教員採用試験 合格体験 (2022年採用)

教職を目指したきっかけ

私は、小中高と、長崎県佐世保市で育ちました。高校卒業後は創価大学文学部40期生として、創立者がご出席された最後の入学式に参加することができ、厳しくも温かい激励をいただきました。
大学在学中に所属していた手話クラブ「ミッションハンズ」の活動を通し、耳が聞こえなくても明るく、前向きで、自らの使命に生きる多くの方々との出会いを通して、「障害者はかわいそうだから助けなければ」と思っていたわたしの価値観は大きく変わりました。
また、カナダでの語学研修では、今までの「当たり前」が覆されるような文化の違いや、すべて自力で乗り切らなければならない状況を経験したことで、一人の人間が持つ力の弱さと強さを知りました。特に、ホームステイ先の幼い姉妹との交流で、多くの異文化や考え方を学ぶことができたと思います。これは、現在の教職生活において、「どんな子どもにもよいところがあり、子どもの可能性は無限である」との思いで子どもたちに向き合う、自分の信念の原点となったといえます。
そんな日々を過ごし、気付けば3年生。私は教育学部ではなかったので、卒業後は新宿にある補聴器メーカーに就職しました。「使命のない創大生は一人もいません」と創立者の励ましを思い返しながら、まずは今の職場で3年間働こうと決め、仕事に全力で挑戦するものの、心のどこかでいつも、創大時代に出会った子どもたちのことを考えていました。働きながら、週末は合唱団のスタッフや、ろう学校へのボランティアにも参加し、子どもたち触れ合う中で、やっぱり自分は子どもたちと一緒に成長できる仕事がしたいんだなと強く思うようになりました。
教師の夢を叶えるため、創大通教へ
就職して3年、ずっと思い描いていた夢を叶えようと、創大通教に入学しました。同時に、地元への恩返しと、創立者がいつも言われている親孝行をしようと思い、佐世保へ帰ってきました。ここから、仕事と通教との両立が始まりました。
入学した4月、仕事も新しく始めたばかりでしたので、スクーリング科目をできるだけ避けて履修登録をしました。しかし、履修登録期間終了後の5月に、受講が必要なスクーリング科目があり、その科目を受けなければ、免許取得はおろか、教育実習にさえ行けないという事実に直面しました。わたしは、「もうだめだ、退学しよう」と思い、通教事務室の窓口に電話をしました。すると、職員の方がとても優しく、そして厳しく「辞めるにも、続けるにも、(学費未納)退学になるのは数か月先なので、それまで今できることを頑張ってみませんか」と言ってくださったのです。この言葉がなければ、教員になる夢を諦めてしまっていただろうと思います。
数か月後、私はもう退学のことなど忘れていました。教育の勉強が楽しくなっていたのです。見えない学友たちもどこかで頑張ってレポートを書いている、必死にテストを受けている、そう思うと力がわき、自分も諦めずに挑戦しようという気持ちになりました。2年目・3年目は、土日に行われる大阪会場のスクーリングに、佐世保から夜行バスで向かい、翌日の月曜日の朝から出勤という日々を過ごしました。先生も親切な方ばかりで、通教1年目の机上の勉強では見えなかった数多くの同志に会える、大変というよりも、とても貴重な日々となりました。
教員採用試験・教育実習への挑戦

教育実習は地元の小学校で9月に行うことになりました。ちょうど教員採用試験と重なる時期です。
実習は4週間です。この1か月間は、職場に迷惑をかけるとわかっていたので、その前年度末に退職したいと上司に相談しました。すると、「山田さんに辞められるほうがもっと迷惑だ。今の仕事もきっと役に立つから、いてもらいたい。みんな応援しているし、実習の時期はこちらでなんとかする。」と言ってくださったのです。創立者の「創大生はどの職場であってもいてもらいたい人になるんだよ」とのご指導を体現することができたと嬉しく思いました。
採用試験については、通教卒で教職生のサポートをしてくださっている先生から「教採試験を社会人枠で受けられるのでは?」と提案があり、全体の1割である社会人枠に挑戦することに。これにより、教職教養の試験は免除、一次試験は科目試験のみとなりました。試験に向けて、少しでも不安なことがあれば通教教職指導講師の先生や教職講座で質問し、面接票を添削してもらい、準備を進めました。私は月曜日から金曜日までフルタイム勤務、土曜日は学童クラブでアルバイトをしていたので、勉強時間の確保が一番の課題でした。毎日2時間早起きをして過去問を解き、わからないところは創大時代の寮の仲間たちなどにも電話でたくさん助けてもらいました。
そのおかげもあって一次試験を突破することができましたが、その時期、私は職場でワクチンの業務をしており、二次試験を目前にしながらも、深夜0時を回る頃まで働いていました。上司に「いてもらいたい」と言われた手前、休むことなど考えられませんでした。今思い返してみても人生で一番働いていたと思います。実際、面接の情報はゼロに近く、不安がつのり、通教の先生に連絡すると、最終面接の前日に特別にオンラインで面接練習をしていただけることになりました。練習が終わるとすぐ、練習に付き合ってくださったサポーターの先生から「さっきは色々と覚えることがありましたよね、大丈夫ですか?」と重ねて励ましのお電話がありました。「結局は山田さんの人生という長い道のりに、教職が入ってくるのだから、これから子どもたちと一緒に教員人生を歩む覚悟があるか、もう一度考えてみてください」とのアドバイスをいただき、その瞬間、ろう学校、カナダ、合唱団、学童クラブで出会った子どもたちの顔が浮かび、「私はずっと子どもたちと一緒に過ごしていきたいと思っていたじゃないか。明日は、その夢に近づける、その通過点だと考えよう」と、不安が決意に変わりました。
二次試験は、緊張で震えましたが、複数の面接官の顔をしっかり見て答え、それまでやってきたことを悔いなく出し切ることができました。その翌日から実習が開始し、かわいい1年生とかけがえのない時間を過ごしました。それまで、漠然と「免許を早く取らなくちゃ」と思っていた私ですが、実習に行き、今を懸命に生きる子どもたちを前にして、「必ず先生になろう」と決意できました。実習最終日には、子どもたちがわたしと離れたくないと涙をぽろぽろ流し、「絶対先生になってね」と言ってくれました。
それから一週間後、念願の合格通知をいただくことができました。通教での単位もなんとか取得し、晴れて卒業、今年の春より長崎県の小学校の教員として教壇に立っています。はじめは不安もありましたが、周りの先生方に恵まれ、何よりかわいい子どもたちの存在に救われ1学期を終えることができ、何とか夏休みを迎えました。
おわりに
教職は、子どもたちと一緒に成長できる最高の仕事です。今、不安に思っていることがある人は、通教の先生をぜひ頼ってください。わたしもすぐ連絡していました。事務局の方も先生もプロフェッショナルです。いつも、ずっと見守ってくださっています。最後に、くじけそうな時いつも見ていた創立者からのご指導を送ります。「『使命があるんだ』ということを忘れない人は、強い。どんな悩みがあっても、負けない。悩みを全部、希望へのエネルギーに変えていけるのです。」
以上です。ありがとうございました。
2018年度 創価大学通信教育部 教育学部児童教育学科 3年次編入学
2021年度 長崎県教員採用試験合格 小学校教諭1種免許状取得
創価大学通信教育部 教育学部児童教育学科 卒業