15回目でつかんだスタートライン
教員採用試験 合格体験記01
私は、沖縄県宮古島市で育ち、創価大学の進学を目指していましたが叶わず、一年浪人を経て、創価大学の近くにある都内の大学に進学しました。そこで、出会った創価大学先輩たちは生命力に溢れ、いつも生き生きしていて、自分もこんな風になりたいと思うようになりました。
当時、新聞やテレビではいじめを苦にして命を絶ってしまう子どものニュースが連日報道されており、それを目にするたびに、自分もかつていじめられ、学校に行くのが嫌になった経験から「自分が子ども達の最大の理解者になって、力になりたい」と感じていました。そして、自分の憧れる先輩たちのような、生きる希望を与えられる教師になりたいと、教職を志すことになりました。
2008年3月に、中学校社会科の免許を取得し大学を卒業しましたが、教員採用試験に不合格だった私は、臨時的任用教職員採用で、中学校の特別支援学級の担任として勤務をすることに。初めの一年は、教員同士の連携や特別支援学級担任としての指導方針など、常に悩みの連続で、教員として勤めるために必要なことを一から学ぶ期間となりました。
教員を続ける自信がなくなったとき、学生時代からの先輩に「自分は教師に向いていないのではないか」と相談すると「やめるならやめたらいい。でも、本当にそれでいいの。君がやりたかったことは何だったの。」と厳しくもあたたかく、背中を押してくれました。
創価大学創立者の『教師こそ最大の教育環境』との言葉を胸に刻み、「今の自分を乗り越えて、成長した姿で子ども達へ向き合おう」と、教員採用試験への挑戦を続けることを決意しました。
それから8年間、中学校で臨時的任用教職員として勤務しながら、教員採用試験を挑戦しましたが、一次試験で不合格。勤務実績から一次試験免除となっても、なかなか結果は出ません。それでも先輩はいつも「そんな本村君だからこそ、“本村先生がいてくれてよかった”と言ってくれる子がいるはずだよ」と励まし続けてくれました。
創価教育を学びたいとの思いから、2016年に科目等履修生として創価大学通信教育部に入学し、働きながら小学校免許を取得しました。それまでは、中学校社会科の採用試験に挑戦していましたが、中学校で副担任として働く中で、担任として生徒と関わることが多い小学校教諭に魅力を感じ、東京都小学校の教員採用試験を受験。自身の力不足のため、その時は結果に結びつきませんでしたが、東京都の期限付き採用として勤務することになりました。
初めての小学校勤務は、それまでの教員生活とはまた違った世界でした。先輩の先生方に指導していただきながら、改めて教師という職業の深みと責任を肌身で感じることができました。年齢も32歳になり、新採用として入ってくる10歳年下の先生たちの姿に焦りを感じ、このままでよいのかと悩むこともありましたが、創立者の「桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李のように、自分らしく進んでいきなさい」とのご指導を支えに、勉強を進めていきました。
そんな中、縁あってお付き合いをしていた今の妻と結婚。その頃から沖縄県の教員採用試験の挑戦を考えるようになりました。
以前から「いつかは生まれ育った沖縄県に貢献したい」と考えていましたが、都市部のほうが臨時任用の話が多いことや、創価大学のある八王子が好きだったこともあり、決断することができませんでした。しかし、不安定な状況の私を支え、私の故郷である沖縄を大切に思ってくれる妻の存在に励まされ、2020年に沖縄県へ戻り、教員採用試験に挑戦する決意をしました。
2020年は新型コロナウイルスの影響で休校が続き、楽しみにしていた児童との出会いが1か月、2か月と先送りされて過ぎていく日々が続きました。
「一体いつまで続くのだろう」「子ども達は元気かな」「子ども達がいなければ、教師という仕事はないも同然じゃないか」と悶々しながら、創立者の『教師こそ最大の教育環境』という言葉を改めて考えたとき、どんな状況にあっても、教師として子ども達にどう向き合っていくかが大切なんだと気付きました。学校再開へ向けての準備や、学校の行事へ参加が難しい児童の保護者へ向けた学級通信を毎日作成するなど、工夫を重ねるなかで、子ども達も喜んでくれ、教職の喜びを実感しました。
そんな中、待望の第一子が生まれました。初めて握った小さな手が、ぎゅっと私の小指を握りしめてくれたとき、「ああ、子ども達もこんなに小さなときがあったんだ。そして、次第にいろいろなことができるようになったんだ。私は教師として、子ども達にいろいろなことができるようにしてあげることが使命なんだ」と感動で一杯になりました。
妻から最大のサポートを受けながら、故郷の宮古島で今年度の教員採用試験に挑戦。慣れない環境での仕事と初めての子育ての忙しさから、勉強時間は過去最少でしたが、10年以上教採を受けてきた経験から、出題ポイントがはっきりとわかっていたので、一次試験は無事に合格。勤務校をはじめそれまでお世話になった先生方に協力してもらいながら二次試験の準備を重ねていたとき、ずっと私の人生を支えてくれていた祖母が亡くなり、悲しみに包まれました。祖母は、共働きだった両親に代わって、幼いころから私を本当にかわいがってくれ、学生時代に学校に行きたくないと泣きながら打ち明けることができた最初の人でした。「もっとはやく、もっとたくさん会って、もっと話を聞きたかった。もっと話したい事があった。」との悔しい思いを抱えながらも、ここで立ち止まってはいけないと、祖母の葬儀から約2週間後、二次試験に挑みました。
合格発表日の10月14日、自宅で私より先に結果をみた妻から、「(合格者の中に番号が)あったよ」と一言。15回目の挑戦でやっと掴んだ合格。ずっと支えてくれた妻と大切な息子、何度も試験に落ち続けた私を信じてくれた両親、そして大好きだった祖母へ、感謝の思いを届けることができました。
何より、やっと創立者へ勝利の報告ができたことが本当に嬉しかったです。
どんな困難をも乗り越え、すべてを意味あるものへと変え、創り上げていく生き方を、創価大学で学びました。合格以上の学びです。
これから教師を目指す方、臨時任用で勤務されている方、すべての方へ、きっと想像以上の学びがあると思います。創価大学へ是非いらしてください。
もとむら えいこう Motomura Eikou