」の研究かを問い続ける日々です。
大学院時代の様子(2008年撮影)
世界銀行勤務時に、ウガンダの各省庁と気候変動対策を協議する様子(2015年撮影)
創価大学で共に成長し、世界を舞台に社会貢献を!
創価大学経済学部での学びには無限の可能性が拡がっています。私自身、在学時に身に着けた学力や語学力はもちろんですが、異文化理解力、チームワーク力、忍耐力などの「人間力」が、世界銀行やイェール大学で勤務した際に非常に役に立ったことを痛感しています。創価大学という最高の環境で、社会に貢献するための実力を共々に磨いていきましょう!
また、皆さんが活躍する舞台は世界に広がっています。気候変動や貧困などの地球的問題群は、人類にとって喫緊の課題であり、経済学を含め様々な学問分野からのアプローチが必要とされています。人間主義経済学を掲げる経済学部で、持続可能な未来をどのように拓いていけばよいかを共に学び、研究し、行動を起こしていきましょう。
世界銀行にて持続可能な開発のためのデータについて発表する様子(2019年撮影)
参考リンク・文献
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小林孝次 教授
小林孝次 教授
担当授業について
私がいま担当している科目は、経済数学入門A、マクロ経済学、そして金融論です。
皆さんのなかには、数学が好きだから経済学部を選んだという人もいれば、数学が嫌いなので文系を選んだのに、経済学部では数学が必要で大変だと思われている方もいらっしゃるでしょう。どちらも心配はありません。
前者に関しては、大学院以上の研究者の世界では、美しい数学理論の世界に浸ることもできます。そうした世界を十分に堪能していただきたいと思います。
一方、後者に関しては、経済学部、すなわち学部教育のレベルで経済学を学ぶうえで必要とする数学は、これまで皆さんが学んできた数学のうち、ごく一部です。必要なところだけ、復習、解説をして進めていきますから安心してください。
数学が嫌いになってしまった人は多く場合、高校までの授業において、学んでいる数学が将来、どこでどのように使われるのか示されることがなかったからではないでしょうか。未消化のまま、授業だけどんどん先に進んでいき、取り残された感があるからなのではないでしょうか。この授業では、経済学を語るにこんなに数学が役立つということを示してみたいと思います。それも簡単な数学を使って、経済を語るということです。
たとえば、需要と供給の話が経済学の基本だということはご存じでしょう。そこでは、需要曲線と供給曲線の交点で市場の均衡が求まり、実際に取引される価格や取引量が定まるということが出てきますね。このことは需要曲線、供給曲線を表す式からなる連立方程式を解くことに対応しているわけですね。
マクロ経済学については、詳細は2023年2月に発刊された『人間主義経済×SDGs』で金澤先生がまとめられているので、それをお読みください。簡単に言えば、国全体としての経済活動の仕組みを学ぶものです。将来、世界のリーダーとなっていく使命ある皆さんには、必須の科目ではないかと思われます。とはいっても若いうちはなかなか社会全体への関心が持ちにくく、もしかするととっつきにくい科目かもしれません。そこで、こちらも経済数学入門同様、ステップバイステップで学んでいきますので大丈夫ですよ。心配はありません。私が研究者になりたての頃、『だれでもわかる…経済学』というシリーズがよくありましたが、経済学は私たちの身の回りの生活の仕組みを整理したものですから、順に勉強していけば、きちんと頭に入ると思われます。
一方、世の中にはいろんなタイプの人間がいて、社会があり、様々な経済活動が行われているわけです。それを整理して扱う(きちんと言えば、現実を分析し、問題解決の方策を提起する)のが経済学であるから、そんなに易しいはずはないかもしれません。経済学は「難しいからこそ面白いのだ」とおっしゃっていた大先輩の先生を思いだします。易しい・難しい、どちらも真実かと思います。
金融論については、前述の『人間主義経済×SDGs』をみていただくか、「授業紹介:金融論」のページがありますので、そちらを参照してください。
これらは、学部時代に経済学の基礎として身につけておく科目なので、“皆さんが普通にやれば、誰でもわかる”ようにと、教員としては心して取り組んでいます。経済学というと難しいイメージがありますが、皆さんと一緒に勉強していくなかで「分かった!」と実感できるような授業にしていきたいと思っています。
研究者として
私にとって幼いころの経済学との関わりといえば、母と買い物に行くたびにいつもレジの前で、おつりの計算を店員さんと争ってしていた記憶がありますね(昭和の時代ですから)。その後、浮き沈みの激しかった高校時代には、自分が過ごしてきたそれまでの成長の軌跡・浮き沈みをグラフに描きながら、これを三角関数で表したらどんなふうになるのかなどと考えたりもしていました。これはまさしく景気循環の研究の芽生えだったのかもしれませんね。ちょっとかっこつけすぎですかね。
いずれにしても、研究者になるにあたっては、私は幸運にも多くの諸先生方や諸先輩から、数多くの手ほどきを受けることができました。
勉強不足であった私は、大学院時代、テキストや論文を読んでもなかなか理解できずにいました。そうした折、ある先輩から、「あなたはその文献を何回読んだの」といわれました。「1回や2回読んでわからないのは当たり前だよ」と。「10回読んでわからなければ、しょうがない。書いてあることが間違えているのかもしれない。そうでないうちにあきらめるのは、頭が悪いのではなく、怠け者だよ」と。今でもその当時のことをよく思い出しますが、振り返ってみると全くそのとおりだと思います。
研究所時代は、指導教授から「私も毎日出てくるから、朝9時から夜11時までは勉強しよう」とおっしゃってくださり、ゼロから教えを乞うことができました。ある先生からは、しばしばご自宅に呼ばれ、ときには年末の大晦日にもかかわらず、夜遅くまで1つ1つ教えていただいたことも懐かしい思い出です。
学部時代は、当時としては最先端といえる「計量経済学」のゼミに、私は所属していました。そこでその後も理論と実証の世界を主として研究してきました。時系列分析を用いた貨幣を中心とした変数間の統計的因果関係の分析、それからバブル経済やその後の平成の日本経済、アベノミクスについての分析などが主な研究分野です。
教員として
いま教員となって、どこまでこうした先輩や先生方に恩返しができているかと思うと、恥ずかしい限りですが、私は研究所に務めた後、アメリカで学び、帰国してから、創価大学に教員として戻ってきました。
最後に私のゼミについて紹介させていただきましょう。
教員になりたての頃は、私のゼミのテーマはマクロ経済学でしたので、ゼミ終わりにサブゼミとして公務員試験の勉強会をやっていましたね。とはいっても勉強は初めの1時間ぐらいで、申し訳ないことに、そのあとはお菓子を食べながらの雑談が多かったように覚えています。
50代ごろからは、金融のゼミになりましたので、現場を知る意味からも、日銀見学や東京証券取引所見学などを積極的に行ってきました。国会見学も含めて、なかなか触れることのない東京見物を楽しんだりしています。
東証見学にて
国会見学
振り返ってみると、ゼミには個性豊かなメンバーが多かったかと思います。そんなゼミ生から「私たちをどう思われていますか」と聞かれたとき、「おもちゃのチャチャチャ」と思わず表現したことがあります。当時のゼミの様子としては、ある学生は笛を吹き、別な学生は太鼓をたたき、自由勝手に動き回っているが、それでいてまるで1つの音楽を奏でているような感じでしたから・・・。1人ひとりが桜梅桃李の個性を生かし、自分にしかできないオンリーワンの花を咲かせられるよう激励し続けることが私のゼミのモットーであり、伝統でしょうかね。
卒業式にて(41期生と記念撮影2015年3月18日)
20期生から45期生までが集ったゼミ総会(2016年10月)
寺西宏友 教授
寺西宏友 教授
経済学部で歴史?
「経済学部で歴史ですか?」とよく言われます。そのことにお答えするために、少しそもそも大学で経済学を学ぶ意味を考えてみたいと思います。大学で経済学部を選択する学生の動機を聞いてみると、社会の仕組みを良く知って良く生きよう、あるいはこれからの社会をより良くしようということに集約されるのではないでしょうか。
様々な問題に満ちた現実の社会という森のなかへ入っていく前に、その森を迷わずに歩くための地図やコンパスを手に入れ、その使い方を理解しておくことはとても大事です。確かにミクロ経済学やマクロ経済学というのは、社会の中における経済の動向を、複雑な地形や植生を出来るだけ簡略化して平面に写した地図に例えられるかもしれません。その意味で、地図は万能とは言えないかもしれません。
経済学を専門とする人は、常に理論(地図)と現実のはざまで格闘していると言っても過言ではありません。その格闘の試みの一つとして、最近では「行動経済学」という面白いジャンルも登場しています。従来の経済学では、「人間は合理的な行動をする」ということを前提にしていましたが、「行動経済学」では、「不合理な判断をもとに行動してしまう」ことを探求したりしています。
不合理と格闘する欧州統合
私の担当している専門科目の一つに「ヨーロッパ経済論」という授業があります。もともとの専門がドイツ社会経済史でしたので、第二次世界大戦後の欧州における経済統合を中心にすえて、この授業を行っています。
ヨーロッパは、20世紀に第一次・第二次世界大戦というとてつもない被害をもたらした戦争を体験しています。ドイツが引き起こした戦争ですが、現在はそのドイツがフランスと共に統合の中核となっています。この統合の出発点には、欧州の地で二度と戦争を起こさせないという強い決意があったと言われています。
経済を一体化させて、そのことによって共存共栄していけば、隣国同士で相争うことはなくなるというのが欧州統合の原点です。国家間の関税を撤廃する関税同盟を第一段階として、さらに単一市場の創出、共通通貨の実現へと突き進んできました。これらの試みは、合理的な判断に基づいて着手されてきました。
しかし、その過程では、合理的には理解し得ないような問題が次から次へと現れてきたのです。例えば、共通通貨ユーロを隠れ蓑に、土地バブルがはじけて莫大な政府債務を積み上げて破綻したギリシア危機があります。
バブル景気はかならず破綻することを合理的には理解していても、渦中にある当事者は、自分はうまく乗り切れると思ってしまう根拠のない確信が引き起こす悲劇です。そして、その最たるものが、英国の離脱(Brexit)でした。
現在では英国の中でも、「離脱」は誤った判断とする意見が多くなっていますが、大変な労力をかけて離脱を実現したので、すぐに戻ることはないでしょう。一人の人間の中でも、合理的・不合理的、相反する考えが存在します。一国の国民投票では、真っ向から対立する意見が僅差で拮抗して、離脱がわずかに上回ったために下された結論です。国民投票のキャンペーンで、事実とは異なった宣伝がなされ、「合理的判断」とはほど遠いものであったと言われています。
そうした不合理にみちた現実の世界にあって、少なくともヨーロッパ連合(EU)は、長い目で見ての「合理的判断」である統合の推進という方向性を堅持して進んでいこうとしています。そして、その統合推進の中核にいるのが、かつての戦争を引き起こした責任当事国のドイツであるということは、注目すべき事実です。
歴史のリスクと向き合うドイツ
ドイツには「歴史政策」という言葉があります。日本にはない考え方で、「歴史」が「政策」の対象となるとする発想は多くの日本人には驚きだと思います。
具体的には、ナチスによって率いられたドイツとは決別をして、真の民主主義社会を構築していくために、①ナチスの不法(犯罪)行為の断罪、②その被害者に対する補償、③歴史教育に力を入れています。戦争のような加害者と被害者がはっきりと分かれるような出来事に対する記憶、あるいは認識では、加害側には忘れようとするバイアス、被害側には忘れまいとするバイアスがかかるのは当然です。
その両者の間の溝を埋めようとする営みが、ドイツの「歴史政策」であるとも言えます。確かにドイツの中でも、過去の歴史でドイツだけを一方的に断罪する考え方に反発をする人々もいますが、それでも少なくとも政治的リーダーの中には、それに同調するような人はいません。歴史に対する基本的スタンスは一貫して維持され続けています。こうした努力が、今日のドイツに対する周辺諸国の信頼の根拠となっていることは明らかです。
経済学部で歴史を学ぶ意味
少し難しいですが、マックス・ウェーバーという社会学者が、社会的現象における人間の個性的な行為(不合理な判断も含めて)は、社会を科学的に認識する上で、因果関連の追求をあいまいにするものではないと言いました。
人間がなす行為の主観的な動機を解明することによって、個性的な自然事象(例えば台風の進路予測)よりも、的確に具体的な因果関連を追及することが出来ると考えたのです。社会の中で法則性に基づかない個々の人間が思い思いの行為をなす、カオス(混沌)のような状況でも、動機の意味を理解することで、科学的認識が成り立つと言っています。
「歴史認識」というのは、人々の動機を形成する一つの大きな要因だと思います。すなわち、過去の出来事をどのように理解し、現在の判断・行動につなげるかということです。日本は、東アジアという、世界で最も軍事的緊張の高まっている地域に存在し、この地理的条件は、変えることはできません。
韓国や中国とは経済的には切っても切れない相互依存の関係にありながら、政治的、あるいは国民感情的には友好な関係というには程遠い状況です。北朝鮮に至っては、未だに過去の戦争を終結できておらず、それどころかミサイルで攻撃する準備を進め、日本もその対抗手段をそなえなければならないというような議論が、なされている状況です。
この地域を、将来どのような地域にしていくのかは、日本の経済のみならず一国の存続にとってとても大きな課題です。その課題に向き合う若い世代の学生の皆さんに、是非、なぜそうなっているのかという歴史認識の問題に目を向けてもらいたいと切に願っています。
先ほどのマックス・ウェーバーの言葉を引用しておきます。
「人間の行為を直接に支配するものは、理念ではなく、利害である。しかし、理念によって作られた『世界像』はきわめてしばしば転轍手として軌道を決定し、その軌道に沿って利害のダイナミクスが人間の行為を押し動かしてきた」
人間は「損か得か」という利害で意志決定をするというのは、経済学が前提とする人間の「合理的な判断」を意味しています。例えば「戦争」をすることは、絶対に誰にとっても「損」なはずなのに、現実に行われており、これからも起こる可能性が否定できません。
これは、「理念」(歴史認識に規定される)によって、その利害状況が規定されるからです。その意味では、経済学を社会の利害状況を分析するツール(地図)だとすると、歴史を学ぶことは、さらに大きな見取り図を眺めてみることに通ずるかもしれません。
西浦昭雄 教授
西浦昭雄 教授
担当授業及び研究テーマは?
アフリカ経済論や開発経済学を学ぶゼミを担当しています。アフリカ経済論については、別のページ(授業紹介)で述べていますので、ここでは開発経済学について紹介します。端的にいえば、開発経済学とは、貧困や失業、経済格差などの問題を抱える開発途上国の経済発展を考え、その解決策を提示していく学問だといえます。
例えば、貧困がどうして起きるのか、その元のところまで遡さかのぼり、さらに現状を調べ、それを解消するためにはどんな方法があるのかを考えていきます。そのため幅広い経済学の知識や考え方を総動員しなければなりません。
私は、アフリカ経済の中でも雇用創出と経済格差の是正の2つにとても興味をもっています。具体的には、これまで南アフリカ、ケニア、ウガンダ、タンザニア、エチオピア、ザンビア、モザンビーク、モーリシャス、レソト、スワジランドといったアフリカ諸国の直接投資や農産物加工業、企業に関する研究をしてきました。最近では、南アフリカの経済格差是正策や中小企業の成長軌跡に関する研究をしています。
タンザニアのマーケット風景
ケニア・ナイロビ近郊のスラム
学生時代の関心事は?
関西創価高校に通っていた私は、黄熱病の研究のためにアフリカの現在のガーナを訪れた野口英世のエピソードを通した「人のために生きる人生を」との創立者池田先生によるスピーチに感動し、それがきっかけでアフリカに興味を持ちました。
当時は、アフリカのエチオピアやスーダンで大規模な飢餓が発生していることが報道されていたこともあり、食料問題が経済学部に進学する動機にもつながりました。アフリカに関して日本語で書かれた書籍を求め、地元の公立図書館にも通いました。
創価大学経済学部に進学後、「パン・アフリカン友好会」に入り、 大学2年の時にその仲間2人とケニアとガーナを1カ月旅行しました。実際にみたアフリカの第一印象は意外と都会で、植民地時代の影響が大きく残っているというものでした。地方都市や農村にも訪問し、その違いにも驚かされました。当時のケニアは一党独裁政権で、ガーナは軍事政権下でした。
大学院修士課程に進学し1990年には1年間ケニアのナイロビ大学に交換留学し、ケニアの工業化をテーマに研究しました。断水や停電が頻発し、複数政党制を求めて頻繁にデモが行われる動乱期でした。留学中にアフリカ9カ国を訪れたことは、アフリカにもいろんな側面があることを体験的に学ぶ機会になりました。さらに、 博士課程の在学中には2年弱、南アフリカのウィットウォータースランド大学に研究留学しました。
ケニア留学時にナイロビ大学の友人と
研究やゼミに対する思いとは?
私は、学問は人々が幸福になるためにあると思っています。経済学も同じで、どうすれば幸せになるのかという視点を真ん中に据えたものでなければならないと考えています。その観点からいえば、アフリカ経済を学べば世界の課題が立体的に見えてくるし、人びとが幸福になるためのヒントもそこにあると感じています。
私が担当する開発経済学のゼミでは、先進国だけではなく開発途上国でも活躍できる創造力や問題解決力をもった人材を育てていきたいと考えています。そのために大事にしているのは、自分の身の回りのことや社会で起こっている事柄に関心を持ち、自ら問いを立て、それを解決していくために考え、行動することです。
そこで、ゼミでは授業外で実施するゼミ生の自主的な「サブゼミ」を重視しています。それは、留学や普段の生活を通して、「発見」した問題をどう解決していくのか、自分たちでプロジェクトを形成し、試行錯誤という体験を学生にしてもらうという取り組みです。
ゼミ2年生による秩父での合宿、2023年1月
教育や人材育成への抱負
私はゼミの学生たちを見ていて、本当に学生たちの可能性の大きさを感じています。自分たちの力を信じてやり続けていれば、現実を変えていくことができる。そのような手ごたえをゼミ生自身も感じているでしょう。人生は大学を卒業してからのほうが長いわけで、ゼミで経験したことが、その後の長い人生で困難を乗り越える力になってくれればよいと思っています。
これまでゼミだけではなく、多くの学生と接していて感じるのは、すごい潜在性を持っているということです。創価大学で学んでいるということはいろんな可能性に満ちています。後はそれをどう開いていくかだと思います。せっかく可能性の機会が沢山あるのに、そのチャンスを「自分には何もできないから」とか、と否定してしまうのは何よりも「もったいない」ですね。
自分の可能性をどこまでも信じてほしいと思います。アフリカ経済や開発経済学に関心を持つ人が一人でも増え、そこから何かを学んでもらえればと考えています。
卒業生も参加した山梨でのゼミ2~4年生合同合宿、2019年8月
浅井学 教授
浅井学 教授
担当授業
担当授業は「データサイエンス」「データサイエンス活用演習」「ファイナンス論」「計量経済学上級」です。データサイエンスは、データから価値を創造する学問です。それを人々の経済活動の分析に応用していくのが、「データサイエンス活用演習」また「計量経済学上級」です。
また、データサイエンティストが扱う重要な分野の一つがファイナンスです。「ファイナンス論」では、リスクの考え方やリスクとの向き合い方をベースとして、投資や金融派生商品などについて学んでいきます。
研究分野は「データサイエンス×金融」です。
ディーボルト教授を訪問
学生時代の関心事
経済学部に入学したものの、経済の授業に関心がもてずに、文学作品ばかり読んでいました。世界の名作とよばれる作品を片端から読んでいくかたわら、英会話の授業と数学は(比較的)まじめに取り組んでいました。英語は役に立ちそうでしたし、数学は論理的思考力が磨かれていくのを感じました。
アメリカに短期留学した時に、大学の教養レベルの授業でも、データをもとにした論理展開が上手だとビックリしました。「世界はいずれ、データ分析力を求めるようになる」と思いました。帰国後、英語の教科書で統計学を勉強してみたのですが、あまりの無味乾燥さに逃げ出したくなりました。それでも一冊の本を、きちんと読みとおしたのは良かったと思います。
読書のくせが、変なところで役に立ちました。もう一つ読書で役に立っているのが、自由な発想です。研究活動は本来オリジナルでクリエイティブなものなので、これまでの研究成果を踏まえた上で、新しいアイディアを出すことが求められます。10代・20代の時にたくさんの本を読んだおかげで、柔軟な発想力を身に着けることができたと思います。
経済のほうも、「ミクロ経済は資源の最適化配分」「マクロ経済は国レベルで傾向をつかむこと」と、自分なりの解釈ができてからは面白くなりました。
研究に対する思い
創価大の教員として、世界の学問の発展に貢献したいと願っています。研究面で世界のトップクラスと言われるような大学がありますが、そのような大学で働いてもおかしくないくらいの研究業績を目指しています。
ゼミでは、一人ひとりの関心にあわせて、データ分析力が身につくように取り組んでいます。
留学中のゼミ生たちとマニラで
教育や人材育成への抱負
ゼミの学生たちが自分の強みに気付けるように、また一人ひとりの長所が伸びるように教育に取り組んでいます。卒業生たちは、外資系のコンサル企業やIT企業で働く人も多いなか、極端な例ですが、医者やパイロットになった人たちもいます。
どのような分野に進んでも、自分の強みを活かして、また伸ばしていくなかで、社会に貢献していくことを期待しています。
ゼミ対抗研究発表大会
高木功 教授
高木功 教授
経済学との出会い
経済学部に進学したものの、初年次において住み込みのアルバイトに疲れ、また生き方に悩んでいた当時の私にとって、どの科目も、それほど魅力を感ずるものではありませんでした。そんな中、あるテキストとの出会いが大きく私の進路を変えはじめます。2年生になった春学期「外書講読」(英語で専門書を読む授業)に参加しました。
「例えば、南米の二つの代表的な家庭をみてみよう……家族が夕食の準備をする土曜日の夕べ——ペントハウスに住む裕福な家族では、使用人が高価な輸入物の陶器や銀食器、それに上等の麻のテーブルクロスで食卓を夕食のコースはロシアのキャビア、フランス風のオードブルにイタリアのワインで始まる。長男は北米の大学から、あとの二人の子供たちはフランスやスイスの寄宿学校から休暇で帰国している。父親は米国で教育を受けた著名な外科医、顧客は国内外の裕福な高官やビジネスマンである。地方にかなりの規模の土地を持ち、毎年海外で休暇を過ごし、高級な外車に乗る。洗練された食事と衣類がこの裕福な家族のありふれた楽しみである。
貧しい家族はどうだろう。彼らも海を眺めることはできるが、蓋のない下水からの悪臭がそうした美しい、心安らぐ光景を遠い存在にしている。夕食を整える食卓はない。実は夕食そのもがないのだ。……字の読めない7人の子どもたちのほとんどは1日中、街路で金をねだり、靴磨きをし、時には大通りを散歩する人の財布を狙う。……父親は何年もの間、パートタイムで働き、定職をもてないでいる。子供たちは、どんな形であれ、経済的に家族を助けなければならない。街の反対側で友達と暮らす10代の長女が余分なお金を持っているようだが、誰もそのお金をどうやって手に入れたか聞くものはない。」
少し長い引用になりました。これは、その授業で使われていたテキストM. TodaroのEconomic Development in the Third World (『第三世界の経済発展』)の最初の章からの引用になります。当時、1977年に初版が出たばかりの専門書でした。
布で想定された大部の本書を手に取って、初めて開いた時の新鮮な香りと新鮮な気持ちは今も忘れません。アパートの一室や、バイト先の休憩時に宝物探しをするように丁寧に読み込んだことを思い出します。
外国を知らない当時の私でしたが、この夕飯時の二つの家族の対照は、強烈なインパクトをもたらしました。絶望的な格差と貧しさは経済活動と経済の仕組みの結果なのか、それならば経済を学ばざるを得ない、と思いました。
当時は国際的な権力と経済の不平等な構造と経済格差は「南北問題」と呼ばれていました。先進国の多くが相対的に北半球の高中緯度に位置し、発展途上国の多くが赤道付近から南半球に位置していたからです。私は経済学を学ぶ理由を見つけたのです。
「貧困」と「開発」
私は「開発と貧困の経済学」とオムニバスで「人間主義経済学」という講義を担当しています。「貧困」とは何でしょうか。「貧」は生活に必要な十分な富やお金がないことです。「困」はお金や財がないことで苦しむ、困る、きわまることをいいます。
漢字の成り立ちは、木が囲いに閉じ込められ、木の成長が阻害されている不自由な状態を意味します。貧困とは人間が本来備えている潜在力を開花させることができない状態を意味します。「開発(Development)」とは中に封印され、閉じ込められている(envelopされている)可能性と潜在的要素を開くことを意味します。ここに「開発と貧困の経済学」という講義名の所以(ゆえん)があります。
途上国で生を受けた場合、生命の貧困はすでに始まっています。お母さんが十分に栄養を取れない場合、お腹の胎児も骨格、脳、内蔵の形成期において十分な栄養が取れないことを意味し、無事に生まれても、母乳と安全な水を得ることも難しいことになります。貧困な社会経済環境のもとにおいては女性と子どもという弱者が一番の犠牲者となります。
社会的には貧困は、貧困者に対する「侮蔑」と「差別」そして「黙殺」と「排除」として表れます。人間の可能性は社会に受け入れられて初めて育まれ、開花します。経済的には「失業」「非正規雇用」「奴隷労働」として表れます。そして自己肯定感と自己尊厳性は失われ、無力感と絶望の中で生き続けなければなりません。
人間が人間らしく生きる条件を、特に経済的条件(十分な栄養のある食料、安全な住居、雇用機会、教育機会、医療サービス等)を整えることが経済学の使命といえるでしょう。
東南アジアとのかかわり
大学院生であった1980年代当時は、主にタイ、インドネシア、マレーシア、シンガポール等の東南アジア諸国を訪れました。タイには1983年、派遣留学生としてチュラロンコン大学大学院に留学し、バンコクでは多くの貴重な経験と視野を広げることになります。
帰国後、創価大学平和問題研究所、アジア研究所の助手・講師として研究所業務に携わりました。特に80年代後半においては、フィリピン大学に初めて学生と共に語学研修プログラムに参加し、今日のフィリピンとの交流の先駆けとなりました。シンガポールの南洋理工大学(NTU)の研修にもその後初めて、学生と共に参加しました。1989年にアジア研究所から経済学部へ移動となり、経済学部の講師として教育・研究に携わることになりました。
当時、学部を超えた大学の大きな国際シンポジウムの開催に12年にわたり関わる機会を得たことが、その後の研究・教育者としての私にとって大きな糧となりました。本学の創立者池田先生によるアジア地域の平和と相互理解を実現する組織、すなわち「アジア太平洋平和文化機構」創設の提案(1986年)を受けて、創価大学の主催で「第1回創価大学環太平洋シンポジウム」(1988年)が開催されました。
1990年には、第2回が創価大学アメリカで開催され、その後も2年に一度、アジア諸大学と共催し,第3回(1992年,マカオ大学),第4回(1994年,シンガポール),第5回(1996年,フィリピン大学),第6回(1998年,タイ・タマサート大学),そしての第7回(2000年,マレーシア・マラヤ大学)まで開催されました。このシンポジウムの開催を通して築かれた教育研究交流のネットワークはその後の創価大学の国際交流の財産となっています。
この間、1997年春から一年間、シンガポールの東南アジア研究センター(ISEAS)に客員研究員として在外研究の機会を得ました。滞在中、1997年6月にはタイとベトナムに研究調査旅行に出かけましたが、その最中にタイのバーツ発の「アジア通貨危機」が起こりました。
ドルにくぎ付けられたバーツは、それ故に世界から投資を引き寄せ、活況を呈しましたが、同時にヘッジファンドによる投機的通貨売りの格好の標的となりました。一気に資本逃避が加速し、バーツの為替レートは急落します。他の東南アジア諸国にも伝染し、また韓国、ロシアにも通貨危機が波及しました。東南アジア諸国経済は流動性危機に陥り、企業は倒産し、失業者が巷に溢れました。放置された建設途上のビルが無残なコンクリート地を曝していました。
南アジアとのかかわり
この通貨危機以後、私の関心はアジア経済の成長、発展から「貧困」へと徐々にシフトしてゆきます。翌年の1998年にはアマルティア・センが分配と公正、貧困と飢餓、社会選択論の研究における貢献によりアジア人として初めてのノーベル経済学賞を受賞しました。
センの開発・貧困に対するケイパビリティ・アプローチは私に大きな示唆と刺激を与えてくれました。また1998年12月はインドの名門デリー大学から池田先生に名誉文学博士号が授賞され、その後、交流校として教育研究交流が開始されます。同大学創立75周年の佳節を祝す授与であり、この時、A.センまたジョン・ロールズも一緒に受賞しています。
私は翌年の1999年にデリー大学が主催する国際会議に参加、発表するために、初めてインドを訪問します。その後引き続き、語学・文化研修のため学生を引率して、2012年まで毎年インドを訪問し、デリー並びに以外の都市、コルカタ、チェンナイ、またムンバイ、バラナシ等を訪問しました。
特にコルカタのラビンドラ・バラティ大学とシャンティニケタンのタゴール国際大学ではラビンドラナート・タゴールの偉大な思想とその思想のもとに花開いた文学、絵画、舞踊に触れることになります。またチェンナイではクマナン博士が創設したインド創価池田女子大学にも学生と一緒に訪問し、「イケディアン(Ikedian)」(同大学の学生は皆が自身を池田先生の弟子と呼ぶ)として交流する機会を重ねることができました。
結果として、特に大学院では複数の東南アジア諸国やインド・ネパール・スリランカから修士・博士課程に複数の留学生を受け入れ、指導教授として修士また博士の学位取得まで支援できたことは私の最大の誇りとなっています。
アフリカとのかかわり
アフリカとは、理工学部のプロジェクトで、図らずも縁することとなります。文科省の大学ブランディング事業に採択されたエチオピアを対象としたPLANET(途上国における持続可能な循環型社会の構築に向けた適正技術の研究開発と新たな地域産業基盤の形成)です。
理工学部と人文・社会科学学部の文理融合型プロジェクトです。当時、BOPビジネス(貧困の解消と利益の双方を実現するビジネス)を研究していたため、微細藻類(スピルリナ)の商品化のため本プロジェクトに関わることになりました。その後、本プロジェクトの成果はSATERPS-EARTH(環境保全と経済成長を両立させる現代版アフリカ里湖循環型社会の構築)プロジェクトに引き継がれ、今日まで継続されています。
私はテーマ4「ビジネスモデルの構築・社会実装化」のリーダーとして、本学の経済学部、看護学部、経営学部のスタッフと現地大学スタッフとともに、この課題に取り組んでいます。スピルリナは、タンパク質が豊富で乾燥質量の6割を超え、ミネラル、ビタミンを含みます。
食習慣と宗教的タブーからタンパク質不足に悩む、子供たちや女性の栄養改善に大きな効果を発揮する可能性があります。皆さんからの商品化アイデアについては大歓迎です。お待ちしています。
西田哲史 教授
西田哲史 教授
「経済史」とは? ―― 未来を志向する学問
現在、私が経済学部で担当してる主な授業は、「西洋経済史」と「現代経済史」という2つになります。そもそも経済史とはどのような学問なのでしょう。経済史とは、文字通り経済の歴史を研究する学問分野であり、それが研究対象とするのは、広く経済現象や経済活動の歴史であります。
この経済現象や経済活動というのは、たとえば、ある国の内部で営まれる一国経済の問題として扱われる場合もあれば、貿易、移民(労働力移動)、資本取引といった国をまたいだ国際経済の問題として扱われる場合もあります。
そしてグローバリゼーションという言葉で象徴される現在の緊密な国際経済関係が形成される歴史の研究もまた、経済史の重要な課題であります。さらに、いまだ「未完のプロセス」といってよいヨーロッパ連合(EU)のような複数の国家にまたがる地域経済圏と各国経済あるいは国際経済との関わりの歴史も経済史の研究対象といえます。
経済学は、現代の経済問題を解決することを目標にしています。経済史もその点では例外ではありません。しかしながら、そのアプローチの仕方に違いがあります。こんにち、私たちが直面しているさまざまな経済問題 ―― たとえば、貿易摩擦、経済格差・貧困、開発と環境破壊、地球温暖化など ―― は、どれをとってみても、過去の時代の達成を遺産として継承し、また、過去の時代の失敗を負の遺産、つまり重荷として背負っています。
その意味では、現代の諸問題はすべて過去の歴史の延長上に起こったもので、そこには過去の歴史が深く影を落としているといえます。ですから、現代の諸問題を解決する場合にも広い歴史的な視野が必要になるわけです。
私たちは、過去の歴史を学ぶことを通して自分たちの現在の立ち位置を知り、そしてそこから今後をどうしていくかを考えることができるのです。その意味で、歴史は未来を志向した学問でもあるといえます。
想像力を鍛える
2020年に突如として起こった新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちの生活様式を大きく変えるとともに、行動制限により世界各国で工場が操業を停止し、サプライチェーンが一時的に停滞するなど、グローバル化した世界経済にも影響を与えました。
歴史を振り返ってみると、古くはペスト(黒死病)や20世紀初頭のスペイン風邪など、私たちは幾度となく世界的なパンデミックと対峙してきました。実は、こうした歴史的出来事がのちの世界の経済・社会に多大な影響を与えているんです。「西洋経済史」の授業でも、歴史の道筋を左右する「決定的な岐路」となった実例として、14世紀中頃の中世ヨーロッパで大流行したペストを取り上げ解説しています。
でも実際のところ、中世ヨーロッパと聞くと、多くの学生は、日本人の自分とはまったく関係ないどこか遠い時代・世界の話と思うかもしれません。しかし、それは私たちの歴史に対する向き合い方次第です。
経済史に限らず、歴史を学ぶうえで大切なのは、自分とは異なる人々の経験に思いを馳せながら「他者」に対する「想像力」を持つことです。過去の人々の経験や生きざまを通して、私たちは、どう前に進むべきかを考える場合の「素材・材料」を得ることができるのです。
歴史と向き合う
私自身の専門は、ドイツ社会・経済史で、近年は、第二次世界大戦後のドイツの占領期・復興期のさまざまな問題に関心を寄せています。そもそも私がドイツに興味を持ったきっかけは、中学生のころ、ドイツのテクノバンド「クラフトワーク(Kraftwerk)」の電子音楽の世界に魅了されたことでした。
以来、ドイツに対する興味は尽きず、大学でもドイツ経済について深く知りたいとの思いから、西洋経済史の専門ゼミに入り、4年生の時には当時の西ドイツの首都ボンに留学をしました。この留学中にさまざまな人たちや興味深い書籍との出会いがありました。
さらに西ドイツ政府が主催するセミナーに参加するため1週間ほど滞在していた当時の西ベルリンで、1989年11月9日の「ベルリンの壁崩壊」という歴史的事件の現場に立ち会うという幸運にも恵まれました。
博士論文の最終口頭試問の後に試験官の先生たちと
このドイツ留学が大きな転機となり、今まで以上にドイツの歴史について知りたいという気持ちが強くなり、大学院への進学を決意しました。創価大学大学院に進学後、やはりドイツで勉強したいとの想いから再び渡独し、社会史・経済史の分野ではとりわけ有名なビーレフェルト大学で博士号(歴史学)を取得しました。
余談ですが、私の指導教官となったのは、私がボン大学留学中に興味深く読破した書籍の著者で、当時から「この先生のもとで学べたら良いのになぁ」と思っていた先生でした。
(私自身についてさらに興味がある方は、「創大Lab」に掲載された私のインタビュー記事を読んでいただけると幸いです。)
専門ゼミでの学び
(西洋)経済史の専門ゼミを開講していますが、ゼミに集ってくる学生の興味関心は千差万別です。特定の国や地域に興味があるゼミ生もいれば、宗教と経済・社会の発展や資本主義や社会主義といったイデオロギーの対立に関心を持っているゼミ生もいます。
中には、「フランスの食文化の歴史について極めたい」「イタリアで日本文化(着物)を広めたい」「コーヒーやチョコレートのルーツに興味がある」など、ピンポイントなテーマに興味を持っているゼミ生もいます。
このように多種多様なテーマに興味・関心のあるゼミ生たちですが、最初の演習Ⅰでは、「なぜ世界には『豊かな国』と『貧しい国』が厳然として存在するのか」といったテーマについて、歴史的視座からアプローチしていきます。
資料や書物を通して過去の歴史と向き合うことは、一見すると地味な作業かも知れません。しかし、そうした作業を繰り返すことにより、物事を俯瞰する力が付くようになります。
また春休みと夏休みに行うゼミ合宿は、勉強だけでなく、ゼミ生同士の横の繋がりを深める役割も担っています。とにかく、ゼミは皆が切磋琢磨し、学問上の知見を広げるだけでなく、それぞれが仲間意識を持って成長し合える場にしていきたいと思っています。皆で一緒に楽しく勉強していきましょう!
ゼミ春合宿@草津