寺西宏友 教授

経済学部で歴史?

 「経済学部で歴史ですか?」とよく言われます。そのことにお答えするために、少しそもそも大学で経済学を学ぶ意味を考えてみたいと思います。大学で経済学部を選択する学生の動機を聞いてみると、社会の仕組みを良く知って良く生きよう、あるいはこれからの社会をより良くしようということに集約されるのではないでしょうか。

 様々な問題に満ちた現実の社会という森のなかへ入っていく前に、その森を迷わずに歩くための地図やコンパスを手に入れ、その使い方を理解しておくことはとても大事です。確かにミクロ経済学やマクロ経済学というのは、社会の中における経済の動向を、複雑な地形や植生を出来るだけ簡略化して平面に写した地図に例えられるかもしれません。その意味で、地図は万能とは言えないかもしれません。

 経済学を専門とする人は、常に理論(地図)と現実のはざまで格闘していると言っても過言ではありません。その格闘の試みの一つとして、最近では「行動経済学」という面白いジャンルも登場しています。従来の経済学では、「人間は合理的な行動をする」ということを前提にしていましたが、「行動経済学」では、「不合理な判断をもとに行動してしまう」ことを探求したりしています。

不合理と格闘する欧州統合

 私の担当している専門科目の一つに「ヨーロッパ経済論」という授業があります。もともとの専門がドイツ社会経済史でしたので、第二次世界大戦後の欧州における経済統合を中心にすえて、この授業を行っています。

 ヨーロッパは、20世紀に第一次・第二次世界大戦というとてつもない被害をもたらした戦争を体験しています。ドイツが引き起こした戦争ですが、現在はそのドイツがフランスと共に統合の中核となっています。この統合の出発点には、欧州の地で二度と戦争を起こさせないという強い決意があったと言われています。

 経済を一体化させて、そのことによって共存共栄していけば、隣国同士で相争うことはなくなるというのが欧州統合の原点です。国家間の関税を撤廃する関税同盟を第一段階として、さらに単一市場の創出、共通通貨の実現へと突き進んできました。これらの試みは、合理的な判断に基づいて着手されてきました。

 しかし、その過程では、合理的には理解し得ないような問題が次から次へと現れてきたのです。例えば、共通通貨ユーロを隠れ蓑に、土地バブルがはじけて莫大な政府債務を積み上げて破綻したギリシア危機があります。

 バブル景気はかならず破綻することを合理的には理解していても、渦中にある当事者は、自分はうまく乗り切れると思ってしまう根拠のない確信が引き起こす悲劇です。そして、その最たるものが、英国の離脱(Brexit)でした。

 現在では英国の中でも、「離脱」は誤った判断とする意見が多くなっていますが、大変な労力をかけて離脱を実現したので、すぐに戻ることはないでしょう。一人の人間の中でも、合理的・不合理的、相反する考えが存在します。一国の国民投票では、真っ向から対立する意見が僅差で拮抗して、離脱がわずかに上回ったために下された結論です。国民投票のキャンペーンで、事実とは異なった宣伝がなされ、「合理的判断」とはほど遠いものであったと言われています。

 そうした不合理にみちた現実の世界にあって、少なくともヨーロッパ連合(EU)は、長い目で見ての「合理的判断」である統合の推進という方向性を堅持して進んでいこうとしています。そして、その統合推進の中核にいるのが、かつての戦争を引き起こした責任当事国のドイツであるということは、注目すべき事実です。

歴史のリスクと向き合うドイツ

 ドイツには「歴史政策」という言葉があります。日本にはない考え方で、「歴史」が「政策」の対象となるとする発想は多くの日本人には驚きだと思います。

 具体的には、ナチスによって率いられたドイツとは決別をして、真の民主主義社会を構築していくために、①ナチスの不法(犯罪)行為の断罪、②その被害者に対する補償、③歴史教育に力を入れています。戦争のような加害者と被害者がはっきりと分かれるような出来事に対する記憶、あるいは認識では、加害側には忘れようとするバイアス、被害側には忘れまいとするバイアスがかかるのは当然です。
 
 その両者の間の溝を埋めようとする営みが、ドイツの「歴史政策」であるとも言えます。確かにドイツの中でも、過去の歴史でドイツだけを一方的に断罪する考え方に反発をする人々もいますが、それでも少なくとも政治的リーダーの中には、それに同調するような人はいません。歴史に対する基本的スタンスは一貫して維持され続けています。こうした努力が、今日のドイツに対する周辺諸国の信頼の根拠となっていることは明らかです。

経済学部で歴史を学ぶ意味

 少し難しいですが、マックス・ウェーバーという社会学者が、社会的現象における人間の個性的な行為(不合理な判断も含めて)は、社会を科学的に認識する上で、因果関連の追求をあいまいにするものではないと言いました。

 人間がなす行為の主観的な動機を解明することによって、個性的な自然事象(例えば台風の進路予測)よりも、的確に具体的な因果関連を追及することが出来ると考えたのです。社会の中で法則性に基づかない個々の人間が思い思いの行為をなす、カオス(混沌)のような状況でも、動機の意味を理解することで、科学的認識が成り立つと言っています。

 「歴史認識」というのは、人々の動機を形成する一つの大きな要因だと思います。すなわち、過去の出来事をどのように理解し、現在の判断・行動につなげるかということです。日本は、東アジアという、世界で最も軍事的緊張の高まっている地域に存在し、この地理的条件は、変えることはできません。

 韓国や中国とは経済的には切っても切れない相互依存の関係にありながら、政治的、あるいは国民感情的には友好な関係というには程遠い状況です。北朝鮮に至っては、未だに過去の戦争を終結できておらず、それどころかミサイルで攻撃する準備を進め、日本もその対抗手段をそなえなければならないというような議論が、なされている状況です。

 この地域を、将来どのような地域にしていくのかは、日本の経済のみならず一国の存続にとってとても大きな課題です。その課題に向き合う若い世代の学生の皆さんに、是非、なぜそうなっているのかという歴史認識の問題に目を向けてもらいたいと切に願っています。

 先ほどのマックス・ウェーバーの言葉を引用しておきます。
「人間の行為を直接に支配するものは、理念ではなく、利害である。しかし、理念によって作られた『世界像』はきわめてしばしば転轍手として軌道を決定し、その軌道に沿って利害のダイナミクスが人間の行為を押し動かしてきた」

 人間は「損か得か」という利害で意志決定をするというのは、経済学が前提とする人間の「合理的な判断」を意味しています。例えば「戦争」をすることは、絶対に誰にとっても「損」なはずなのに、現実に行われており、これからも起こる可能性が否定できません。

 これは、「理念」(歴史認識に規定される)によって、その利害状況が規定されるからです。その意味では、経済学を社会の利害状況を分析するツール(地図)だとすると、歴史を学ぶことは、さらに大きな見取り図を眺めてみることに通ずるかもしれません。




  • キャンパスガイド2023経済学部
  • 経済学部公式Facebook
  • WEBカメラ
  • IPカリフォルニア・グローバル研修
  • IPシンガポール・グローバル研修
  • クアラルンプール・インターンシップ・プログラム
  • 香港インターンシップ・プログラム
  • 東北復興インターンシップ・プログラム
  • 東北復興スタディーツアー
  • 就業力「強化」書
  • カリキュラム・チェックリスト
  • 経済学部教育ラウンジ(FEEL)