近年国内外で発生しているさまざまな気象災害は、世界の平均気温が19世紀末と比べて1℃上昇したことなど地球規模の気候変動問題と切り離せません。気候変動の原因となっている温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させ、実質的にゼロにすることを目指すのが、「2050年カーボンニュートラル」の達成です。日本を含めた世界120以上の国と地域が脱炭素を目指しており、事業者の取り組みも進んでいます。
日本を代表する企業の一つ、Hondaグループで、藻類を活用したカーボンニュートラル達成を目指す技術が発表され、メディアでも注目されました。そのプロジェクトのリーダーは、本学卒業生の福島のぞみさんです。小学生時代から藻が好きで、大学・大学院でも研究に熱中したという福島さんにお話をうかがいました。
日本を代表する企業の一つ、Hondaグループで、藻類を活用したカーボンニュートラル達成を目指す技術が発表され、メディアでも注目されました。そのプロジェクトのリーダーは、本学卒業生の福島のぞみさんです。小学生時代から藻が好きで、大学・大学院でも研究に熱中したという福島さんにお話をうかがいました。
福島さんは子どもの頃から藻が好きで、大学でも藻を研究すると決めていたそうですね。
私は千葉県船橋市出身で、春には潮干狩りするなど幼い頃から海に親しんできました。葛西臨海水族園には、魚の名前を全部言えるようになるほど通いました。小学生の頃、海の生態を支えているのは植物プランクトンだと知って感動したことが、藻類との出会いです。藻に魅せられ、大学で学ぶ分野も藻を追究したいという思いで選びました。勉強と研究に明け暮れた大学院時代は忘れられない日々で、それが現在の仕事につながっていることは感慨深いです。
現在、取り組んでいるのはどのような研究・開発でしょうか。
藻はCO2を吸収する力がすごいんです。その特長を活かして、工場から排出されるCO2を藻で吸着する設備と、藻を培養するプロセスの開発をしています。さらに、藻からエネルギーやプラスチック、食料などを作ることで、有害物質であるCO2を有用物質に変換しようと考えています。
CO2は最も大きな温室効果ガスです。排出を減らす努力はもちろん大事ですが、出してしまったCO2を回収し再利用する、つまりCO2を資源として循環させることができれば、それもカーボンニュートラル達成への貢献です。私は、自分が研究してきた藻類が、その循環で大きな役割を果たせると信じていました。Hondaはバイクや自動車、ジェット機など、CO2を排出する化石燃料を用いるモビリティのメーカーです。当然カーボンニュートラルに取り組んでおり、私は藻類の可能性を訴えて2007年に入社しました。そして、2013年から本格的に藻類研究をスタートし、独自の藻「Honda DREAMO(ホンダドリーモ)」を開発し育て、ようやく実証実験段階まで漕ぎ着けたところです。
CO2は最も大きな温室効果ガスです。排出を減らす努力はもちろん大事ですが、出してしまったCO2を回収し再利用する、つまりCO2を資源として循環させることができれば、それもカーボンニュートラル達成への貢献です。私は、自分が研究してきた藻類が、その循環で大きな役割を果たせると信じていました。Hondaはバイクや自動車、ジェット機など、CO2を排出する化石燃料を用いるモビリティのメーカーです。当然カーボンニュートラルに取り組んでおり、私は藻類の可能性を訴えて2007年に入社しました。そして、2013年から本格的に藻類研究をスタートし、独自の藻「Honda DREAMO(ホンダドリーモ)」を開発し育て、ようやく実証実験段階まで漕ぎ着けたところです。
福島さんが開発した藻にはどのような特徴があるのでしょうか。
約30億年前から地球に存在している藻には多くの種類があり、ワカメやコンブなどの大型の海藻類と、微細藻類に分けられます。私が開発した藻の最大の特徴は、分裂スピードが早い、つまり成長が早いこと。5時間に1回くらい分裂するので、早い時には1日5回の分裂で1個の藻が2個、4個、8個、16個、32個と増えていきます。藻1g当たりCO2 2gを吸収するので、どんどん増える藻はそれだけCO2の吸収量も多いというわけです。また、微細藻類を大量培養する際の課題であるコンタミネーション(培養液に雑菌や虫が混入して藻を捕食したり栄養素を奪ったりすること)の影響を受けにくい、減菌も積極的なエネルギーをかけた温度管理もいらない強い藻です。
開発にあたっての苦労やエピソードなどを教えてください。
開発を始めたときはたった1人、自動車部品を作る作業場の片隅からのスタートでした。研究室も、純水と減菌した器具もなく、トイレの手洗い用の水を汲んできて藻を育てていました。それでも、「藻の開発をやらせてください」と言い続けてやっと認められたのでめげませんでしたが、藻が育たないまま2年経ってしまい、いつ打ち切られてもおかしくない状況に陥ったこともあります。そのときは、かつて同じ部署だった方々が上層部に頭を下げてくれて延長がかないました。私がその方たちのいる部署に入ったのは東日本大震災が起きた2011年で、“福島のぞみ”という私の名前が「福島の希望を表しているね」と、震災ボランティアに誘われて一緒に行ったり、ものづくりへの思いを語り合ったりしました。その縁で開発の延長を後押ししてくれたことが、本当にうれしかったです。
そして間もなく、寒さや雑菌のある環境でも生きられる藻が突然変異で発生しました。逆境だからこそ生まれたのかもしれません。置かれた環境に共存できるので、太陽光と水と少しの栄養があれば世界中どこでも、CO2を凝縮するシステムの併設だけで育ちます。少しの水を足せば繰り返し培養でき、砂漠や塩の多い沿岸地域など他の植物が育ちにくい場所でも生きられます。
さらにすごいのは、わずか3日間でその成分比率を変えられること。藻は炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミンなどでできていますが、培養液内の元素を調整することで、炭水化物多めの藻にもタンパク質多めの藻にも変身させられます。その国や地域、生産者、消費者のニーズに合わせて、バイオ燃料にしたり食料品として生産したりできるのです。
そして間もなく、寒さや雑菌のある環境でも生きられる藻が突然変異で発生しました。逆境だからこそ生まれたのかもしれません。置かれた環境に共存できるので、太陽光と水と少しの栄養があれば世界中どこでも、CO2を凝縮するシステムの併設だけで育ちます。少しの水を足せば繰り返し培養でき、砂漠や塩の多い沿岸地域など他の植物が育ちにくい場所でも生きられます。
さらにすごいのは、わずか3日間でその成分比率を変えられること。藻は炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミンなどでできていますが、培養液内の元素を調整することで、炭水化物多めの藻にもタンパク質多めの藻にも変身させられます。その国や地域、生産者、消費者のニーズに合わせて、バイオ燃料にしたり食料品として生産したりできるのです。
この研究・開発は今後どのように広まっていくのでしょう。福島さんの願いも含めてお聞かせください。
素晴らしい数々の特徴を持つ藻ですが、コストの面では従来の化石燃料やそれから作るプラスチックの安さに太刀打ちできないと言われています。会社としてビジネスにするためにも、より生産効率の優れた培養設備の実用化を目指し、規模を広げた実証実験などを行っていきます。藻には有用な成分が多く含まれているので、燃料やプラスチックだけではなく、すべての成分を利用して健康食品や化粧品などの開発にも取り組んでいきたいと考えています。
藻には人類を救う力があります。私が思い描いているのは、貧困地域の子どもたちが藻を燃料とするアルコールランプの光で夜も勉強したり、栄養素が豊富な藻を栄養の足りていない子どもたちが飲んだり、藻の生産で経済を回しその地域の人々の生活の質が向上するという光景です。人類が抱える環境問題、エネルギー問題、食糧問題に貢献できる可能性を高めるために、この開発を進めていきたいと思っています。
藻には人類を救う力があります。私が思い描いているのは、貧困地域の子どもたちが藻を燃料とするアルコールランプの光で夜も勉強したり、栄養素が豊富な藻を栄養の足りていない子どもたちが飲んだり、藻の生産で経済を回しその地域の人々の生活の質が向上するという光景です。人類が抱える環境問題、エネルギー問題、食糧問題に貢献できる可能性を高めるために、この開発を進めていきたいと思っています。
新規事業の研究開発をするプレッシャーとどのように向き合っていますか。
課題に対する責任や解決策への悩みはもちろん感じますが、私は藻が大好きで走り続けているので苦ではありません。現在は開発メンバーも増え、チームワークで頑張っています。
藻は生き物ですから、毎日色も匂いも変わるのが楽しみ。みんなで藻のことを「あの子たち」「あの人たち」と呼んで、「こんな大勢で思って世話しているんだから増えるはずだよ」などと話し合っています。培養するためにどんなに悪天候の日だろうと作業する私たちは、もはや藻のしもべですね(笑)。
プライベートでは、他の植物を育てて学ぼうと、自宅のプランター菜園で野菜作りをしています。土いじりは4歳の子どもとのコミュニケーションでもあります。自分が開発した藻を世界に広めたいという夢があるので、将来、海外のさまざまな立場の方と渡り合うために、英会話も勉強中です。
藻は生き物ですから、毎日色も匂いも変わるのが楽しみ。みんなで藻のことを「あの子たち」「あの人たち」と呼んで、「こんな大勢で思って世話しているんだから増えるはずだよ」などと話し合っています。培養するためにどんなに悪天候の日だろうと作業する私たちは、もはや藻のしもべですね(笑)。
プライベートでは、他の植物を育てて学ぼうと、自宅のプランター菜園で野菜作りをしています。土いじりは4歳の子どもとのコミュニケーションでもあります。自分が開発した藻を世界に広めたいという夢があるので、将来、海外のさまざまな立場の方と渡り合うために、英会話も勉強中です。
大学・大学院時代はどのような学生生活を送りましたか。
私は大学の1年から3年までで学部4年間の単位を全て取得し、その成績が一定基準以上の者に認められる飛び級の制度を利用して大学院に入学しました。当時は飛び級だと研究室を選ぶことができたので、藻の研究を深めるためにどうしても海洋学研究室に入りたかったのと、利子のない奨学金をもらって学費を節約するために、自分を励ましてつかみ取った進路でした。
しかし、いざ大学院生活が始まると、学部4年間をみっちり勉強してきた人たちとは大きな差があって苦しみました。大学院1年のとき、海洋科学技術センター(現 海洋研究開発機構)の海洋地球研究船に乗って2カ月にわたってベーリング海の水産資源を調査する機会に恵まれたのですが、その船上でも自分が戦力になれないことを痛感したのを覚えています。大学院での研究としては、遥かな海を調査した経験をもとに「ベーリング海の藻の生態系」をまとめることができましたが、修了に至るまでは毎日が自分との闘いでした。
まずは論文を読む力が弱いと実感したので、大学から徒歩5分のアパートには最低限の身だしなみを整えるためだけに帰宅して、毎晩研究室に泊まり込む勢いで次から次へと論文を読み込みました。勉強は好きで吸収していく手応えもあったのですが、お金のない苦学生だったこともあり、それまでの人生で最もしんどい毎日でした。あの時代に比べれば、お給料を保証してもらって藻と向き合える会社員の立場は恵まれています。1人で開発をスタートしたときの苦労もどうってことはないと思えました。
あきらめなければ失敗はない。自分を追い込んだ大学院時代は、まさに研究者としての私の礎です。
しかし、いざ大学院生活が始まると、学部4年間をみっちり勉強してきた人たちとは大きな差があって苦しみました。大学院1年のとき、海洋科学技術センター(現 海洋研究開発機構)の海洋地球研究船に乗って2カ月にわたってベーリング海の水産資源を調査する機会に恵まれたのですが、その船上でも自分が戦力になれないことを痛感したのを覚えています。大学院での研究としては、遥かな海を調査した経験をもとに「ベーリング海の藻の生態系」をまとめることができましたが、修了に至るまでは毎日が自分との闘いでした。
まずは論文を読む力が弱いと実感したので、大学から徒歩5分のアパートには最低限の身だしなみを整えるためだけに帰宅して、毎晩研究室に泊まり込む勢いで次から次へと論文を読み込みました。勉強は好きで吸収していく手応えもあったのですが、お金のない苦学生だったこともあり、それまでの人生で最もしんどい毎日でした。あの時代に比べれば、お給料を保証してもらって藻と向き合える会社員の立場は恵まれています。1人で開発をスタートしたときの苦労もどうってことはないと思えました。
あきらめなければ失敗はない。自分を追い込んだ大学院時代は、まさに研究者としての私の礎です。
友人との関わりなど、学び以外の学生生活の思い出も聞かせてください。
大学の部活動は創価大学ヴォーカルグループに入っていました。クラブの仲間たちは、一緒に歌うだけでなく、「自分は何者なのか」「これからどう生きるか」についていつも語り合ったかけがえのない友人です。また、生物工学科のクラスでは、家庭の経済事情で退学せざるを得なくなった友人のために、みんなでアルバイトをして彼の学費を工面しようと計画したこともあります。結果的にその友人は休学し、後に通信教育で復学して学校の先生になりましたが、彼の親御さんが私たちの卒業式に「あのときはありがとうございました。とてもうれしかったです」と一人ひとりにお花を送ってくださり、感激しました。
創価大学への進学を考えている後輩たちに、メッセージをお願いします。
実は、私は高校3年のときに創価大学のオープンキャンパスに参加するまで、いわゆる有名大学への進学を考えていました。当時、多くの人は大学を「うまく単位を取ってできるだけ遊ぶところ」と考えているような風潮もあり、創価大学もそういう人が多いのではないかと思っていたのです。しかし、オープンキャンパスで、大学での勉学とさまざまな活動についていきいきと語る先輩たちに出会って考えが変わりました。「この大学なら私らしい大学生活が送れる」と確信して受験しようと決めました。
卒業して20年近く経った今は、もし創価大学へ進学しなかったら、肩書きや学歴などに縛られて他人の眼ばかりを気にして生きる人間になってしまったかもしれないと思います。なんでも話せる友人はできなかったかもしれないと思います。あの頃があるから、今こうして力強く社会で闘っていける自分がいます。創価大学での日々が、自分の可能性を信じられる、自分も世の中を変えられる人間になれるのだという自信をくれました。創価大学は本当に素敵なところです。自分の生きる道を見つけに来てください。
卒業して20年近く経った今は、もし創価大学へ進学しなかったら、肩書きや学歴などに縛られて他人の眼ばかりを気にして生きる人間になってしまったかもしれないと思います。なんでも話せる友人はできなかったかもしれないと思います。あの頃があるから、今こうして力強く社会で闘っていける自分がいます。創価大学での日々が、自分の可能性を信じられる、自分も世の中を変えられる人間になれるのだという自信をくれました。創価大学は本当に素敵なところです。自分の生きる道を見つけに来てください。
PROFILE
福島 のぞみ Fukushima Nozomi
[好きな言葉]
「一本の道がある。この道こそ私が愛し、決めた道だ。この道を歩くとき、私の顔には希望と微笑みが沸く。私はこの道から絶対に逃げない。」
[性格]明るくおおざっぱで、しぶといです。石橋を叩かず落ちます。
[趣味]
海で泳ぐこと、家庭菜園、創作料理、英会話
[最近読んだ本]
嫌われる勇気/岸見一郎
ページ公開日:2022年05月13日